時の双曲線・5
 村の西側にある森の沼をオレは目指していた。すべてはこの沼から始まっていた。幼い頃、ユーナが沈んでしまった沼。そして、村を襲う災厄はこの沼からやってくる。
 災厄が神殿を滅ぼすまであと1日あった。山を降りると、無残に踏みにじられた村の廃墟が見えてくる。災厄の爪あとも生々しい、だが生の気配を失った村。村人が1人もいなくなった村は、馴染んでいたはずなのにオレにはまるで知らない場所のように思えた。そう思わなければ耐えられなかっただけかもしれない。
 オレの家。近くにはユーナが住んでいた家。そういえば幼い頃ユーナをよくいじめた年上の少年がいた。大人になって村を出て行った彼も、災厄についての噂くらいは聞いているかもしれない。ふらりと帰ってきて村の惨状を見ることがあるのだろうか。
 森への長い坂を上がっていく。大人になってから訪れたことはほとんどなかった。その森すらも、災厄に踏みにじられてすっかり様子が変わってしまっていた。そんな森の道をしばらく歩いていくと、少し開けたところに大きな沼が見えてくる。
 夏の日差しに輝く水面は静かで、背後になぎ倒された多くの木々を見なければ、そこが災厄の生まれる場所であることなんかまったく想像がつかなかっただろう。
 しばらく水面を見ながらまわりの気配を探っていたけれど、住む鳥にすら見捨てられた森は静かで、変化が訪れることもなく、風もほとんどなかった。これなら成功するかもしれない。オレは持ってきた袋からろうそくを取り出して、平らな場所を選んで並べて火をつけた。その中央に立って目を閉じて、頭の中で日記に記されていた古代文字の筆跡を辿る。それは自分が経験した過去に戻る術だった。何度も繰り返し辿っているうちに、周囲からは完全に音が消えて、オレには自分が立っている地面すら感じられなくなっていた。
 自然とオレは目を開いていたらしい。目の前に見える森の風景が、それまでとはまったく様子を変えていた。木々はまだ新緑の若葉をつけ始めたばかりで、まるで何ごともなかったかのように健やかにある。春の穏やかな日差しに照らされた水面が風に揺らめいている。風景は徐々に色を増してきて、それに伴ってオレの身体は色をなくしていった。そうか、オレはこのままの姿で過去に戻ることはできない。オレは5歳の幼い身体でユーナを助けなければならないんだ。