ぼくはマンガ家
手塚治虫
立東舎文庫
著者の自伝とエッセイとマンガ界の歴史(著者以外も)が書かれている。
大宅壮一に阪僑と言われたのは著者だったと。稼いでいたのは漫画映画のスタジオを作るため。
さいとうたかをの実家は床屋で本人も理髪免許所持。
プロレタリア画家岡本唐貴の息子登はなぜか三ちゃんと呼ばれていたが後年「甲賀武芸帳」「忍者武芸帳 影丸伝」を描く。
手塚氏本人の話は付 ボクのまんが記の方がおもしろい。
三年で読者が入れ替わるので絵も描き方も内容もかえる。
ディズニーは戦争中の政府の宣伝のお礼にディズニーランドの土地を借りた。
図書館から