清盛の楠
下京区の西大路八条、西大路の東側に道路に突き出したように若一神社(にゃくいちじんじゃ)の大きな楠が立っている。

あの平清盛が自ら植えた楠だそうだ。

平安末期の頃、権勢をほこる平清盛がこの地に「西八条殿」と言う豪勢な館を建てたそうだ。

しかし、何か物足りない物を感じる清盛は、日頃から信心している熊野権現を邸内に勧進して祀っていた。

ある夜、平清盛の夢の中に熊野権現が現れ「この辺りに若一皇子の御神体が埋まっている、その若一皇子の御神体を掘り出して祀れ」と信託があったそうだ。

そこで、清盛が命じて邸内や周辺を探させたがなかなか見つからない。

やがて夜になっても灯りを点けて捜索していると、庭の築山の辺りの土中がなにやら光っている。

もしやと思い、その場所を掘り起こすと若一皇子の御神体が出てきたので、若一皇子の像を御神体として社殿を建てて祀り、ご神体の出てきた築山には楠を植えて祀ったのが若一神社の始まりとされているようだ。

商売繁盛や金運、開運にご利益があるとして信仰を集めているが、境内には清盛の像や名水の地下水があったりする。

さて、この若一神社だが、神社の敷地の外に道が通り、道を挟んで築山のような場所に、その楠が植えられている。

楠のもう片側は西大路通りに突き出すように面していて、楠の部分だけ凸のように西大路通りに出る形になっている。

なぜそうなったかは昭和9年の話になる。

西大路通りに市電を走らせる事になったのだが、道路の真中に若一神社があって、そのままでは通すことができない。

そこで、神社を東側に移転する事になったのだが、楠が問題となった。

楠はしっかりと根を張り巡らせており移動させるのも難しい。

それでも、移動させようとすると枝をはらった男が木から落ちてケガをしたり、関係者に病気や不幸が続いたりして、これは神木の楠の祟りとして怖れられるようになり、誰も怖れて移転に手を貸そうとしなくなったそうだ。

交通の妨げにはなるが工事ができないのではどうにもならない。

仕方なく、楠はそのままにして市電の軌道を曲げるようにしたそうだ。

神木の祟りの話は各地にもあるようだが、この場所のように、神木の楠の祟りが都市計画を変更させたと言う事になり、昭和の現在でもそういう理由で現実に市電の軌道が変えられたのが興味深い。

楠は石垣に守られた築山のような形で、今も西大路通りに突き出すように祀られている。

さしもの楠も樹齢を重ね、一時は枯れ始めて葉をつけなくなっていたそうだが、樹木ドクターらの手によって若返りが図られて、また葉をつけるようになったそうだ。