2017年12月の記事


障害を持つという事
私は、交通事故で3ヶ月近く入院し、車椅子や松葉杖の生活をしてました。

実際に不自由な生活をしてみると、世の中が身体に障害を持つ方や不自由な方に不便な事に気が付きます。

エレベーターは、車椅子や松葉杖とかだと途中でドアが閉まるので怖いです。

病院などでは長く開くボタンがありますが、人が多いと押しにくい事もありました。

エスカレーターも、松葉杖では怖くて乗れませんでした。

エスカレーターは上りが楽なように上がりで付いてる所が多いですが、下りのエスカレーターはまだまだ少ないですよね。

足が不自由だったり、手が不自由だと上りよりも下りの方が怖くて難しいのですけど、そう言う事には配慮が無くて健常者の発想で作られてるのが多いですね。

お寺とかでも、床が汚れたり傷付くと言う事で、杖で内部に入ることを禁止したり、杖にカバーを付ける事を求める所も多いですね。

仕方のない部分もありますが、何となく寂しく感じてしまいます。


今年の初めの寒い日に、病院近くのコンビニの前に車椅子の女性が居られました。

私は入院患者さんだと思ってコンビニで買い物を終えて出てくると、まだ居られて私に挨拶されました。

私も挨拶を返して少しお話ししました。

車椅子の女性は病気で身体が動かなくなり、歩けないし左手も動かなくて右手だけが使えるそうでした。

家では御主人が介護されてたそうですが、御主人が腰を痛められて御主人も別の病院に入院が必要になり、その女性も御主人が回復されるまで入院されることになったのだそうです。

寒いのに外に居てるのは、眠るのに眠剤を飲まれるからかイビキがうるさいと同室の方からいろいろと文句言われて辛いから外に逃げてるのだそうです。

私がいろいろとお話を聞いてたら、家に帰りたいと泣きだされました。

いろいろと難しい問題もありますが、もう少し折り合えたら良いのですけどね。


その日は、慰めてお別れしたのですが、数日後にまたコンビニ前でお会いしました。

また、いろいろとお話したりしてたのですが、缶コーヒーを飲もうとされてタブを開けれないので開けてほしいと頼まれて開けてあげました。

考えると片手が不自由でられるので、缶を開けたりとかも出来なかったりするのですね。

ペットボトルとかも難しいのでしょうね。

普段は何も思わない事でも、実際に不自由な事例を見るといろいろと考えさせられてしまいます。

私は家に缶や蓋を力を入れずに開けられるグッズを持ってたので、次回にお会いしたら持ってきてあげようと思ってたのですが、それを最後にお目にかかることも無くなってしまいました。

きっと御主人が退院されて、自宅に戻って暮らしてられるのでしょうね。


普段の自分が何も感じずに普通に出来る事でも、何かが不自由になると出来なくなってしまう、そう痛感させられた出来事でした。


何かまとまりのない文章でグダグダと書きましたが、特に意図や他意はなく、もしも不快に思われた方が居られましたら謝罪いたします。
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讃美歌
いつくしみ深き 友なるイエスは

罪とが憂いを とり去りたもう

こころの嘆きを 包まず述べて

などかは下ろさぬ 負える重荷を


いつくしみ深き 友なるイエスは

われらの弱きを 知りて憐れむ

悩みかなしみに 沈めるときも

祈りにこたえて 慰めたもう


いつくしみ深き 友なるイエスは

かわらぬ愛もて 導きたもう

世の友われらを 棄て去るときも

祈りにこたえて 労りたまわん
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火事
今日の10時過ぎに粟田神社への帰りに三条通りの古川町商店街入口で火災がありました。

三条通りに面した家が全焼してて消防車が何台も停まってました。

火事側の歩道は通行止めでしたし、向かい側は野次馬が群がってましたね。

火事は自分だけでなく周囲も巻き込みますし、気を付けないといけないですね。
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洛陽十二支妙見めぐり
最近、始めていた京都の洛陽十二支妙見めぐりを満願しました。

洛陽十二支妙見めぐりは、京都の御所を中心に十二支の方位に妙見大菩薩をお祀りしたお寺を巡礼して周るものです。

日蓮宗のお寺が中心 なのですが、十二支の干支が祀られてるのも興味深いです。

京都の四方に散らばっているので少し大変でしたが、楽しく巡礼出来ました。
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義士追悼法要
今日は、12月14日で忠臣蔵の討ち入りの日ですね。

京都の岡崎にある義士の寺と通称される本妙寺の「四十七士記念義士祭」の義士追悼法要に参列してきました。

本妙寺は日蓮宗のお寺で、境内に赤穂義士の吉田忠左衛門と吉田沢右衛門および貝賀弥左衛門夫妻らの墓があり、義士の寺と呼ばれています。
ます。

昨日に御首題をいただきに訪れた折に、御住職から法要への参列を進められたので、もともと忠臣蔵が大好きな事もあり、法要に参列させていただきました。


宝物庫は普段は非公開ですが、年に一度の法要の時は宝物庫で法要が行われて中の宝物を拝観する事が出来ます。

法要は粛々として行われ、その後は墓地に移って墓石の前で供養の読経が行われ、私も手を合わせてお祈りさせていただきました。

宝物庫には、中央に四十七士の木像が安置されており、他にも浅野内匠頭や大石内蔵助に所縁の品々、さらに貝賀の手槍や義士たちの手紙なども奉納されています。

忠臣蔵ファンとしては数々の品々を興味深く見られて大満足でした。
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忠臣蔵
12月14日と言えば忠臣蔵で知られる赤穂浪士の討ち入りの日ですね。

京都でも、所縁のある寺社もあり、山科にある大石内蔵助の棲息地である岩屋寺や大石神社は知られています。

他にも所縁のお寺もあり、御朱印もありますので紹介したいと思います。


瑞光院(山科)

赤穂城主であった浅野内匠頭の夫人であった瑤泉院と族縁に当るところから、浅野家の香華祈願所となりました。

元禄14年に浅野内匠頭が江戸城中で吉良上野介に忍傷に及んで切腹したとき、当院内に供養塔が建てられたそうです。

また翌年に吉良上野介を討った大石内蔵助らが切腹したさい、その遺髪が寺内に葬られました。

境内には浅野稲荷が祀られており、赤穂浪士ら46義士の墓もあります。


来迎院(泉涌寺塔頭)

赤穂藩が取り潰しになり、山科で浪人中の大石内蔵助が泉涌寺付近にもよく訪れ、このお寺の名水のわくのを喜び建立した茶室含翠軒があります。

また大石内蔵助の念持仏であった勝軍地蔵菩薩像ほか遺品を多数所蔵しているそうです。


本妙寺(岡崎)

境内に赤穂義士の吉田忠左衛門と吉田沢右衛門および貝賀弥左衛門夫妻らの墓があります。

貝賀の手槍や義士たちの手紙なども奉納され、四十七士の木像を安置されています。

義士の寺と呼ばれています。


この他にも所縁のお寺とかもあり、14日には山科で赤穂義士まつりが行われて、毘沙門堂から大石神社まで義士行列が行われます。

また、本妙寺では義士祭が行われて追悼法要が行われます。
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狸山谷不動院
京都の狸谷山不動院で特別御開帳があったので行ってきました。

一条寺の山間にある真言宗の修験道系の寺院で、平安時代に桓武天皇が都の鬼門に不動尊を安置したのが始まりと言われています。

かつて、宮本武蔵がこの付近で剣の修業をしたとの伝説もあります。

狸谷山の名の通り、たくさんの狸さんが置かれていますね。

岩山の洞窟に祀られた不動尊が御本尊で、後に寺院が建てられたそうです。

本殿までは、250段の石段があって大変ですが、途中に弁財天や迎え大師像や弘法大師光明殿などがあり、休みながら上がれるのでそれほどしんどくはなかったです。

崖に沿うように建てられた本殿はなかなか見事で良いですね。

内陣の不動尊が特別公開されていたので拝観出来ましたが、暗闇に光る眼が怖いくらいの雰囲気でした。

少し石段がしんどかったですが、それでも聖地と言う感じで、前から来たかったのでお参り出来て良かったです。
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大根焚
昨日は、昨年に続いて鳴滝にある「了徳寺」の報恩講の「大根焚」に行ってきました。

この時期は大根焚きを行う寺院も多いですが、了徳寺のは歴史があり有名でテレビとかで紹介されたりしますね。

その由来は、浄土真宗の開祖である親鸞聖人が愛宕山中の月輪寺に師である法然上人の遺跡を訪ねた帰りに了徳寺を訪れ、村人たちに教えを説きました。

その教えに感銘を受けた村人たちがお礼に塩炊きの大根を馳走したそうです。

親鸞聖人はそのもてなしに応え、鍋の底の煤を溶いて墨とし、すすきの穂の束を筆代わりとして「帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)」という十字の名号を書いてそのお礼として残されました。

後に親鸞聖人を慕って訪れた蓮如上人の「南無阿弥陀仏」の書と一緒に本堂に掛けられています。

また、境内の本堂裏にはすすきを記念して「すすき塚」が築かれています。

こうした故事に因んで行われるのが報恩講の「大根焚」だそうで、京都の冬の風物詩になっていますね。

昨年も出かけて良かったので今年も行くと決めてたんですよね。

境内にはたくさんの大根が置かれて大きなお鍋で煮込まれていて、良いお出汁の香りが漂います。

大根焚は一椀1000円で、持ち帰れるお土産もありました。

料金を払ってチケットとお箸をいただいて本堂にあがり、テーブルについてチケットを渡すと、大きなお椀に入った大根とお揚げの煮たのが持ってこられます。

寒い中で熱々の大根はうれしいですね。

大根は大ぶりに切ってあり、薄味で美味しかったです。

その大根よりも美味しかったのが甘めの出汁が聞いているお揚げさんで、こちらは凄く美味しくてもっと食べたいくらいでした。

ああ、ご飯のおかずで食べたかったです。

ちなみに、かやくご飯の付いたのも1600円でいただけます。

今年も寒かったですが朝から出かけて良かったです、御朱印もいただきました。

あの、お揚げがほんとうに美味しくて、また来年も行きたくなってしまいます。
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織田信長お参り
京都の新京極を歩いていて、そろそろ本能寺の銀杏もきれいかなと気になって、寺町商店街にある本能寺へ寄ってみました。

本能寺と言えば本能寺の変が有名ですね。

当時の本能寺の場所は異なるのですが、今は新京極の北の寺町商店街にあり、織田信長を始め本能寺の変で亡くなった人々の廟となっています、。

その信長公廟の横に大きな銀杏の木が立っていますが、かつて本能寺で火災があった時に銀杏の木から水が吹いて火災を防いだ事から火伏せ銀杏と呼ばれています。

大きな銀杏の木は黄色く染まって見事でした。

そう言えば本能寺は火災にたびたび遭ったので、本能寺の能の字がヒが2つ並んでいるのを嫌って、ヒの代わりに去の字を使った能の字を使っています。

織田信長の廟にもお参りすると、信長つながりで織田信長の本廟にもお参りしたくなって阿弥陀寺にも向かいました。

京都の上京区の寺町通りにある阿弥陀寺は織田信長の本廟とされています。

歴史的に本能寺の変で討たれた信長の遺体は見つかっていない事になっています。

阿弥陀寺の寺伝では、当時は阿弥陀寺の住職と信長は親交があり、本能寺の変の報を受けた住職は本能寺へ駆けつけ、裏庭の方で信長の遺骸を運び出した家臣と遭遇し、信長の頭を託されて、残った胴体は焼いて見つからないようにしたそうです。

その後に、阿弥陀寺では織田信長の頭部を供養して墓所とするのですが、羽柴秀吉は自分が引き取って供養したいと申し出たのですが、信長の後継者争いに利用される事を避けて断り、阿弥陀寺でお祀り続ける事にしました。

ちなみに、秀吉はどうしても信長の後継者の立場を採りたいために、大徳寺で信長の法要を行い、菩提寺として総見院を建立しました。


阿弥陀寺では、墓地に行き、織田信長の墓所をお参りして静かに手を合わせました。

余談ですが、阿弥陀寺にある信長の木造と、総見院にある信長の木像はいずれも信長を実際に知っている人が作ったものでどちらも良く似ています。

さらに、一般に知られている織田信長の肖像画にも似ているので、一般に知られている信長の姿はほぼ似ているのかなと思っています。
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