時の双曲線・8
 振り返ったユーナの表情には、自分が助かったという安堵の気配など微塵もなかった。沼に今にも沈みそうなシュウを、恐怖にこわばった顔で見つめていたのだ。ユーナの中に、自分がシュウに対して犯してしまった罪の意識が、澱のように静かに広がってゆくのが判る。それは、オレがこの10年間、ずっとユーナに対して抱いていた気持ちと同じものだった。
「ユーナ、お願い。……母さんを呼んできて」
 シュウはそう言ってユーナに微笑んで見せた。ユーナを安心させるために。ユーナが悪いのではないのだと、自分がそうしたかっただけなのだと、ユーナに納得させるために。長い間水の中にいて動かなくなった身体を必死に立たせて、ユーナが走り去っていく。おそらく大人を呼びに行ったのだろう。だけど、ユーナが間に合わないだろうことは、オレも5歳のシュウも判っていた。
 沼の中から引きずり込む邪な力。今、その力に引きずり込まれようとしているのに、5歳のシュウは満足していた。幼い頃、オレがずっとユーナに言いつづけていたことを思い出した。 ―― ぼくがユーナを守ってあげるよ、と。
 なんのことはない、オレも満足していたんだ。幼い頃のオレはユーナを守ってやれなかった。その約束を今果たすことができたのだから。
 オレの意識が薄らいで、オレが歴史を変えることに成功したのが判った。歴史が変わればオレがいた世界は消滅する。新しい世界にオレは存在しないんだ。だから、あの世界の住人であるオレは、ここでシュウといっしょに死ぬことになる。
(ユーナはぼくのことで苦しい思いをするの……?)
 おそらくオレの罪の意識を読み取ったのだろう。ユーナがこれからオレと同じ罪の意識を背負うことになると理解したのか。自分が死ぬ時になってもユーナのことしか考えていない5歳の自分を、オレは思わず抱きしめてやりたくなった。


  ―― ユーナ、もうじき6歳になるユーナ。君が16歳の夏には、村には必ず災厄がやってくるだろう。オレには手も足も出なかったけれど、祈りの巫女である君なら、必ず災厄に勝つことができるよ。だから自信を持って。5歳のオレが大好きだったユーナ ――

 幼いシュウの願いを受けて、オレは意識が消えるその瞬間まで、ユーナの記憶を消すための秘術を脳裏に描きつづけていた。