桜が満開になってきたね。

今年も京都の八幡の淀川沿いにある「背割堤」の桜並木を見に行ってきたよ。

ここは、淀川の河川沿いに桜並木が延々と続いている桜の名所。

私も毎年、桜の写真を撮りに行くのだが、ここも最近はすっかり有名になって今日もまだ暗いうちの早朝にも係わらず写真を撮りに来た人でいっぱいだ。

写真に人を入れたくない私は人が写らないように待ちになるので、けっこう時間もかかるし、神経も使うんだよね。

でも、今年も満開の桜並木は桜のトンネルのようできれいだったよ。

もう一つ、こちらも私のお気に入りで毎年見に行っている千本釈迦堂の「阿亀桜」(おかめさくら)を見に行ってきたよ。

「千本釈迦堂」は、正式には「大報恩寺」と言って、鎌倉初期に建てられたお寺で、応仁の乱で畠山義就が兵を率いて陣を構えたにも関わらず、奇跡的に応仁の乱の戦火から逃れる事が出来て、本堂は京都の洛中でも現存する最古の建物だと言われている。

700年もの時の流れに生き残ったりっぱな本堂である。

さて、このお寺と本堂には「おかめさん」の哀しい伝説が伝えられている。

むかし、この本堂を建てる時に「長井飛騨守高次」と言う大工の棟梁が腕前を見込まれて工事を任された。

しかし、高次は柱の一本を間違って短く切ってしまい悩んでしまう。

高次の妻の「阿亀」(おかめ)さんが「このさい、残りの柱も短くして、代わりに枡型を組んでみたら」とアドバイスして、高次は妻の言うようにしてみるとバランスが取れてうまく解決できた。

しかし、阿亀さんは、夫の失敗を妻の助言で救われたとあっては夫の恥になると思い、上棟式を待たずに自らの命を絶って秘密を守ったと言う。

高次は棟梁としての面目は保ったが、大切な妻を失ってしまう。

亡き妻の冥福を祈って、高次は「おかめ塚」を建てたと言われ、今でも「おかめさん」の像とともに多くの人に親しまれている。

私の個人的には、なぜ妻のおかめさんが死ななければいけないのか納得できないし疑問にも思う、妻が自刃してその得を称えるよりも、夫をフォローして夫婦が協力したという方がよほど素晴らしいと思うのだが、昔と今とでは倫理観も違うのだろうが、妻が夫の犠牲になるのを美学にするのはどうも後味が悪い気がする。

私が夫なら自分の名声とかより妻の方がよほど大事だと思うし、なぜ死んだと怒りと哀しみに包まれると思う。

おかめさんは、また「お多福さん」としても知られていて、京都では「おたやん」と呼び親しまれていて、穏やかでふくよかな笑顔は見ているものを癒すような優しさを感じてしまう。

また、高次がお堂の棟にに阿亀さんの面を取り付けて偲んだと言われる事から、京都の町屋とかでは家を建てる時に屋根裏に阿亀さんの「おたやん」の面の付いた幣串を置くと「おたやん」が家を守ってくれるとされる縁起物でもある。

そういう関係でお寺のお堂にはいろいろなお多福やおかめさんが展示されてもいるし、お寺の受付でもお面や人形が売られている。

そして境内には、「阿亀桜」と言うりっぱな桜の木があり、毎年美しい花を咲かせておかめ塚にまさしく花を添えている。

見事な枝垂桜の大木で、一つ一つの花は小さいが、それがいっぱいに咲いて、上から下に枝が下がってる様子は、まるで桜が降るような感じで、私の大好きな桜である。

「わたしゃ お多福 御室の桜 ハナが低くても 人が好く」と御室桜を歌った戯れ歌があるが、この歌のように阿亀桜も多くの人の目を楽しませて好かれている桜である。

なお節分には、おかめ節分と呼ばれる鬼追いの儀式が行われ、暴れる鬼をおかめさんが笑顔で追い返すと言う独特の物で人気である。

哀しい伝説が信じられないように、おかめさんの像は今日も穏やかな笑顔で来る人を迎えている。