アニマル御朱印めぐり
京都市動物園の秋の夜間開園でアニマル御朱印めぐりをしてきました。

これは、京都市動物園と平安女学院とのコラボで、9月19日~21日の夜間開園での御朱印めぐり風スタンプラリーです。

夜間開園の17時半から無料配布の御朱印帳をもらって、中国語の漢字で書かれた5つの動物をめぐって、足跡の印を押してもらいます。

動物の場所と御朱印場所がわりと離れてたりしてけっこう歩き回りました。

また、家族連れとか夜間開園まで残っててアニマル御朱印めぐりをしてるので人が多くて並んだりしてました。

それでもだいたい30分くらいで終われて、記念品のポストカードをいただきました。

私の好きなハリネズミのポストカードなのでうれしいです。
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モンキーパーク
お猿さんがいっぱいでした。

久しぶりに京都の嵐山にある岩田山モンキーパークに行きました。

若い時に行っていらいですね、久しぶりに行ったら上まで遠い遠い・・こんなに登ったっけでした。

外国人観光客に人気だったそうですが、外国人は少なくなりましたが、家族連れやカップルがわりと来てました。

子供の頃に行ってお猿に泣かされた記憶があり、お猿は、やはり怖いので離れて写真だけ撮ってましたが、木の上とかに隠れているのはずるいです。

それでも、お猿は可愛いから癒されてしまいますね。

また行きたいけど、上まで登るのはハードですわ。
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大悲閣千光寺
京都の嵐山にある大悲閣千光寺さんへお参りして来ました。

大悲閣さんは、嵐山から保津川沿いにかなり歩いた所にある山寺です。

角倉了以に所縁のお寺で、嵐山から距離はあるものの絶景が楽しめると外国人観光客などに人気のお寺でした。

外国人観光客がいなくなって他に人は来ないだろうと思ってたら、他にも来られてる方々がおられて驚きました。

山の上のお寺なので深緑がきれいで気持ち良いですね。

ご住職と、しばしあれこれお話させていただきました。

秋には紅葉がきれいでしょうね。

もっとお参りしたいのですが、保津川沿いをかなり歩くのと山の上まで上がるのでなかなか気力がわかないですわ。
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伏見稲荷
京都の伏見稲荷大社へお詣りして来ました。

春よりもお詣りする人は増えてはいますが、外国人観光客が少ないから空いてはいますね。

昔の伏見稲荷大社へ戻った感じでしょうか。

本殿にお詣りして奥社までお詣りして止めておきました。

この暑さで揺拝所までは少し無理ですわ、また秋にでもまわらせていただきます。

千本鳥居も、楽に写真を撮れました。

これはこれでラッキーです。
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若冲忌
9月10日は、伊藤若冲の御命日です。

今年も、伊藤若冲のお墓のある京都の伏見にある石峰寺さんの若冲忌に参列して来ました。

石峰寺さんは、石仏で有名ですが、あの伊藤若冲が晩年を過ごして亡くなられ、お墓のあるお寺です。

伊藤若冲の御命日になる9月10日には、若冲忌を行われて、一般の参加者もお堂の外から焼香とかする事が出来ます。

私も、毎年の若冲忌にはお参りさせていただいています。

また、伊藤若冲の繋がりで、菩提寺である宝蔵寺のご住職も、毎年法要に出られています。

宝蔵寺のご住職とも、少しお話させていただきました。

本堂での法要が終わると墓前に移って、読経と焼香をして終わりとなります。

例年だと、若冲忌に合わせて若冲の作品を見れる展示もあるのですが、今年はコロナの影響で予約制になったので、私は毎年見てますし、今年は止めておきました。

また、若冲忌の日は、お願いすれば、御朱印に若冲忌と入れていただけます。

朝から雨降りで困りましたが、法要の途中からは雨も止んで助かりました。
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一乗寺中谷
京都の一乗寺中谷さんで、中谷パフェをいただきました。

京都の一乗寺まで行ったので、前から行きたかった一乗寺中谷さんへ思いきって行きました。

一乗寺中谷さんは、和菓子や洋菓子の販売、それにお店でランチやスイーツもいただけます。

また、狸谷不動尊や曼殊院などにも和菓子を届けたりされています。

前から行きたかったのですが、なかなかタイミングが合わなくて、ようやく行く事が出来ました。

気になっていた中谷パフェをいただきました。

中谷名物のわらび餅や白玉やたっぷり入り、抹茶アイスやバニラアイスに、そばぼうろや丁稚ようかんが乗せてあります。

いろいろ中谷さんの名物を楽しめて美味しかったですよ。

前はわりと混んでる感じでしたが、今はお店も空いてて入りやすいです。

ケーキとかも買って帰りたいのですが、今の暑さでは傷みますので涼しくなったらケーキを買って帰りたいと思います。
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九州一の怪談
菱井十拳さんの「怨霊黙示録・九州一の怪談」を読みました。

これは、福岡県の宗像神社の宮司である宗像家の家督争いから起きた凄惨な暗殺事件、いわゆる山田事件とその後におきた怨霊話を素材にした実録物語です。

宗像神社の大宮司を務める宗像氏が戦で討ち死にし、宗像氏内部で家督を誰に引き継がせるかについて、氏男の弟・千代松を推す派と正氏の庶子・氏貞を推す派とに分かれた家督争いが起きました。

そのような状況下で、氏貞側から指示を受けた石松又兵衛尚季らによって、天文21年3月23日白山の麓の山田館において正氏の後室山田局と娘の菊姫、それに小少将・三日月・小夜・花尾の侍女4人が次々と惨殺されました。

その後邸宅の後ろの山の岸の下に穴を掘り菊姫親子を一緒に埋め、死んだ女房四人も傍らに埋めたと言われています。

また千代松の母である弁の前は、千代松を連れ鞍手の沼口に身を隠していましたが、千代松を生かしておけばいずれ災いとなるに違いないと思った氏貞派が差し向けた討手により、宮若市山口村で母子共に串刺しにされ殺害されました。

討手はその場所に二人の亡骸を埋めて印に松を植えたと言います。

この事件の後に、宗像家では事件に関わった者たちが次々と怪死や変死し、数々の怪異が起き、宗像領内では山田事件の怨霊のせいではないかと噂されました。

そして、事件の七回忌にあたる永禄7年、氏貞の妹の色姫が母と一緒に双六に興じていた際に、色姫が突然髪を振り乱し「我は正氏の妻なり」と言って目を怒らせ母を責め立て、自分(山田局)と娘(菊姫)を殺したことを怒り恨んで母である照葉の喉に食らいつき、傍らにいた者達が大勢立ち寄って引き離しましたが、その外も後室に仇 なした家人共に恨みを晴らそうと怒り狂い、氏貞派であった家臣がその日に突然死したと言います。

色姫の狂気は暫くして治まりましたが、色姫に食らいつかれた照葉の喉の傷はなかなか癒えず、やがて他の病気にかかり死去したと言います。

その後、氏貞が怨霊を鎮めるために寺を建てたり供養しようとしましたが、なかなか祟りは鎮まらなかったそうで、比叡山から僧侶を呼んでの法要も異変が起こったとも言われています。

実際に、宗像家でおきた事件からの実話怪談だそうで、宗像家の祟りについては私も少し知っていましたので、面白く読めました。
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霊山歴史館
久しぶりに京都の東山にある幕末維新ミュージアム霊山歴史館へ行きました。

前に来た時には無かった新しい展示品とかもあり、新撰組ファンとして楽しめました。

しかし、永倉新八さんが書いたとか言う新撰組の隊士名簿に何故か山南さんの名が見つからない!

御陵衛士や新撰組で厳粛した隊士の名も書かれてるのになぜ?

何度も見直したけど山南さんが見つからない・・・私の見落としなのかなぁ、まさか山南さんを書かないってありえないよね新八さん?

女優の鶴田真由さんの母方の方が五稜郭で新撰組に入って一緒に戦われたとか言う展示もあり、知らなかったので嬉しかったです。

コロナの関係で、一部の体験版が利用出来ないのは残念ですが、楽しかったです。
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朝日神明宮
京都の五条にある朝日神明宮へお詣りして来ました。

朝日神明宮は、天照大神を祭神として、貞観年間に亀岡の穴太村に造営されましたが、元亀3年に現在地に遷座したそうです。

かつては、広大な社域を有して、「幸神の森」と呼ばれたと言います。

また、当時は末社として竈神社・稲荷社・祓川社・恒情神社・人丸社・飛梅天神・八幡春日社・猿田彦社の八社がありましたが、天明の大火や元治の兵火などにより大半が焼失し、現在は猿田彦社(幸神社)が残り、神石を安置するだけになっています。

本殿は、石組の土台の上に祠が乗せてある、少し珍しい形になっています。

また、本殿の裏側に猿田彦社があり、2体の神石が祀られており、親子の猿の像も祀られています。

小さな神社ですが、歴史のある神社ですね。
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小野小町草紙洗井
京都の一条戻り橋を東へ渡り、少し行った所に小町通りがあり、幾つか小町と書いた石碑があります。

その中でも、一条通りと小町通りの角にある小さな石碑には「小野小町・雙紙洗水遺跡」と刻まれているのだが、今ではビルの壁に邪魔されて読めなくなってしまっていました。

昔に来た時は読めたのですが残念です。

かつて、この付近に「小町草紙洗ノ井」と言う井戸があったのですが、それも今は無くなり、小さな石碑にその名残りを残すのみです。

小野小町と言えば、六歌仙の中でも1人だけの女性でした。

六歌仙の1人の大伴黒主は小野小町が気に入らず、黒主と小町の歌合わせの時に嫌がらせをしました。

小野小町の書いた歌を、万葉集の中の歌と書き換えて、盗作だと追い詰めようとしたのです。

しかし、歌を出す寸前に小町は気付き、草紙を井戸の水で洗い書き換えられた歌を消して、新たに書き直して難を逃れ、黒主の悪巧みは失敗したのでした。

この話は謡曲にもなり人気をはくして、井戸の側には小町塔が建てられた事もあったそうですが、今は小さな石碑に名を残すばかりです。

この堀川の付近はかつては水のきれいな場所だったらしく、小町の井戸も清和水とか更級水と呼ばれ、京の名水の1つだったそうです。
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