津波と原発
佐野眞一
講談社
東北の津波の被災地で知合いを探し、逮捕覚悟で原発近くの立入禁止区域に入り、大手マスコミの記者が誰も入らず、YouTubeでの英雄気取りも気に喰わないと言いながら、やっていることは同じ。あげくに途中で測定器を止めてはデータにもならない。最大73Sv(おそらく時間当たり)
結局過去の話になる。原発推進は原水爆実験禁止運動を潰す為、正力の影武者柴田秀利が仕掛けた。Y売新聞の大キャンペーン。「戦後マスコミ回遊記」か?
東海村に原子力研究所が出来たのは、正力にごく近い大久保の選挙地盤だったから。他の候補地は高崎(中曾根の地盤だが汚染水の放流仁難、原子力温泉案)、横須賀(社会党の地盤)だった。
原発建設後間もない頃の双葉町、大熊町については「原発の現場」朝日新聞いわき支局、「原発のある風景」柴野徹夫。
川口図書館から