日本原発小説
井上光晴、清水義範、豊田有恒、野坂昭如、平石貴樹
水声社
てっきり3・11以前の出版かと思って図書館から借りたが2011/10/30出版と原発出版ブームに乗ったものだった。しかし出版社、編者柿谷浩一の意向に反し、川村湊の解説「原発文学論序説」で徹底的な反原発論を書かれてしまい、欄外に「なお、この解説は筆者(川村湊)の個人的な考えを表現したものであって、編者あるいは出版社の考え方を必ずしも共有するものではないことを、念のために書き添える。」と追加してある。
五短編のうち原発容認風なのは豊田の「隣りの風車」だけだが豊田の作としても不出来、自らの短編集にも入れないくらいのものだ。筒井康隆を真似たのだろうが、駄目オヤジがエネルギーの集中適正規模などを語りだすのは違和感ありすぎ。
清水の「放射能がいっぱい」は短編集「単位物語」で読んだ。
野坂の「乱離骨灰鬼胎草」は反原発は正しいのだが、いくら放射線量が多い石に囲まれていても、生まれるのが奇形児ばかりというのは明らかに言いすぎだ。
平石の「虹のカマクーラ」では一日一時間でも一週間だけなどという原子炉内仕事は本当にあるのだろうか?突然の暴力シーンにはびっくり。
井上の「西海原子力発電所」は推理小説風に原発のあるコミュニティの異常さを描く。「現に運転中・建設中の原子炉にとりつけられているECCS(非常用炉心冷却装置)が、燃料棒を冷やす作用が本当にあるのかは、一度もためされてはいないのです。」