2015年06月の記事


桔梗の寺
今日は何とか昨日の雨も上がりましたね。

今日は京都の東福寺の塔頭である「天得院」へ桔梗を見に行ってきました。

天得院は、慶長年間に清韓長老が住持となり豊臣秀吉や秀頼から寵遇されましたが、秀吉の没後に秀頼から方広寺の鐘の鐘銘を依頼され銘文中に「国家安康・君臣豊楽」の文があった事から徳川家を呪う物と指摘され、大阪の陣の原因になりました。

その後に天得院は取り壊されてしまいましたが、天明年間にようやく再建されたそうです。

また天得院は桔梗の寺として有名で、普段は非公開のお寺ですが、秋の紅葉の時期と初夏の桔梗の咲く時期にだけ拝観が出来るようになっています。

私は通年は廬山寺へ桔梗を見に行ってますが、今年は天得院へ行って見る事にしたのでした。

拝観は10時からとなってましたが、私を含む数人が待っていますとかなり早めに開門してくださって時間よりも早く拝観する事が出来ました。

お庭はそれほど広くはないですが、桔梗はたくさん植えられていてきれいに見頃を迎えてました。

お庭が広くない分、身近に桔梗を見れるのは良いですね。

また、白い桔梗も割りと咲いていてきれいでした。

紫色の桔梗も凜として良いですが、白い桔梗は清楚な感じがありますね。

窓から見えるお庭にも桔梗が見えていて雰囲気だしてますね。

お庭には苔が植えてありますが、それが桔梗ともよく合っています。

のんびりとお庭と桔梗を愛でられて楽しく過ごせました。
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沙羅の花
今日は久しぶりに京都の「妙心寺」の塔頭である「東林院」へ沙羅の花を見に行きました。

東林院は「沙羅双樹のお寺」として知られていましたが、沙羅双樹が枯れてからは沙羅の花が咲くお寺となりました。

東林院は普段は拝観できないお寺なのですが、この沙羅の花が咲く6月中旬から下旬にかけて「沙羅の花を愛でる会」として抹茶付き(和菓子あり)拝観として1600円で特別に拝観する事ができます。

さて、沙羅双樹と言えば平家物語の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」の分に出てくる、あの沙羅双樹ですね。

沙羅の花は本来はインドの植物で熱帯樹のために日本では育ち難いそうで、代わりに日本では「夏椿」の事を沙羅と呼ぶそうです。

沙羅双樹は沙羅の木が途中で二本に分かれているので双樹となり、沙羅の双樹で沙羅双樹と言う事になります。

かつて、このお寺の沙羅双樹は樹齢が300年にもなり以前は花を咲かせていましたが、数年前にとうとう花をつけなくなってしまったので、この木から種をとって植えた2代目の沙羅の木を庭に何本か植えられており、こちらは元気に白い花を咲かせています。

先にも書きましたが、沙羅双樹と言えば有名なのが平家物語に出てくる「祇園精舎の鐘の声、所行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす・・・」の部分ですね。

この沙羅双樹の花は、朝に咲き、夕に散っていく一日花と言われ「形のあるものは必ずこわれていく、形の美しいものも、その姿を永遠に保つ事はできない」と言う事を語っているように思えます。

白く美しい花が、そのまま散っていくのは哀しくもあり、また美しくもあるものでありますね。

樹齢300年の沙羅双樹の老木が花をつけなくなり、2代目の木が代わって花を咲かせていく・・・まさしく諸行無常、盛者必衰と言うところなのかも知れないですね。
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中敷きの謎
私は靴に衝撃吸収の中敷きを入れてますが、最近靴下にくっ付くのでおかしいと思って調べたらなんと裏返しになってました。

私は絶対に裏返してないし、会社ではロッカーに入れてるし、家では一人だし、裏返すには左右を入れ替えて両方を裏返さないといけないのにどうして何故裏返ったのか?

ほんとうに謎です。
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春風さんのメッセージ
タレントで現在中学生の春名風花さんが小学6年生の時、朝日新聞に寄せた「いじめている君へ」(2012年8月17日掲載)が掲載されました。

春名さんは9歳でツイッターを始め、こうして社会にもの申したとたん「子どものくせに」「死ね」といった大量の書き込みに傷ついてきた春名さんは、再びいじめている君へ「想像してください」と呼びかけました。

多くの人の心に響いたのか、春名さんのメッセージは、今もネット上で拡散しているそうです。



《いじめている君へ》君、想像したことある?

ぼくは小学6年生です。タレントだけど、ふつうの女の子です。

今から書く言葉は君には届かないかもしれない。だって、いじめてる子は、自分がいじめっ子だなんて思っていないから。

いじめがばれた時、いじめっ子が口をそろえて「じぶんはいじめてない」って言うのは、大人が言う保身(ほしん)のためだけじゃなく、その子の正直な気持ちじゃないかなと思います。

ただ遊んでいるだけなんだよね。自分より弱いおもちゃで。相手を人間だと思ってたら、いじめなんてできないよね。感情のおもむくままに、醜悪(しゅうあく)なゲームで遊んでいるんだもんね。

ぼくもツイッターでよく死ねとか消えろとかブスとかウザいとか言われます。顔が見えないから体は傷つかないけど、匿名(とくめい)なぶん、言葉のナイフは鋭(するど)いです。

ぼくだけでなく、時には家族を傷つけられることもある。涙が出ないくらい苦しくて、死にたくなる日もあります。

けれどぼくは、ぼくがいくら泣こうが、本当に自殺しようが、その人たちが何も感じないことを知っている。いじめられた子が苦しんで、泣いて、死んでも、いじめた子は変わらず明日も笑ってご飯を食べる。いじめは、いじめた人には「どうでもいいこと」なんです。


いじめを止めるのは、残念ながらいじめられた子の死ではありません。その子が死んでも、また他の子でいじめは続く。いじめは、いじめる子に想像力(そうぞうりょく)を持ってもらうことでしか止まらない。

いじめゲームをしている君へ。

あのね。キモい死ねと連日ネットで言われるぼくが生まれた日、パパとママはうれしくて、命にかえても守りたいと思って、ぼくがかわいくて、すごく泣いたらしいですよ。この子に出会うために生きてきたんだって思えるくらい幸せだったんだって。それは、ぼくが生意気(なまいき)になった今でも変わらないそうですよ。

想像してください。君があざ笑った子がはじめて立った日、はじめて歩いた日、はじめて笑った日、うれしくて泣いたり笑ったりした人たちの姿を。君がキモいウザいと思った人を、世界中の誰(だれ)よりも、じぶんの命にかえても、愛している人たちのことを。

そして、その人たちと同じように笑ったり泣いたりして君を育ててきた、君のお父さんやお母さんが、今の君を見てどう思うのか。

それは、君のちっぽけな優越感(ゆうえつかん)と引き換(か)えに失ってもいいものなのか。いま一度、考えてみてください。(はるな・ふうか=タレント)
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