2015年02月の記事


等持院
今日は、京都の等持院へ行って来ました。

昨年から何度か行きたいと思いながらも、行こうとすると急に用事が出来たり、他へ行かなくてはならなくなったり、お天気が崩れたりとなかなか行けなかったんですよね、ようやく行けました。

等持院は、足利尊氏が天龍寺の夢窓国師を開山に迎えて創建したお寺で、足利将軍家の菩提寺となっています。

方丈に入るとすぐに、関牧翁老師筆の祖師像の絵が見えてきます。

霊光殿には、足利歴代将軍の木造が祀られていました、中には徳川家康の像もありました。

また、庭園の中には足利尊氏の墓所もありました。

あいにくと花の時期ではなかったですが庭園はかなり広くて心字池と芙蓉池の二つの池があり、庭に降りて散策することも出来ます。

人もあまり混んでなくてのんびり静けさを楽しむには良いかも知れないですね。
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西院野々宮神社
昨日は、弘法さんへ行った後に西大路四条・西院まで行きました。

西院春日神社へ行った後で、四条中学の西側にある「西院野々宮神社」へと向かいました。

野々宮神社と言うと嵯峨野にある野々宮神社が有名で観光客にも大人気ですが、この西院の地にもあり、神社として祀られていて「西四条斎宮」とも呼ばれています。

平安時代、天皇の皇女から卜占で選ばれた皇女が、斎王となり伊勢へ赴くまでまでの期間を身を清めて過ごすために特別に築かれた御殿が「野々宮」で、伊勢へ赴くまでの一年間を過ごしたとされています。

ちなみに、斎王の住まいを野々宮と呼ぶようになったのは、桓武天皇の皇女で斎王となられて布勢内親王の時からで、この西院野々宮の地が野々宮と呼ばれる発祥の地で嵯峨野付近の野々宮へと繋がるみたいです。

西院野々宮神社は黒木の鳥居と社殿だけの質素な造りで周りを木々で囲まれて、本来の野々宮の雰囲気を一番残しているのかも知れないです。

現在の社殿は安永4年(1774年)に後桃園天皇が御所の賢所の社殿を寄進された物だそうです。

現在は、西院春日神社の境外の別天地として西院春日神社が管理されてるみたいで、後朱印や御由緒とかも西院春日神社でいただけます。

祭神は天照大神を祀る神社の地を探して彷徨われて伊勢神社の地へたどり着かれた垂仁天皇の皇女の「倭姫命」と先に書いた桓武天皇の皇女で斎王となられた「布瀬内親王」の二柱です。

野々宮としては布勢内親王と、醍醐天皇の皇女の雅子内親王がお住まいになられた聖地だそうです。

古くは養蚕・機織・織女の守り神とされ、今は女人守護・心願成就・家内安全などの御利益があるそうです。

こういう静かな聖地が残されているのも京都らしくて良いですね。
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弘法さん
今日は、21日で京都の東寺では弘法さんの市が開かれる日でした。

久しぶりに行ってきましたが、普段よりも露店は少なめでしたが、中国を始め外国の観光客が多かったです。

私がお気に入りの手作りのお漬物のお店では人気の辛子漬けを買いました。

ここの辛子漬けは美味しくて売り切れたりするんですよね。

大原女餅のお店も、私が子供の頃からあるんですよね、お寿司や餅菓子とか美味しいです。

あられのお店ではよりどり3袋で500円とお徳なので人気です。

他に、干し柿が袋で500円なので買っておきました。

久しぶりにいろいろと買ったり見たり出来て楽しかったです。
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時子内親王
今、読んでいる本に時子内親王と言う方が出てきます。

仁明天皇の皇女で2歳の時に卜占で2代目の賀茂斎院に選ばれて天皇退位により4歳で退下された後は元斎院として穢れない生活を求められて祖父の家で幽閉に近い暮らしを強いられます。

そして承和14年(847年)2月12日に病の為に17歳の若さで儚くなられました。

当時は賀茂斎院ができたばかりで退下後のあり方とかも定まってなく元斎院ちして清斎の暮らしを求められて幽閉に近い生活だったでしょうね。

この方の生涯を思うと複雑な思いを感じずにはおられません。
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遍照寺
先週の土曜に京都の嵯峨野にある遍照寺へ行ったので御朱印をお願いしようと思いました。

人がおられないのでインタフォンでお話しすると住職が留守なのでメモに送り先を書いてポストに入れる様に言われました。

それで住所と御朱印代と郵送費を沿えてポストに入れて帰りました。

その後、お手紙と御朱印にローリエの葉を添えて送られて来ました。

こちらがおじゃまして、ご無理を言ったのにきちんと対応してくださるとうれしいですね。

メール便で送られてきたので料金足りなかったでしょうに申し訳ないです。
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福王子神社
今日も京都は朝から小雨の降る天気でした。

仁和寺に8日限定の御朱印をもらいに行ったついでに、近くにある「福王子神社」へも行ってきました。

福王子神社は小さいですが歴史のある古社で、仁和寺との係わりが深く鎮護社となっています。

本殿の御祭神は光孝天皇の皇后で宇多天皇の母である「班子皇后」だそうです。

もともと、この地は班子皇后の陵墓であったとも言われています。


さて、本殿のとなりには「夫荒神」(ぶこうのかみ)を祀る末社があります。

この夫荒神は、丹波の国の氷室から禁裏へ氷を運ぶ役夫が、氷が溶けない様に急いで疾走したために、この付近で息絶えて亡くなったと言います。

その後に、亡くなった役夫が亡霊となり祟りをなしたために社を建てて鎮めたのが夫荒社であるそうです。

一説によると、もともとは夫荒神が祭神であり「ぶこう」が「ふくおう」に転化したとも言われています。

なかなか興味深い神社でした。
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日本酒電車
今日、京阪電車の三条駅で電車待ちしてたら団体貸切の電車が来て一般客は乗れませんでした。

何だろう?と思ったら日本酒電車とか言う特別電車でした。

電車の中にテーブルが置かれてお弁当みたいなのと日本酒が置かれてるみたいでした。

電車に乗ってお酒飲んで楽しいのかなぁ。
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御会式桜
先週の土曜日のお寺巡りの時に、妙蓮寺へも行きました。

このお寺の墓地には忠臣蔵の四十七士の遺髪塚があります。

四十七士が討ち入り後に切腹になりましたが、一人切腹を免れた寺坂吉右衛門は遺髪を託されて赤穂へ向かう途中に、京都の片岡源五右衛門の姉に会い、遺髪を渡したところ、三回忌後に菩提寺であった妙蓮寺に納めて遺髪塚を造り弔ったそうです。

石碑の裏側には四十七士の名前が刻まれています。


また、この妙蓮寺の境内には「御会式桜」(おえしきざくら)と言う桜があります。

御会式桜は10月13日の日蓮聖人入滅の日の前後から咲き始め、年をまたいで、4月8日のお釈迦様の聖誕日ごろ満開となる珍しい桜だそうです。

この日も雪の降る寒さの中で少し開花してる花がありました。

何でも、この桜の散った花びらを持ち帰ると「恋が成就」すると言われているそうです。

でも、枝を折ったり華を千切ったりは止めてほしいですね。
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