時の双曲線・7
 迷っている暇はない。ユーナの身体は冷え切っていて、もがく力を失いかけている。決断の時を誤ればユーナは岸に這い上がる力さえなくなってしまうだろう。最悪、2人とも沼に沈んでしまうかもしれない。
 ユーナが死んでしまえば、オレがここにきた意味はなくなってしまう。オレは、1人の神官でしかない自分には本来許されていない力を使って、過去の歴史を変えようとした。このまま歴史が変わらなかったとしても、オレの存在の意味は変わってしまうだろう。沼に飛び込むしか方法がない以上、オレにはそうやってユーナを助けるしかないんだ。
 そのほんの一瞬の間、オレはユーナの顔を見ていた。……こんな顔をしていたんだなユーナは。どうやら想い出は常に美化される傾向にあるらしいよ。今のオレが見たらユーナはごく普通の子供でしかなくて、ユーナが他の子供とどう違っていて、オレがあんなに好きに思ったのか、その顔を見ただけではまったく思いつくことができなかったから。
 だけど、もう1人のオレ ―― 同じ身体の中にいる5歳のシュウにとっては、ユーナはその後の人生すべてをかけても惜しくないと思えるほど、大切な女の子なんだ。もちろん、大人になったオレはユーナの存在に意味を感じている。ユーナがいずれ祈りの巫女になれば、村を襲った災厄を退けることができるかもしれないと。村を平和に保って、たくさんの人を幸せにできる。オレは間違いなく成長したユーナに恋をするだろう。オレを含めた多くの人を幸せにする祈りの巫女に、ユーナはなれるんだ。
 幼いオレはそんなことは考えてもいない。ただ、ユーナが大好きだから、ユーナのことが大切だから、ユーナに助かって欲しいと思ってる。この先ユーナがどんな風に成長するのかなんてことは関係ないんだ。今、ここにいるユーナが好き。ただそれだけなんだ。
 5歳のオレの身体が沼に飛び込んだとき、オレはこの幼いシュウに負けを認めていた。もちろんオレにだって選択の余地なんかない。冷たい沼の水が一気に身体を冷やして、動きの鈍くなった腕で必死にユーナを岸に押し上げた。その同じ身体の中で、オレは邪な力を退ける術を頭の中に描きつづけていた。命の巫女の日記にあった秘術はすべて記憶していたけれど、こんな状態で術を使ってもあまり効果はないかもしれないな。それでも、少しずつユーナの身体から邪な力が離れていく。
 ユーナの身体が水面に上がれば、同じだけシュウの身体は沈んでいった。ようやく蔓草を掴んで岸に這い上がったユーナが振り返る頃には、かろうじて水面に顔が出ているだけになっていた。