ある侍従の回想記 激動時代の昭和天皇
岡部長章
朝日ソノラマ
校正がひどく、前に読んだ人の鉛筆での訂正多数。なにしろ著者の兄弟数が十四と十三だったり。
著者は岸和田藩最後の城主と、加賀前田家の姫の子供で学習院卒後、帝国博物館研究員を経て、侍従となった。
ゴルフは敵国スポーツとして吹上御苑内の九ホールのコース廃止。
八木アンテナの発明者はレーダーを研究していた。
広島の原爆との情報が天皇に8/6夜半には伝わっていなかった。
人の好き嫌いの激しい著者のようで、自分以外の侍従たちの著作は誤り、自己宣伝だらけだと、といっても本人は日記、メモなど書いていたわけではない。明治宮殿略図、御座所図、地下壕への地下道図が珍しい。図書館から

20/3空襲の跡をご覧になって「大正の震災の時に東京の震災の災害の跡を通ったけれども、それに比べて問題なくひどいね」との天皇発言に「誰のせいだ」との書き込み。代りに答えよう「そういう文学的なことは分からない」