幻想の街15
 この日、それ以上生徒会室にいることが耐えられなかったあたしは、かばんを持って生徒会室を出て行った。ふらふら歩きながらミチル先輩の言葉を思い出す。 ―― あの時、兄貴がどんだけ苦しんでたか ―― 。ミチル先輩が兄貴と呼んだのはカズ先輩のことじゃない。
 あたしのことがあんな風に語られているのもショックだった。もちろんあたしは霊魂なんかになってないから、毎年文化祭のたびにさまよったりはしていない。だからあの悪趣味な怪談は少しショックでも笑い飛ばしてしまえるんだ。でも河合先輩のことは ――
 あの日、あたしに買い物を頼んだのは河合先輩だった。だからあたしが事故に遭ったとき、河合先輩は自分を責めてしまったんだ。あたしが知ってる河合先輩なら必ずそう考えてしまう。先輩は少しも悪くなんかなかったのに。
 人の命を背負ってしまうのはどれほど苦しいだろう。どんな些細なことでも正面から受け止める先輩なら、その苦しみはきっと尋常じゃなかったに違いないよ。あたしが6年前、変化した自分の身体をもてあまして美幸に苛立ちをぶつけている間、先輩はずっと苦しんでいたんだ。あたしが自分のことしか考えていなかったあのとき、先輩はあたしの命の責任で押しつぶされそうになっていたんだ。
 伝えてあげたい。あたしはこうして生きていて、先輩に感謝こそしていてもけっして恨んではいないんだ、ってことを。伝えてあげたいけど……でも、そんなことできるはずない。あたしがここにいることも、あたしが本当は誰なのかも、誰にも伝えることはできない。
 あたしは、この街のどこにもいない。この街であたしは既に死んだ人間なんだ。ここはあたしが生まれ育った街なのに、誰もあたしのことを知らない。
 不意に、あたしは周囲を見回して固まってしまった。ずっと無意識に歩いてきた。いつの間にかあたしは、6年前の通学路を辿ってしまっていたんだ。
 目の前にはかつてあたしが住んでいた家。この街にきてからも、ここだけはずっと近寄らなかった場所。呆然と立ち尽くしていたあたしの目の前で玄関の扉が開いた。出てきたのは、無数の血管に覆われた顔の、それでも少しだけ年を取って見えたお母さんだった。
「……なにか、うちにご用?」
 まるで知らない人を見るような表情で見つめられて、あたしはいたたまれなくなって無言でその場を離れた。あたしの顔は変わっていたけど声は変わっていなかったから。涙があふれて、人気のない場所でうずくまったあたしは、そのまま声を殺して泣き続けていた。