2010年01月の記事


お多福さん
今日は朝から京都の上七軒から西陣付近を散策してきた。

初めに市バスで北野白梅町まで行って、ぶらぶら歩きながら北野天満宮に向かう。

北野天満宮は初詣でも来てるんだけどね、もう受験の時期だから朝から受験生らしい学生さんとか親子連れの参拝者が多いよ。

少しお話した母娘のお二人は関東から来られたとか、やはり学業のご利益があるとして有名なんだよね。

境内では、早咲きの梅の花がちらほらと花を咲かせてました、受験生の人達も希望の花が早く咲くと良いのにね。


次に向かったのは千本釈迦堂として知られている大報恩寺。

この千本釈迦堂の本堂は鎌倉初期の建物で、応仁の乱の戦火も免れて、京都市内の最古の木造建築物として国宝に指定されている。

さて、この千本釈迦堂と言えば阿亀さんの哀しい伝説で有名である。

むかし、この本堂を建てる時に「長井飛騨守高次」と言う大工の棟梁が腕前を見込まれて工事を任された。

しかし、高次は柱の一本を間違って短く切ってしまい悩んでしまう。

高次の妻の「阿亀」(おかめ)さんが「このさい、残りの柱も短くして、代わりに枡型を組んでみたら」とアドバイスして、高次は妻の言うようにしてみるとバランスが取れてうまく解決できた。

しかし、阿亀さんは、夫の失敗を妻の助言で救われたとあっては夫の恥になると思い、上棟式を待たずに自らの命を絶って秘密を守ったと言う。

高次は棟梁としての面目は保ったが、大切な妻を失ってしまう。

亡き妻の冥福を祈って、高次は「おかめ塚」を建てたと言われ、今でも「おかめさん」の像とともに多くの人に親しまれている。

私の個人的には、なぜ妻のおかめさんが死ななければいけないのか納得できないし疑問にも思う、妻が自刃してその得を称えるよりも、夫をフォローして夫婦が協力したという方がよほど素晴らしいと思うのだが、昔と今とでは倫理観も違うのだろうが、妻が夫の犠牲になるのを美学にするのはどうも後味が悪い気がする。

私が夫なら自分の名声とかより妻の方がよほど大事だと思うし、なぜ死んだと怒りと哀しみに包まれると思う。

おかめさんは、また「お多福さん」としても知られていて、京都では「おたやん」と呼び親しまれていて、穏やかでふくよかな笑顔は見ているものを癒すような優しさを感じてしまう。

また、高次がお堂の棟にに阿亀さんの面を取り付けて偲んだと言われる事から、京都の町屋とかでは家を建てる時に屋根裏に阿亀さんの「おたやん」の面の付いた幣串を置くと「おたやん」が家を守ってくれるとされる縁起物でもある。

そういう関係でお寺のお堂にはいろいろなお多福やおかめさんが展示されてもいるし、お寺の受付でもお面や人形が売られている。

境内には、「阿亀桜」と言うりっぱな桜の木があり、毎年春には美しい花を咲かせておかめ塚にまさしく花を添えている。

「わたしゃ お多福 御室の桜 ハナが低くても 人が好く」と御室桜を歌った戯れ歌があるが、この歌のように阿亀桜も多くの人の目を楽しませて好かれている桜である。

私も毎年桜の時期には阿亀桜を愛でに来るのが楽しみにしているのである。

なお節分には、おかめ節分と呼ばれる鬼追いの儀式が行われ、暴れる鬼をおかめさんが笑顔で追い返すと言う独特の物で人気である。

哀しい伝説が信じられないように、おかめさんの像は今日も穏やかな笑顔で来る人を迎えている。

もうすぐ節分だが、この阿亀さんのお多福さんで福を呼び込んでくださいな。

それから、堀川寺之内まで行き、人形の寺として知られている宝鏡寺に雛人形を見に行った。

この宝鏡寺は多くの皇女が住職を勤めた門跡寺院で、百々御所とも呼ばれていて、幕末に皇女でありながら公武合体のために徳川家茂に降嫁した皇女・和宮が幼い頃に過ごした場所でもある。

そう言う意味もあって皇室所縁の人形や品物も多く所蔵しており、また人形の供養も行っているために人形の寺として知られている。

普段は非公開のお寺で、春と秋にだけ人形展を開いて一般に公開されているのである。

今の時期も、春の雛祭りにあわせて、雛人形の展示とか行われている。

和宮の所縁の品物とか雛人形とか興味深く見て楽しめた。

こうして、北野天満宮から千本釈迦堂の阿亀さん、それに宝鏡寺の雛人形と見て周ってきて、少し春の気配が感じられた散策だった。
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THE ハプスブルグ
今日は、また会社の職場が一時帰休で休みにされてしまった・・・仕事も忙しくて詰まってるし、賃金も八割支給になるのでお休みでもうれしくないんだけどね。

この先が不安だよ。

まぁ、とにかくお休み(一応は自宅待機らしい)なので、京都の京都国立博物館で開催されている「THE ハプスブルグ」の展覧会を見に行って来た。

ハプスグルグ家と言えばドイツを中心に600年以上もヨーロッパに君臨した名門王家で、ヨーロッパの各国や王家に王や王妃などを輩出して栄華を誇った一族である。

あのマリア・テレジアや、その娘のマリー・アントワネットもハプスブルグ家の一族となる。

また日本の女優である鰐淵晴子さんも母親がドイツの方で、ハプスブルグの血を引いてられるそうだ。

ハプスブル家と言えば芸術を愛して多くの美術品や絵画、工芸品などを蔵し、ベラスケスやルーベンス、ラファエロやゴヤなどなど16世紀から18世紀の名画でも知られている。

平日だから空いてるかなと思っていたが、開場前には列が出来るほどの人気で思ったよりも入場者が多くて驚いた。

やはり人気があるんですな。

私の場合は、中野京子さんの「怖い絵」のシリーズが好きなので、ハプスブルグ家にも興味もあって、特に肖像画とか面白く見られたよ。

特に「怖い絵3」にも出てきたベラスケスの「皇太子フェリペ・プロスペロ」の実物を見ることが出来て感動だよ、この、まだ二歳の可愛い王子が、二年後には4歳で儚くなるんだもんな・・・

他にも、マリア・テレジアの少女の頃を画いたメラーの作品とか高貴で美しい姿が印象的だよ。

いろいろと絵画や美術品を久しぶりに堪能できて満足だった。

ただ博物館の常設展示館が、まだ工事中で見れないままなのが少し残念、毎年雛人形展を楽しみにしてたのに、今年は見れないみたいだね。
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久しぶりの伝説巡り
今日もとても寒かった。

私の京都伝説巡りもここのところあまり取材にも行けてなくて停滞気味だったけれど、今日は久しぶりに取材であちこち周ってきた。

早朝の京都は雪がちらちら降ってたよ、その中で小学生くらいの子供との親子連れが多いなぁって思ってたら今日は中学の受験日だそうで、そういえば大学もセンター試験かの受験日だったよね。

付き添いの親御さんとかも大変だね。

さて、京都伝説巡りの取材だけれど、まずは上品蓮台寺の墓地にある「源頼光朝臣塚」の取材。

あの大江山酒呑童子や土蜘蛛退治でしられる源頼光の塚である。

墓地の奥のほうの木の下に石碑が建てられているのだけれど、前から見たいと思ってなかなか来れなかったのがようやく見ることが出来て満足である。

そこから市バスを乗り継いで、次は相国寺を通り抜けて上御霊神社に向かう。

ここは何度か来ているが、やはり御霊を祀る神社なだけに気が引き締まる思いがする。

次は、地下鉄・市バスと乗り継いで熊野神社前で降りて、聖護院の準提堂に「お俊・伝兵衛恋情塚」の取材をかねてお参りする。

ここには以前に崇徳院地蔵の取材に来た事があったから懐かしい。

ついでに、向かいにある須賀神社内の交通神社にお参りして、交通安全のお守りを貰う。

交通神社と言うのは、須賀神社に合祀されていた八衞比古(やちまたひこのみこと)・八衞比賣(やちまたひめのみこと)の二神を分祀し、昭和39年に建立されたものである。

八衞比古・八衞比賣神は夫婦神であり、外部から侵入してくる邪神・魑魅魍魎(ちみもうりょう)を防いでくれる神様であるために交通や旅行の安全、旅館業の守り神として信仰されているところから、神社も「交通神社」と名づけられたと言う。

また、この須賀神社も普段は静かな人気の少ない神社であるが、節分の日には境内に懸想文売りが現れて懸想文を売る事で有名で、この懸想文(恋文)をタンスの奥にしまっておくと美人になり、良縁に恵まれたり着物が増えたりと女性にはありがたいもので人気があり、遠方から求めに来られる人も多いそうだ。

私は二年前に買ったことがあるが、今年は節分が平日なので行けないのが残念である。

こうして、久しぶりに京都の伝説巡りをしたけど、やはり楽しし、これからも頑張って周って行きたいと思う。
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寅の寺
少し前で昨年末の事だけれど、奈良の「信貴山朝護孫子寺」に行ってきた。

今年は寅年だからね、寅に所縁のあるお寺といえば信貴山を思い浮かべてしまう。

ちょうど大阪と奈良の境目付近の生駒山系にあるのだけれど、遠かったよ。

うちからだと、京阪バスー京阪電車ーJR環状線ー近鉄大阪線ー近鉄信貴線ーケーブルカーー近鉄バスとたくさん乗り換えてようやく到着である。

信貴山も歴史のある古刹である、なぜ寅に縁があるかと言うと創建時の伝説に関係がある。

今から1400年以上も前の聖徳太子の頃である。

聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中で、この山に至った。

聖徳太子が戦勝の祈願をすると、天空から毘沙門天王が出現し、太子は必勝の秘法を授かたのである。

その日が、奇しくも寅年、寅日、寅の刻であったのだった。

聖徳太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建すると、信ずべし貴ぶべき山「信貴山」と名付けたのである。

それ以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されているそうだ。


また朝護孫子寺の名前にも謂れがある。

醍醐天皇が病気となり、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をすることになった。

そして加持祈祷のご利益もあり醍醐天皇の病気は、たちまちにして回復し癒えたのである。

それにより醍醐天皇の、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなったという。

山の上のお寺なだけに澄んだ空気の中で、お寺の参道でまず迎えられるのが巨大な張子の虎である。

さすがに虎にゆかりのあるお寺であり、その張り子の寅は大きすぎて下からでは顔が見えない。

これが、よく見かける首振り虎になっていて、強い風が吹くと首がゆらゆらと揺れる仕掛けになっている。

また、その近くには二匹の寅の置物も置かれている。

境内のあちこちにも寅にまつわるものや、寅の石像などが祀られていて、寅の狛犬ならぬ狛寅が置かれているところもある。

面白いのは、寅の体内くぐりと言うのもあって前と後ろが大きな寅の口になっていて、その口から中を入っていってお参りすると、下が四国八十八ヶ所の砂が埋められていて、お参りしたのと同じ御利益があるそうだ。

笑寅と言う石像は信貴山で最古の寅の石像だそうで、以前はもっと恐い顔であったそうであるが、火災に遭って焼けてから笑っているような穏やかな表情に変わったと言う。

他にも、いくつか金網で囲まれた寅の像がいくつかあるが、これは御利益があるからと石像を削って持ち帰る人が増えたために、金網で防ぐようにしたのだそうだ。

また寅が三匹集まっているのは三寅の福と言って、寅年に寅年生まれの人が寅のお寺に参ることで寅が三つそろい、福が得られると言う事らしい。

朝護孫子寺は山をお寺としているために、広い境内に多くの塔頭があり、本堂も山の崖の上のような場所に建てられているので見晴らしが凄くよくて爽快である。

とにかく、あちこちに寅が置かれていて、それを探して歩くだけでも楽しかったりした。

遠いので、なかなか行き難い部分もあるが、足を伸ばして寅年の今年にお参りしてみるのも良いのではないだろうか。
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奈良散策
今日は久しぶりに奈良を散策してきた。

奈良には春の桜か秋の紅葉や銀杏を見に行く事が多いのだけど、昨年はどちらも行けなくて、奈良に行きたい気分が溜まってたんだよね。

京都と奈良とは同じ古都でも雰囲気が違うんだよね、奈良は自然に囲まれた静粛な感じかな。

早朝から近鉄電車で奈良まで行くと、南円堂から春日大社に向かう。

春日大社の参道付近にある飛火野の雰囲気とか好きなんだよなぁ、鹿とか自然な感じでいて、見ていて飽きないよ。

春日大社でお参りしてから、若草山の前を通って東大寺の三月堂方面に向かう、若草山は工事していて閉鎖してるんだね、工事の場所にも鹿が群れてたりして、なんとなく変な感じ。


二月堂・三月堂をお参りして、大仏殿に向かう。

大仏殿も何度も来て大仏様も何度も見ているけれど、いつもても大きさに圧倒されるね。

「大仏は見るものにして尊ばず」なんて言葉もあるけれど、たいていの人が大仏殿に入ると大仏様に見惚れて、しばらくしてから思い出したように拝むのが面白いね。

大仏殿も最近はアジア系の団体旅行が多いね・・・

大仏殿を出ると、参道に鹿がたむろしてるので、しばし鹿と遊ぶ。

鹿も鹿せんべぇの売り場で待ってるんだよね、それで鹿せんべぇを買ったと見るや四方から取り囲んで催促の嵐・・・

私も小鹿にせんべいをやろうと買ったとたんに周りを鹿に取り囲まれてお尻や股間を突かれたり、バックを引っ張られたり、まるで強請りだよ(笑)

1分くらいで無くなりました。

お土産屋さんでお土産を買うついでに、もう一つ鹿せんべいを買って、こちらはポケットにそっと隠す。

そこから、興福寺方面に歩いていると、小鹿が足を引きずるように一匹で歩いてたので、足が悪いのかなって気になって、その子に先ほどポケットに隠した鹿せんべぇをやるとうれしそうに食べてるよ、お腹空いてたのかな。

どこまでも着いてくるので、結局、持ってたせんべえを全部やってしまったよ♪


興福寺の宝物館では、久しぶりに阿修羅と対面する、阿修羅は何度も見てるんだけどね、昨年は東京とかでも公開されて大人気になったんだよね。

興福寺でも1月18日から2月いっぱいくらいまで工事のために見られなくなるそうだ。

興福寺の仏像では、天燈鬼や龍燈鬼も好きなんだけど、やはり阿修羅像が良いですね、阿修羅と言えば萩尾望都さんの「百億の昼と千億の夜」は私の大好きな名作で、この作品で阿修羅が大好きになったんだよ。

阿修羅像を満喫した後は、三条通かあもちいどのセンター街に入ったところにある「麺闘庵」と言うおうどん屋さんに入る。

このお店は「巾着うどん」と言うおうどんがテレビなどで取り上げられ大人気のお店で、私も一度食べてみたいとずっと思ってたお店だ。

巾着うどんと言うのはお出汁で煮た大きなお揚げの中にうどんが入っていて、見た目はお鉢の出汁の中に大きなお揚げが浮かんでる感じ。

それで、お揚げを割ってみると中からうどんが出てくる趣向になっている。

逆きつねうどんって感じかな、ほんとにマスコミで取り上げられる事も多くて、私も二度ほどテレビで見てるしね、お店の前にも取り上げられた様子が張り出されているよ。

お揚げは、割りとしっかりした感じで出しで煮込んであって良い味してるよ、おうどんも腰があって美味しかったし、お出汁もなかなか良かったと思う。

見た目だけでなく、しっかりうどんとしても美味しかったと思うけれど、お揚げの口を結んでいるネギが少し解き難い気がしたね。


そう言う事で、のんびりと奈良を散策して鹿と遊んだり、阿修羅も見れたし、念願の巾着うどんも食べれて楽しい散策になったよ。
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覚え書き
年末年始の覚え書きです。

12月26日(土)

午前中、恵美須町のジョーシンで買い物。

夕方にUSJ、イルミネーション見に行く。


12月27日(日)

信貴山朝護孫子寺に参拝。


12月28日(月)

守口京阪百貨店に海洋堂フェアを見に行く。


12月29日(火)

イオン大日に買い物


12月30日(水)

守口京阪百貨店に買い物


12月31日(木)

京都の実家帰省

京都駅ビル、手塚治虫ワールド買い物


1月1日(金)

初詣、北野天満宮・伏見稲荷・東丸神社・八坂神社

鳴虎報恩寺に鳴虎図を見に行く


1月2日(土)

早朝帰宅

岩清水八幡宮に初詣

1月3日(日)・4日(月)

自宅で静養


年末に一時帰休で休みは増えたけど、なんか、あちこちハードな年末年始だったなぁ。
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鳴虎
お正月の元日に初詣のついでに、堀川寺之内にある報恩寺に鳴虎の掛け軸を見に行って来た。

報恩寺は、人形の寺として知られる宝鏡寺や茶道の今日庵や不審庵の近くであり、このお寺にはつかずの鐘の伝説があり、私も何度か訪れているお寺でもある。

それほど大きくないお寺であるが、由緒のあるお寺であり多くの寺宝も持っている。

寺伝によると室町時代に一条高倉に開創したとあり、法園寺または法音寺という天台・浄土兼学の寺であったが、文亀元年(1501年)に後柏原天皇の勅命で慶譽(きょうよ)が堀川今出川の舟橋の地に再興し、浄土宗報恩寺と改めたとある。

さて、報恩寺が鳴虎と通称されるのは初めに書いたように鳴虎図と言う大軸物に由来する。

後柏原天皇より下賜されたものだそうで、中国の仁智殿四明陶佾が宣によって描いたものと言われ、虎が谷川の水を飲んでいる姿を描いたもので、背後に松が描かれて二羽のカササギが止まっている。

中国の東北の山岳地帯の様子かと思われ宋から明代の作だそうであるが筆者についての仔細は不明のようだ。

この虎の絵は見る方向によって見え方が変わって見え、向かって右から見ると虎のお尻や後ろ足とか小さく見えて、こちらに向かっているように見える。

逆に、向かって左から見ると虎の横から見ているように見えてくるのである。

この虎の軸物が鳴虎図と呼ばれるには、あの豊臣秀吉が関わっているのだそうだ。

当時、秀吉はひんぱんに報恩寺を訪れていたが、虎の図が気に入って聚楽第でゆっくり見たいからと強引に借りて帰り、聚楽第の床に掛けて楽しんでいた。

しかし、夜になると掛け軸の虎が吠えるので秀吉は眠れなくなり、

「これは鳴き虎じゃ、すぐに寺に返せ」

と言い、翌朝早々に寺に返却されたそうだ。

それを由来として、この虎の図が鳴虎図と呼ばれ、それが寺の通称にもなったのである。

しかし、秀吉にはこういう逸話が多く、石仏とかも無理やり持って帰ったが、異変がおきて返してくるのが他の伝説にも残っている。

この鳴虎の図は、傷まないようにと普段は非公開とされており(このお寺自体が観光寺院ではないので、普段は本堂には入れない)、寅年のお正月の三が日のみ、他の寺宝とともに有料(心持)で公開され見ることができるのである。

つまり、今年のお正月を見逃すと、次は基本的に12年後の寅年の三が日まで見ることができないので貴重なのだ。

やはり、そういう貴重な機会だからか私が見に行った時も、次々と人が訪れて鳴虎図を鑑賞していった。

ちなみに、今回の鳴虎図が展示されていた本堂の客殿は、武将として有名な黒田長政が死去した部屋でもあると言う。


また、このお寺には先に書いたようにつかずの鐘と呼ばれる鐘が鐘楼に吊られている。

このつかずの鐘には以前に京都伝説巡りでも取り上げたが、哀しい伝説が残されている。


江戸時代、西陣に近いため、お寺の近くに古い織屋があった。

店には十五歳の丁稚と十三歳の織女が働いていたが、二人はなぜか仲が悪く、顔を合わすとけんかするなどいがみあっていた。

ある時、二人は報恩寺の夕方の鐘の数をめぐって口論になった。

鳴らす鐘の数が織女は「九つ」、丁稚は「八つ」と主張し、お互いが譲らずに賭けることとなり、そして間違った方が何でもすると約束した。

年上で悪知恵のはたらく丁稚がこっそり店を抜けて念のために寺男に問うと、正解は織女のいうように「九つ」だと言う。

このままでは負けてしまうので、丁稚は「今日だけは数を八つにしてほしい」と頼みこみ、事情を知らない寺男は気軽に引き受けた。

その日の夕方、鐘の数を数えていたところ、九つ目が鳴らない。

「それみろ」と丁稚から、さんざん悪口を浴びせられた織女は悔しさのあまり、鐘楼に帯をかけ首をつって亡くなってしまう。

それ以来、夕方になると鐘の周囲に恨めしげな表情の織女の霊が現れるようになり、お寺も鐘を突くのをやめ、代々、「つかずの鐘」として伝わってきたという。

今でも、除夜の鐘でしかつかれないそうだ。

かつて、織女と丁稚の話を再現ドラマにと、テレビ番組で撮影を頼まれ、特別に鐘を突くのを許したことがある。

しかし、織女役の女優が鐘楼の梁(はり)にぶら下がろうとしたところ、ささくれた木が手に刺さったというエピソードもある。

そう言った伝説のある鐘であるが、本来は国の重要文化財にも指定されている梵鐘で、平安時代後期の製作で足利幕府で執権であった畠山持国が陣鐘に用いたとも伝わっている。

とにかく、鳴虎の貴重な掛け軸も見れたし、他の寺宝も貴重な物ばかりで、大満足できた私だった。
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初詣
あけましておめでとうございます、旧年中はお世話になりました。

本年も変わりませず、よろしくお願いいたします。

皆様の御健康と御多幸をお祈りしております。


さて、大晦日から二日早朝まで京都の実家に戻っていた。

大晦日は、一旦実家に荷物を置いてから、京都駅周辺と実家近くのジャスコでうろうろとお買い物をして終わり。

年が明けて新年になると、まだ暗いうちに実家を出て市バスに乗り、北野天満宮へ初詣。

北野天満宮は大晦日から参拝客が続いているようで、まだ暗いうちでも受験生と思われる学生さんや家族連れの参拝が途絶える事も無く続いている。

やはり受験と言えば北野天満宮だからね、参道にも露店がいっぱいで楽しいね。

私は甥っ子の分と、お友達の娘さんの分を絵馬を奉納してお参りした。

北野天満宮を出ると、再び市バスで出町柳駅へ行き、そこから京阪電車で伏見稲荷さんへ向かった。

伏見稲荷さんと言えば関西ではトップクラスの参拝客が来る事で有名だよね、混雑が心配だったけど、まだ朝が早かったのでそれほどの混雑では無かったよ、それでも参拝客は多かったけどね。

伏見稲荷さんでは、上には周らずに本殿だけをお参りして、境内の一隅にある東丸神社にお参りする。

この東丸神社も学業の神様で、ここでも合格祈願のお参りをしてお守りを買う。

その時に、酔っ払った数人の若者のグループが来て、東丸神社の社務所で騒ぎ出した。

おみくじがどうこう騒いでるのだけど酔っ払って大声で騒いで、何しに神社来てるんだろって思うよ。

それでは御利益どころか神罰が当たると思う、きっちり神主さんに罰が当たるぞって叱られてたけどね。

時々、神社とかで遊びに来てる若い人とか見かけるけど、神社は基本的に神様の神聖な場所で信仰の場所だと言う事を忘れないで欲しい。

露店とかも出てるけれど、ゴミとか境内に捨ててる人とかもいるしね、ゴミはゴミバコへ入れるか持ち帰る、神社やお寺でなくてもマナーでしょ。

伏見稲荷から、再び京阪電車で清水五条駅まで行き、そこから清水寺方面に向かう。

毎年、元旦は清水から八坂さんへ向かうのが恒例にしてるんだよね。

でも、今年はまだ予定があるので、清水寺には寄らずに三年坂の所で八坂神社へ向かった。

八坂神社でお参りを済ませると、次は、また市バスで堀川今出川まで行く。

実は、鳴虎と通称される報恩寺には鳴虎と呼ばれる秀吉所縁の日本画があるのだが、傷まないように非公開にされてて、寅年の三が日にだけ公開されるので、今年が12年振りに公開されるのである。

コレを見逃すと、次は12年後まで見れないからどうしても見たかったのだ。

報恩寺は何度か来てるので、無事に見ることが出来て興奮、これはまた別の機会に書きますね。

報恩寺を出ると市バスでいったん京都駅に戻って、そこから東寺まで歩いてからお参りして実家に戻った。



それで元日が終わって、今日は二日だね。

早朝に実家を出てタクシーで京阪七条駅まで行き、始発電車で寝屋川の家まで戻って来た。

しかし、私の初詣の本番はこれからで、私は本気の初詣は岩清水八幡宮に行くので、荷物を置いて昨年に貰ったお札と破魔矢を持って、再び京阪電車へ。

京阪電車に乗り、八幡駅で降りると岩清水八幡宮に向かった。

岩清水さんは御山の上に神殿があるのでケーブルカーもあるのだけど、私は足で歩いて上がると決めてるので、てくてく歩いて御山へ上がる。

岩清水八幡宮も初詣の参拝者で賑わっている。

特製の破魔矢をいただいてお払いを受け、それから岩清水八幡宮の本殿から、他の各御社をお参りしてまわった。

それから御神籤を引いたり、お守りを買ったりしてようやく初詣も終わって下山したよ。

露店では栗の焼きポンが美味しそうだったので買って帰った。

京阪電車で、寝屋川に戻り、家に帰ってようやく落ち着けたよ。
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