原発と大津波 警告を葬った人々
添田孝史
岩波新書
1997年地震学の研究者石橋克彦神戸大教授が「原発震災」という概念を提唱したとき、ごぞんじ斑目当時東大教授が「原子力学会では聞いたことがない人」と認めなかった。
電事連は原発推進のため、土木学会に安全率を切り下げさせ、非常用ポンプかさ上げをわずか20cmに。
東電は地震学者に現金を渡す習慣があり「ダウ¥医学の教授等から専門性の高い技術的ご指導をいただく場合、時間を割いていただいたことに対して、社会通念上相応の支払いをするのが通例だと考えている」
保安院は指針見直しから五年後の大地震まで、津波をチェックした報告書が提出されていないのを黙認していた。
国会事故調は2011年12月立上げ、半年後報告書。調査時間不足。
政府事故調は2011年5月発足12月中間報告2012年7月最終報告。身内の官僚不祥事に甘い。
東電事故調は自社に都合が悪い事実を取り扱っていない。
民間事故調は津波想定について調査不足。
地検は事実を確かめず不起訴とした。検察審査会が批判。
津波で重大事故が起こるリスクが高いのに、東電も保安院も動かなかったのは政府事故調では「組織事故」、東電では「安全文化」とごまかす。
吉田所長が予期した「東日本壊滅」を阻止できたのは作業員の奮闘に加えて幸運があった。四号炉の水が使用済み核燃料プールを冷やしてくれた、東海第二原発の防潮堤工事は大地震の二日前に終わっていた。
私の後にも予約が入っていて二週間しか図書館から借りられない。