2015年05月の記事


雲龍院
今日も良いお天気ですが暑いですね。

今日は京都の泉涌寺付近をお散歩してきました。

今熊野観音寺・泉涌寺・雲龍院・来迎院・戒光寺・法音院・即成院・剣神社・今熊野神社とお参りして周りました。

緑がきれいで、清清しくて良いですね。

特に良かったのが雲龍院でした。

雲龍院は、泉涌寺の別院で泉涌寺の奥にあり、泉涌寺の境内からも行けますが、別に拝観料が必要になります。

泉涌寺と同じく皇室との所縁の深いお寺でもあります。

また、墓地にはあの山村美紗さんのお墓もあるのだそうです。

雲龍院では「走り大黒天」と呼ばれる大黒様が台所にお祀りされています。

普通の大黒様と違い少し怖ろしげでもある表情と、草鞋を履いて歩き出しそうな姿で不思議な印象の鎌倉時代の仏像です。


悟りの間には、悟りの窓と言われる丸い窓があり、四季の花々で楽しませてくれるみたいです。


また、忠臣蔵で知られる大石内蔵助の描いた額も公開されています。

これは大石内蔵助が山科に隠棲していた頃に、伯父さんが泉涌寺塔頭の来迎院の住職をされていて時々訪れていた縁で、こちらに額が額があるそうです。


境内の霊明殿のお庭には菊の文様に砂が慣らされて、中心に灯篭が置かれています。

この灯篭は徳川家の最後の将軍である徳川慶喜が寄進したものだそうで、本来は孝明天皇の陵墓に置かれてあったのですが、幕末の混乱で薩摩藩が放り投げたそうで、それを住職が夜中に密かに取りに行かせて、この場所に置いたのだそうです。

菊の御紋の砂紋が良い感じですね。


他にもいろいろな見所もあり、季節の花々で楽しめる素敵なお寺でしたよ。
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裁判始まる
私の交通事故の保障裁判が始まりました。

弁護士さんが用意してくれた提出書類、本並みの分厚さで目を通すのもギブでした。

ほとんど弁護士さんで進めてくれますが私が出廷しないといけない事もあるみたいです。

裁判になって弁護士費用も多額になるので保証金の上積みがあっても費用が重なるので私にメリットはないですが、保険会社に対する意地ですね。

まだまだ長い戦いになりそうですわ。
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新京極御朱印めぐり
今日も昨夜からの雨でしたね、今週は台風から雨が多いです。

雨でも大丈夫な所と言う事で、京都の新京極へ行ってきました。

最近の御朱印ブームの影響か、京都の新京極でも寺社と商店街が協力して新京極のオリジナル御朱印帳が作られて、新京極を盛り上げて行こうと言う事らしいです。

新京極と言えば商店街のイメージがありますが、実は寺社も多くて、染殿院・錦天満宮・善長寺・安養寺(倒蓮華)・蛸薬師堂・寅薬師・誓心院・誓願寺などがあります。

商店街が御朱印帳を作るのも珍しいようで、御朱印帳も商店街のお店で売られてたりします。

新京極の御朱印帳はブルーとピンクの2種類があり、ピンクのはシールが付いてて自分で御朱印帳にシールを貼って好きなように作れるのが楽しいですね。

私は、寅薬師さんで始めにピンクの御朱印帳と御朱印をいただいてから、新京極をぶらぶらしながらお参りして御朱印をいただいて周りましたが、善長寺(くさがみさん)だけはお寺がお留守なのか誰も居られなくて、御朱印をいただけなかったのが残念でした。

新京極以外でも、その先の寺町通りには矢田寺や、あの本能寺とかもあるので、買い物だけでなくお参りでも楽しめますよ。

久しぶりに河原町や新京極を歩きましたが、思い出のお店や本屋さんとかどんどん無くなっていってカフェやファッション系のお店とかに変わっていってて寂しくなりますね。

本屋さんとかほとんど無くなって来てるし、老舗のお店とかも無くなっててショックでした。

仕方ないことかも知れないですが、何かそう言うのは街の文化や伝統も無くしていっている気がしてしまいます。
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警視庁幽霊係
天野頌子さんの警視庁幽霊係を読みました。

警視庁の特殊捜査課はお宮の間と呼ばれ、特別な能力を持った人が集まっている。

その中の柏木雅彦警部補は、幽霊と話せる能力を持ったために殺された幽霊から犯人や事情聴取を聞くことが出来るために、あちこちの事件にひっぱりだこである。

しかし、本人は幽霊と話すのは精神的に負担でいつも胃がキリキリ痛んでしまう。

それでも、彼に憑いている女子高生の霊と力を合わせて、事件を解決していくのだった。

コミカルタッチで面白い本で、人気があるみたいでシリーズで出ています。
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GWに行った寺院
GWに行った寺院です。

山科聖天・毘沙門堂・諸羽神社・山科地蔵・當麻寺・本國寺・檀王法林寺・因幡堂・管大臣社・繁盛神社・西念寺・市比賣神社・上徳寺・長岡天神・文子天満宮・壬生寺・得浄明院でした。

今年はたくさんお参りして御朱印ももらいましたねぇ。
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得浄明院
今日は、京都の東山の青蓮院の近くにある非公開寺院の「得浄明院」の特別拝観へ行って来ました。

得浄明院は尼門跡寺院で、伏見宮家の王女で六歳で得度され、信州善光寺大本願第百十七世となられた誓円尼公が関西の人々にも信州善光寺の代わりにお参りできるようにと、京都に善光寺と同じ堂宇を創建されたものだそうです。

信州の善光寺と比べて規模は小さいながらも同型の建物で、善光寺如来の分身を本尊としてあるそうです。

また、本堂下には暗闇の中をお参りする戒壇廻りも作られてお参りできるようになっています。

しかし、この得浄明院は、普段は非公開の寺院で、毎年GW付近の「一初」の花が咲く頃にだけ特別拝観できるようになっています。

一初は、アヤメ科の花でアヤメ類のなかで一番早く咲き始める事から一初と名付けられたそうです。

乾燥した土地にも咲くのが特徴で、昔はかやぶき屋根の上に植えられたりして火災や台風などから家を守る厄除けとされていたようです。

ほんらいは紫と白の花があるそうですが、今年は暑さで早く咲いたために白い花は終わってしまい、紫の花だけになってしまったそうです。

尼門跡寺院らしく、派手さはないですが落ち着いた凛とした清らかさを感じる上品な雰囲気のお寺でした。

次は一年後しか拝観できないですが、こういう静かな寺院は一般公開して騒々しくなるよりも、花の時期だけ静かにお参りするのが良いですね。
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諸羽神社
京都の山科に「諸羽神社」と言う古社があります。

祭神は、天孫降臨の神話の中で、瓊瓊杵尊の左右に従った天児屋根命(あめのこやねのみこと)と天太玉命(あめのふとだまのみこと)の2神を祀るところから、始めは両羽大明神と称したそうです。

貞観四年(862)に清和天皇の勅命でこの地に社殿を建てたのが当社の始まりとされる由緒のある神社です。

その後、正殿に応神天皇、脇殿に伊奘諾尊(いざなぎのみこと)・素戔鳴尊(すさのおのみこと)・若宮八幡を合わせ祀るようになり、社名の「両羽」の文字も「諸羽」に改められ諸羽神社となったようです。

社殿は応仁の兵火により焼け、その後もしばしば火災に遭ったそうです。

この神社は、山科一八郷の中で第四番目に当たるとされ、古くは「四ノ宮」と呼ばれて、この付近の産土神として人々に崇敬されました。

神社の背後の山は諸羽山といい、平家物語の中に、「木曽、もろは山の前、四の宮川原に打出で・・・」と記されているのは、神社周辺のことででしょうね。

また、神社の境内は、平安時代の「人康親王」の山荘跡と言われ、この地域を親王に因み「四ノ宮」とも呼ばれるとの説もあります。

「人康親王」(さねやすしんのう)は平安時代前期の皇族で仁明天皇の第4皇子、848年四品、上総、常陸国の太守、弾正台の長官を歴任しました。

親王は859年に28歳で高熱により両目を失明し、宮中より追われてこの地に山科御所を営み隠棲し、出家して法性と号したと言います。

「四宮」の地名は親王が第4皇子とされることに由来するともいわれます。

親王は『伊勢物語」78段に、「山科の禅師親王」として登場するそうです。

親王は唐から伝えられた琵琶を習い、その名手とされ、鎌倉時代や室町時代の琵琶法師には、始祖「雨夜尊」、「天夜尊」と崇められたのだそうです。

本殿の西北に「琵琶石」といわれる石がありますが人康親王の山荘の跡にあったものを移したと伝えられているようです。

親王はこの石に坐って琵琶を弾いたとそうです。

また琵琶の名手とされ、盲人を集め、琵琶や管絃、詩歌を教えたと言います。

親王没後、仕えていた人々に、「検校」「勾当」という「盲官」の位が与えられました。

さらに、僧職に就いた者は「法師」と呼ばれるようになったそうで、検校たちは、親王を祖神と仰ぎ、当地や、四条河原での積塔会(しゃくとうえ)などで、毎年先祖供養の祭祀を行っていたそうです。

こういう繋がりから、諸羽神社のご利益として、技芸上達、心身障害や病苦の克服などがあるみたいで、絵馬は障害者福祉事務所の通所の方々が製作されてるみたいです。


なお、山科地蔵にも親王の供養塔があります。
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西念寺
今日は、京都の五条通にある「西念寺」へ行ってきました。

西念寺も非公開文化財の特別公開がされています。

西念寺の境内には千喜満悦天満宮と言うお社があり、その奥が西念寺と言うお寺になっています。

特別公開は9時からなので、少し早めに御朱印だけでもいただけないかとお尋ねすると、ご住職が快く引き受けてくださって、御朱印をいただきながらいろいろとお話させていただきました。

その上に、まだ始まるまで時間があるからと、わざわざ墓地を案内してくださって南朝系の皇室の血を引いてられて水戸光圀とも所縁の深い熊沢氏の墓石を説明してくださりました。

また、墓地にある井戸にも一つの物語がありました。

戦時中の事。

京都の五条付近も空襲が行われる事になり、先代のご住職が自ら本尊の阿弥陀像と涅槃図を抱いて井戸に隠れられて、何とか空襲の被害に遭わない様に身を潜められたのだそうです。

そう言うお話をいろいろと伺った上で、非公開文化財の特別公開で本堂の中を拝観し阿弥陀如来像や仏涅槃図を拝見させていただきました。

阿弥陀如来像は鎌倉時代の湛慶か一派の作と思われ、指の手印の形が珍しい形の穏やかで美しい仏様でした。

仏涅槃図は、近年の調査で平安時代後期の作だと思われてとても貴重な物だそうです。

先代のご住職が必死で守ろうとしてくださったお陰で、現在の私たちも見ることが出来るのですね、そう思うとよけいにありがたみを感じてしまいます。

西念寺さんでは、ゆっくりと寺宝も拝見させていただいて貴重な体験をさせていただきました。

文化財の保護や修復には大きな予算も必要ですし、御朱印やお賽銭などいろいろな形でも協力させていただけたらと思ってしまいます。
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山科文化財巡り
京都では、春の非公開文化財の特別公開が実施されています。

山科周辺では毘沙門堂・當麻寺・本圀寺の三箇所のお寺で非公開文化財の特別公開が行われるので、それを中心にお参りに出かけることにしました。

今日も良いお天気で暑いですねぇ。

地下鉄の東西線で山科駅で降りると、毘沙門堂へと向かって歩いた。

毘沙門堂は秋の紅葉で有名だけど、今の時期の青紅葉も良いですね。

毘沙門堂では特別の御朱印も領布されてました。

毘沙門堂をお参りしてから近くの山科聖天へもお参りしました。

そこから、ぶらぶら歩きながら疎水沿いに諸羽神社へ向かいました。

諸羽神社も歴史のある古社で割りと広くて面白い神社でした。

そこから山科地蔵のお堂にもお参りして、そのまま道路を歩いて當麻寺へと歩きます。

當麻寺は小さなお寺でしたが、山科大仏とも呼ばれる丈六の阿弥陀如来坐像がなかなか見ごたえありました。

當麻寺を出ると、北へむかぅて歩き、疎水に出ると疎水沿いを本圀寺へ向かいました。

本圀寺は以前に来たことがあり、金色に塗られた仁王が不思議な感じですが、特別公開の経蔵は面白かったです。

また境内には加藤清正が祀られた神社があったりします。

本圀寺を出ると歩いて地下鉄の御陵駅へ向かい、地下鉄で三条へ戻ってきました。

京阪三条駅の向かいにある檀王法林寺も特別公開のお寺なので、そちらも拝観する事にしました。

三条駅のすぐ近くにあるので、前から気になってたんですよね。

本尊の阿弥陀如来坐像がなかなか良かったです。

いろいろと歩いて疲れたので、今日はこれで帰りました。

非公開文化財の特別公開は10日までの限定なので、また他の文化財も見に行きたいと思います。
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和んこ堂
京都の嵐山の天龍寺に近いところに、「和んこ堂」と言う柴犬キャラのグッズのお店がオープンしました。

通りに面してないで少し入り込んだ所にあるので判り難いですけど、可愛いワンコキャラのグッズがいっぱいで楽しいお店でした。

黒犬と白犬のマスコットとバッグが可愛いので買ってしまいました。

時間が無かったのでサッと見ただけでしたが、次はゆっくり見たいです。
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