2012年07月の記事


新世界
昨日は、午後から狂言を見に行ったのだけど、午前中は暇なので時間つぶしに天王寺や新世界をぶらぶらしていたよ。

天王寺公園付近もきれいになって落ち着いたよね、今の若い人は知らないだろうけど昔のゴタゴタしてる時代を知ってるからきれいになったと思うよ。


実は、新世界付近は苦手な私。

まだ十代の若い頃に、何も知らずに新世界の映画館に映画を見に行ってトイレで知らないおっちゃんに痴漢されてから(オイオイ)少し怖くて敬遠気味なんだよね。

だから、動物園から向こうはほとんど行った事がないんだよね。

久しぶりにうろうろして昔とは変わってるんだろうけど、それでも変な人とかも多いしね、恐々って感じだよ。

新世界も、シンボルなビリケンさんがあちこちのお店の前に置かれててビリケンばかりやね、お店によってはいろいろなタイプのビリケンさんが作られててこれはこれで面白いね。

通天閣も朝から観光客で賑わってるし、並んでるので外からだけでスルー。

新世界に置いてある自販機も飲み物が50円からで安いねぇ。

それから動物園に入ってのんびり動物を見ながら散策して楽しかったよ。
コメント (0)

納涼 茂山狂言祭2012
今年も、私が毎年楽しみにしている大蔵流狂言の茂山家の「納涼 茂山狂言祭2012」を、大阪の大槻能楽堂まで見に行ってきたよ。

狂言の茂山家と言えば京都の大蔵流の狂言で、人間国宝の茂山千作を頂点に、茂山千五郎家を中心とした人気の狂言家である。

いつも人気が高くてチケットも取りにくいのだけれど、特に夏に東京と大阪で行われる納涼茂山狂言祭は、リクエスト狂言とも言われて事前に行われたアンケートなどで狂言の曲目や演者が決められてるので人気が高く、ファンご好みの曲目や演者を見られると言うものだ。


○お話

茂山あきら


○梟(ふくろう)

山伏:茂山七五三
太郎:茂山童司
兄:茂山逸平
後見:増田浩紀

兄の逸平が山から帰ってきてから様子がおかしいので、弟は薬を飲ませたりしたがいっこうに効き目が無い。

心配した弟は、山伏に治療してくれるように頼んだ。

山伏が逸平に向かって一心に祈ると、突然に太郎は「ホホン」とおかしな奇声をあげる。

不思議に思った山伏が弟に尋ねると、兄は山で梟の巣を下ろした事が判り、さては梟が憑いたに違いないと考えた山伏は、梟の嫌いな烏の印を結んで懸命に祈るのだった。

ところが、兄ばかりか今度は弟にも梟が憑いて弟も鳴き始めてしまった。

驚いた山伏は、それでも何とかしようと兄弟の間を右往左往しながら祈り続けるうちに、とうとう自分にも梟が憑いてしまったのだった。



○痿痢(しびり)

太郎冠者:茂山千五郎
主人:茂山あきら
後見:井口竜也

主人は、急に客が来る事になったので太郎冠者を呼び出して、和泉の堺まで肴を買いに行くように命じた。

太郎冠者は行きたくないので仮病をつかって逃げようと「しびり」が来たと大袈裟に痛がった。

主人は、マジナイでしびりを治そうとすると、太郎冠者は自分のしびりは親からの遺伝でマジナイは効かないと言う。

主人は太郎冠者が仮病である事に気づいて、伯父から使いが来て今夜にご馳走をするから太郎冠者も連れて来いと言われたが、太郎冠者がしびりで行けないので、代わりに次郎冠者を連れて行くと言った。

それを聴いた太郎冠者は、このままではせっかくのご馳走にありつけないと思い、自分のしびりは言い聞かせれば治ると言い出し、足に向かって治るように言い聞かせ、そして治ったと言って元気に飛び跳ねて見せる。

主人は治ったなら堺へ行けと命じると太郎冠者は、またしびりが起きたと言い訳する。



○花子(はなご)

夫:茂山宗彦
女房:茂山正邦
太郎冠者:茂山逸平
後見:茂山七五三・茂山あきら


夫は、以前に美濃国野上の宿で馴染みになった遊女の花子が都へ上って来て、自分に会いたいと言う手紙を貰う。

そこで、何とか花子に会いたいと思い、女房に疑われないように家から外出できるように、持仏堂に篭って一晩座禅をくむと言って何とか外出することが出来た。

座禅の妨げになるから決して見に来るなと女房に念を押した夫は、さらに万が一に備えて嫌がる太郎冠者に座禅衾を被せて身代わりにすると自分は花子に会いに出かけていった。

女房は、やはり気になって様子を見に来ると座禅衾を取るとそこに居たのは身代わりの太郎冠者である。

怒った女房は太郎冠者の代わりに座禅衾を被って夫の帰りを待ち受ける。

やがて帰って来た夫は、太郎冠者に語ってるつもりで花子との逢瀬を小唄交じりに聞かせるのだった。

しかし、座禅衾を取って表れたのは怒りと嫉妬で燃えた女房だった。




今年も、茂山家の狂言を堪能できた。

今回は、狂言の中でも一時間近くかかる大作の「花子」を、大阪では兄の茂山宗彦、東京では弟の茂山逸平と兄弟で演じるのが目玉となっている。

今日の公演では茂山宗彦さんが熱演してうまく演じて良かったよ。

いつも人気の茂山家の狂言会だけど、最近は御高齢の方が見に来られるのも増えているみたいで、今日も能楽堂への道を訪ねられたのが縁で初めて狂言を見に来られた御婦人とお話しする時間があったのだが、「歳取って家にいるよりもいろいろと興味持ちたい」と話してられて、そういう御老人が元気で良いなぁって思ったよ。
コメント (0)

蓮の花
今年も夏本番で蓮の花が咲く時期になってきたね。

昨日は、京都の花園にある法金剛院へ蓮の花を見に行ってたよ。

法金剛院は待賢門院に所縁のお寺である、待賢門院は白河法皇を後ろ盾に鳥羽天皇の皇后となり崇徳院を生んだ女性であり、美しい女性であったそうであるが白河法皇に気に入られてたために崇徳院の誕生に関していろいろと噂も立てられてしまった。

白河法皇の崩御後は、鳥羽上皇から遠ざけられて不遇となってしまう。

法金剛院には、その待賢門院が極楽浄土として造園させた池泉廻遊式浄土庭園があり、巨石を並べた青女の滝が有名である。

その池には極楽浄土を現すように、たくさんの蓮が植えられて、「蓮の寺」とも呼ばれているのである。

法金剛院では、毎年7月に観蓮会として蓮の開花時間の早朝から開門しているので、今日も7時の開門に合わせて7時前に行ったよ。

寝屋川から朝の七時に法金剛院に行くのはけっこうハードで、京阪で丹波橋まで行き、そこで近鉄に乗り換えて京都駅へ、そこからJR西日本で花園駅へと乗り継いでようやくである。

でも、そんな早い時間でも蓮を見に他にも人が訪れてたよ。

庭園の池の方は大きな蓮がいっぱいで、不思議な世界のような神秘的な雰囲気である。

蓮の花の開花は、これからの感じだったが、それでも開花している蓮も多かったよ。

蓮の花は、仏教では泥水の中から生じ清浄な美しい花を咲かせる姿が仏の智慧や慈悲の象徴とされ、お釈迦様の台座は蓮華をかたどった蓮華座であり、また厨子の扉の内側に蓮華の彫刻を施したりしている。

また死後に極楽浄土に往生し、同じ蓮花の上に生まれ変わって身を託すという思想があり、「一蓮托生」という言葉の語源になっているのである。

大きな蓮の葉にまぎれて、真っ白な蓮の花が輝くようできれいだね、清楚で清清しくも神秘的な美しさだよ。

余談だが、蓮の泥の中の根が蓮根(レンコン)になるのも、割と知らない人も多いみたいだね。

蓮根は食べても美味しくて好きだけど確か血をきれいにして身体に良いんだよね。

早朝からだったけど、ゆっくりと蓮の花を堪能して楽しめて良かったよ。
コメント (0)

ウォルト・ディズニー展
京都の京都駅ビルの伊勢丹の美術館「えき」KYOTOで開催されている「生誕110周年記念 ウォルト・ディズニー展」を見てきたよ。

東京では春に開催されてたようでけど、京都では7月20日~8月12日まで開催されるそうだ。

やはりディズニーは人気があるから朝から女性や家族連れを中心に多くの人が訪れている。

展覧会では、貴重な資料や原画などが展示されていて見ていて楽しい。

特に私はディズニー作品では「ダンボ」とか「バンビ」とか子供の頃に絵本を買ってもらって見てたのが強く記憶に残っているので印象深い作品である。

また、販売コーナーでは展覧会限定のオリジナルグッズもあり、初期のミッキーの復刻人形とか、ミッキーの元になったと言われるうさぎのオズワルドの人形やグッズもあり、多くの人が買い求めてたよ。

また、駅ビルの、伊勢丹の前の広場では展覧会を記念して、写真撮影コーナーが設けられている。

また、様々なバリエーションのミッキー人形も飾られていて、駅ビルを行く人も足を止めて写真を撮ったり、鑑賞したりしていたよ。

今日はサッと見た程度だけど、次に機会があればじっくり見ていたいなぁ。
コメント (0)

祇園祭
京都のお祭りとして有名な祇園御霊会こと祇園祭の時期である。

今夜は宵山で明日は山鉾の巡行日となる。

夜は歩けないくらい人も多いし暑いので避けて、昨日の早朝に鉾や山を見に行ってきたよ。

朝の方が人がいないぶん、ゆっくり見て周れるんだよね。

祇園祭で特別な位置にある長刀鉾、他の山鉾はくじ引きで巡行順を決めるが長刀鉾はくじ引きなしで一番に巡行することになっている。

長刀鉾の名は上に付けられた長刀に由縁するが、その鉾は三条小鍛冶宗近作の大長刀によるそうで、宗近が娘の病気平癒を祈願して大長刀を八坂神社に奉納したが、鎌倉期にある武人が愛用してしまう事になるが、しかし何かと不思議が起こり、返納したという。

大永2年(1522年)、疫病がはやり、神託で長刀鉾町で飾ったところ、疫病は退散したとの伝説もある。


船鉾は、その独特の形が人気の鉾である。

船の形は「日本書紀」の神功皇后の新羅出船に由来するそうだ。

巡行で、この大きな船の鉾が動くのは見ていて楽しいね。


蟷螂山はかまきり山とも言われて、山の上にカマキリが乗っていて、これが巡行では動くようになっている。

大きなカマキリで子供にも人気の山であるが、中国故事の蟷螂の斧が揺らいだそうである。


祇園祭は、疫病退散や災厄退散を祈願するのが本来の目的で、昨日の京都の大雨による河川の氾濫など最近の自然災害が続いているのを何とか鎮めて欲しいと切実に思うね。

祇園祭に行かれる方は、宵山は歩けないくらいの混雑になるし、明日の巡行も人の多さと暑さも厳しいので充分に対策したり気をつけてお楽しみくださいね。
コメント (0)

謎の鬼面
京都の「今宮神社」の側には大徳寺と言うお寺がある。

一つのお寺ではなくて敷地内に多くの塔頭がある大きな寺院である。

今宮神社の参道となる今宮門前通りには、大徳寺の塔頭である「高桐院」の塀が続いているのだが、この塀がかなり変わっている。

塀には、波や直線のような模様が描かれていて、他にも河原のような文様もある。

その中に、まるで般若のような怖ろしげな顔が埋め込まれている。

塀の中は墓地であるが、外側は普通の道路で、道路を隔ててるのは紫野高校である。

まるで通りの人を睨みつけるように埋められた般若の顔は目の部分が開いて、大きく口が広げられている。

どういう意味で作られたものなのか興味深深である。

墓地に関係あるのか、それとも鬼瓦のような意味なのか・・・しかし、夜中に通って鬼の顔を見たら怖いだろうなぁ。

他にも大黒の像が埋め込まれてたり、「水」の文字が使われた文様があったり、どういう意図があるのかと考えてしまう。

ちなみに、高桐院は細川家の菩提寺として有名で、紅葉の名所でもある。

敷地には細川家代々の墓があり、細川忠興と妻で明智光秀の娘でもある細川ガラシャの墓もある。

また非公開ではあるが出雲阿国の墓もあるそうだ。

よく見ると、もともとあった塀を塗りこめたようにも見えるし、どういう意味か考えてしまう不思議な塀である。
コメント (0)

交野ヶ原の七夕巡り
今日は七夕だね。

私が暮らす寝屋川市の近くにある枚方市や交野市は古代には「交野ヶ原」と呼ばれ、七夕に関する伝説や史跡が残っている。

私は毎年の今の時期には交野市や枚方市の七夕伝説の地を訪れたりしていて、今日も伝説の地を歩いてきたよ。

ご存知のように、七夕とは天の川に隔てられた牽牛(けんぎゅう)と織姫(おりひめ)とが7月7日の夜、年に一度だけ逢えるという伝説だ。

もともと七夕伝説は中国の伝説で、春秋時代に書かれたと言われる「詩経」にすでに書かれているそうで六世紀には七夕の夜に瓜や茄子などの収穫物を供えたり、針に五色の糸を通して手芸の上達を願ったと言う。

やがて、日本にも奈良時代には七夕が伝わるようになり、和歌などにも多くの歌が残されているのだが、江戸時代になって庶民の間に手習い事が盛んになると、七夕の儀式が拡大されて短冊に願い事を書いて笹に吊るすと上達すると言う事になり、現在のように願い事を書くようになっていったそうだ。


さて、枚方市内には「天野川」(天の川)と言う川が流れており、その名前の由来は諸説あるのだが、川の周囲で稲作が始まった頃に甘野川と言っていたのを後の平安の頃に大空の天の川になぞらえて「天の川」と呼んだと言う説や、川砂が白く光って見えるところから、天上の銀河になぞられて名付けられたと言う説があるようだ。

また、交野ヶ原には、この天の川にちなんでか、この辺りは七夕伝説の格好の舞台となり、七夕や星にまつわる史跡や地名も数多く残されている。


はじめに訪れたのが、JR学研都市線の津田駅から南の方に向かった交野市の倉治の地に「織姫」と言われる「天棚機比売大神」(あまのたなばたひめおおかみ)を祀る「機物神社」(はたものじんじゃ)である。

普段は静かな古社であるが、七夕の時期には境内に多くの露店が出ており、また本殿の前には笹の木を立てて多くの願いを書かれた短冊が吊るされて賑わっている。

昨夜からの雨で短冊が落ちたりしてたのが残念であるが、短冊に書かれた子供達のたくさんの願いが叶うと良いね。


次に訪れたのが七夕伝説にちなんだ「逢合橋」(あいあいばし)である。

これは京阪電車交野線の交野市駅近くの天の川にかけられた橋であり、機物神社の織姫と牽牛石のひこ星が年に一度、天の川にかかる「逢合橋」という名の橋で二人が逢い、愛し合うというロマンチックな伝説が伝えられているのである。

現在の逢合橋は普通のコンクリートの橋で、橋に付けられた「逢合橋」のプレートくらいしか往時を思わせるものは無いのだが、昔は木の橋だったそうだ。

今の逢合橋は車の通行も多くて危険だが、隣りに歩行用の橋もかけられていて七夕の時期には笹の枝に短冊が掛けられている。

万葉集には、この逢合橋の七夕を詠んだと言われる和歌があり、逢合橋のたもとにはこの歌碑が立てられていた。

~彦星と織女と今夜逢ふ 天の川門に波立つなゆめ~

七夕伝説のように、七夕の夜に逢合橋で好きな人と星空を見るのも良いかも知れないね。


最後に訪れたのは、織姫を祀る「機物神社」の天の川を挟んで対になる位置に置かれている「牽牛石」(けんぎゅうせき)と言われている岩である。

京阪電車の交野線の「郡津」駅の西の方、香里団地の藤田川の「けやき通り」を西に向かった香里ヶ丘4にある「観音山公園」(かんのんやまこうえん)の、東の端の少し高くなっている場所に牽牛石は鎮座している。

牽牛石はそれほど大きくは無いが、牛と言われれば牛に似ていないこともないが、普通にあればただの岩と思うだろう。

牽牛石の立て札があるので、これが牽牛石で「ひこ星」の化身だと判るようになっている。

この牽牛石は高台になっているので見晴らしは良く、古代にはここから織姫のいる機物神社がながめられたのかも知れない。

また公園内にはひこ星と牛の石像も立てられている。


今日は訪れていないが、枚方市にはもう一つ「かささぎ橋」と言う橋もある。

こちらは天の川が流れる枚方市の京阪枚方市駅の近くにある大きなコンクリートの橋だ。

これは、七夕の夜に織姫がひこ星のいる天の川の向こうへ渡るときに、鵲(かささぎ)が羽根を広げて橋を作り、織姫を天の川を渡るのを助けて、織姫とひこ星の二人が逢うのを取り持ったという伝説にちなんだものだそうだ。

万葉集や百人一首の大伴家持の和歌にもこういうのがあったね。

~かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける~

ちなみに、かささぎ橋のたもとには、七夕伝説のかささぎにちなんだレリーフが置かれている。

また、同じく枚方市駅の近くの橋には、天の橋という意味で織姫とひこ星が船で渡って出会うと言われる「天津橋」(あまつばし)など、七夕伝説にちなんだ橋がかかっている。

いろいろと古代からの史跡や伝説の残る交野ヶ原の地、七夕の日にそれらの伝説を巡りながら散策して見るのも楽しい物だし、恋人と思い出を作るのも良いかも知れないね。

あなたの願いが叶い素敵な七夕になりますように・・・・
コメント (0)