2021年02月の記事


五大力さん
京都の醍醐寺の五大力さんへ行って来ました。

コロナの影響でどうなるか気になっていましたが、無事に行われて良かったです。

朝は山門でロープで止められてて8時からの開門になりました。

例年と変わりなくたくさんの方が来られてて、お札は授与所から山門まで行列になっていました。

五大力さんの餅上げは、季節の風物詩ですからね。

ゆずの北川さんが奉納のおかげ餅は、今年はコロナの影響で触れないようにされていました。

五大力さんの限定御朱印は、今年は直書きはなくて書き置きだけの授与でした。

天皇誕生日の祝日もあり、たくさんの方が来られてたのは、密になっても仕方ない感じでしょうかね。
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四天王寺
大阪の四天王寺へお参りして来ました。

四天王寺は、聖徳太子に所縁の深いお寺で、2月22日は聖徳太子の御命日とされ、法要が御開帳が行われます。

むかし、神道を勧める物部氏と、仏教を勧める蘇我氏で争いになりました。

日本の神を信じる物部氏は、優勢に戦を行って戦勝が続きました。

しかし、聖徳太子が仏教を勧める蘇我氏につき、四体になる四天王像を彫り守護としてから形勢が逆転し、物部氏は敗れて蘇我氏が勝ち、仏教が広められる事になりました。

その時の四天王像をお祀りしたのが四天王寺となります。

また、境内の太子殿の近くには、物部氏の物部守屋らを鎮めるために祠が建てられています。

余談ですが、四天王寺の金堂に小さな鳥居が建てられています。

これは、物部守屋の怨念が鳥となって四天王寺に災いを起こすので、金堂に鳥居を造り聖徳太子の化身の鷹が怨念を追い払うためと言われています。

来年は聖徳太子の1400年忌になりますから、いろいろ法要や記念行事が楽しみです。
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大阪城
大阪城へ行ってきました。

大阪城と言えば豊臣秀吉を思い浮かべますが、豊臣に創られた大阪城は徳川になってから壊されて埋められています。

その埋めた上に徳川によって建てられたのが現在に遺構が残る大阪城です。

また、大阪城のシンボルの天守閣は江戸時代に消失したのを昭和になり、市民の寄付で再建された物です。

コロナ前は外国人観光客ばかりでしたが、今はコロナの影響で外国人も来なくなり混まずにゆっくり見物できます。

ちなみに天守閣に拝観するには消毒・検温・連絡先の記入が必要です。
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首塚大明神
京都の老ノ坂にある大枝山の首塚大明神。

行ったのは昔で京都の伝説を取材してた頃です。

老ノ坂と言えば京都から亀岡方面に向かう難所で、明智光秀が老ノ坂で「敵は本能寺にあり」と引き返したとの話もありますね。

この首塚大明神には、鬼の酒天童子の首が埋められているとされています。

時は平安時代、丹波の大江山の鬼が都に現れては金銀を奪ったり美女をさらったりしていました。

そこで、源頼光に酒天童子の退治の命が下り、源頼光は四天王らと大江山に向かい、何とか酒天童子や鬼たちを退治して、酒天童子の首を都へ運んでいたのです。

この老ノ坂で少し休んでいると、側のお地蔵様から「鬼の首のような不浄な物を都に持ち込んではならない」とお告げがあり、それから酒天童子の首はまったく動かせなくなったのです。

それで、その場に穴を掘って酒天童子の首を埋めて祀ったのが首塚大明神の始まりとされています。

この付近は交通の弁も悪くて桂からタクシーで行った記憶があります。

実は、この辺は有名でリアルな心霊スポットでもあって、いろいろ話もあったんですよね。

大江山と大枝山、同じ読みでややこしいですが、丹波の大江山からわざわざ何度も都を襲うのは無理はないか?本当は老ノ坂の大枝山ではなかったかと私は推測しています。

ちなみに、首塚大明神は首から上の病気に御利益あると言われています。
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軒端の梅
今年も京都の東北院へ軒端の梅を見に行って来ました。

東北院は真如堂の近くにあり、以前は拝観も出来なかったですが、昨年の時宗御朱印めぐりで御朱印もされるようになりましたが、コロナ禍で非常事態宣言中で現在は御朱印を中止されています。

この東北院は、かつて関白の藤原道長の「法成寺」の東北の位置にあるから「東北院」と名付けられたそうで、一条天皇の中宮で上東門院こと藤原彰子の住まいだったそうです。

また、このお寺のお堂には藤原彰子に仕えていた「和泉式部」も住んでいたと伝えられています。

和泉式部と言えば、いろいろな伝説が残っていますが、和泉守橘道貞や藤原保昌などと結婚し、冷泉院の皇子為尊・敦道の寵愛を受けるなど、様々な愛に生きた話が残されています。

また、娘の小式部内侍も百人一首に歌を残すほどの才女でもあったそうです。

その式部が残したと梅の木と言われているのが「軒端の梅」であり、とても愛して大切にしていたと言われています。

軒端の梅と言われる梅の木は他にも「清涼寺」などにもあるようですが、謡曲の「東北」に歌われているのは、この東北院の梅の木だそうです。

謡曲の「東北」によると、和泉式部が世を去って何年かが過ぎた時、一人の旅の僧がこの東北院を訪れました。

僧は、旅の途中で和泉式部を懐かしく思い、式部が暮らした「東北院」を訪ねて、彼女が愛した軒端の梅をぜひ見たいと思ってここまで来たのだでした。

僧が、式部を偲んで読経をしていると、いつしか夜になり辺りが暗闇に包まれると、どこからともなく式部の亡霊が現れたのです。

僧は目の前に式部が現れて驚きましが、式部の姿は生前と変わらぬ美しさで、黒髪は豊かで口の紅は露を含んで濡れたように艶やかでした。

式部の霊は僧に向かって、若き日の日々をこまごまと語って偲び、僧はただ懐かしく黙って頷いて聞いているだけだったそうです。

昨年は1月末にはずいぶん開花していたのですが、今年は寒いのかまだちらほらの感じでした。

それでも今でも、軒端の梅は白く美しい梅の花を咲かせ続けています。

また都合がつけば満開の頃に再訪したいです。
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世継地蔵尊功徳日大祭
京都の上徳寺で2月8日は世継地蔵尊功徳日大祭なのでお参りして来ました。

この2月8日は、世継地蔵尊の功徳日で、この日にお参りすると一億日の功徳があるとされる一億劫日功徳日の日で、私も毎年お参りしています。

まぁ一億日も生きてないんですけどね(笑)

しかし今年はコロナ禍で非常事態宣言中なので、護摩焚きや無料接待とかも中止で、名物の多幸焼き(たこ焼き)も中止でした・・多幸焼き食べたかったなぁ。

例年なら境内にいっぱいの人で多幸焼きとか行列なんですけど、今年はお参りもちらほらでした。

それでも功徳日には違いないので、お札などの授与はされるそうです。

御朱印と御影をいただきました。
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五条天神宮
京都の五条天神宮へお詣りして来ました。

五条天神宮は、昔は天使宮や天使の宮とも呼ばれて、いろんな伝説のある神社です。

天神宮の前の松原通り昔は五条通りで、松原橋が五条橋でした。

牛若丸と弁慶の出会いも、五条天神宮だとも言われています。

昔の境内はもっと広かったのですが、豊臣秀吉が無理やり境内に縦に通る路を造ったので境内が分断されてしまいました、それが今の天使突抜通りですね。

さて、五条天神宮では、毎年の節分にだけ日本最古と言われる宝船の絵が授与されています。

舟に稲穂が乗るだけのシンプルな物ですが、それだけに神秘的で素敵です。

また、明治に作られた宝船絵も授与されています。
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懸想文
京都の須賀神社さんへお詣りして来ました。

須賀神社さんでは、毎年の節分の2日間に懸想文売りが出るので人気です。

この懸想文は女性のお守りで、箪笥やクローゼットなどにしまっておくと、容姿が美しくなり、着物等が増え、良縁に恵まれるなどの御利益があるとされます。

毎年、遠方から来られる女性も多いですよ。

その懸想文を売るのが装束に身を包んだ懸想文売りですね。

今年は、コロナの影響で懸想文売りから買うには、一旦受付で申し込んで引換券をもらい、その引換券を懸想文売りに渡していただく形になります。

節分限定の御朱印もいただきました。

また、この時だけに売られる須賀多餅も、毎年買っていたのですが、今年は後に行く所がありじゃまになるのであきらめました。
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