京都伝説巡りの取材
今日は今年初めての京都伝説巡りの取材をしに京都を歩き回ってきた。

京都伝説巡りは、京都の消え行く伝説や史跡を取材して記憶して行こうと思いから始めたサイトで2004年の9月30日に一話目の「羅城門」を書いてからもう3年半くらいかな、実際に自分で伝説や史跡を取材して書く事を基本としている。

だから中には、まじでやばい恐怖体験もあって封印した記事や写真もいくつかある。

今回の取材も割りと恐い話系で、念珠とお塩は欠かせない。

始めに近鉄の竹田駅周辺で「エンザサンザ」と言う史跡の取材をすると京都市内の
烏丸高辻にある班女塚に久しぶりにお参りした。

班女塚は、むかし姉妹がいて姉は縁付いたが妹は年頃になっても縁もなく、行く所もないので姉の所に住ませてもらって働いていたが、やがて亡くなってしまう。

それで姉の家から葬儀を出して墓所に運ぼうとしたが、途中で遺体が消えて姉の家に帰ってきてしまい、何とか運び出そうとすると重くなって動かす事ができなくなった。

それで、妹は寂しくてここに置いて欲しいのだろうと言うことになり、玄関先に塚を造ってそこに葬った。

やがて姉夫婦は他所に越したが妹の塚はそのままになり、付近の人は気味悪がって離れて行き塚だけが残ったと言う伝説があり、縁談などで側を通ると破談になると言われている史跡である。

私は、この班女塚の妹の寂しさが人事と思えずに、たまに訪れてはお話したりお参りしたりして心を寄せている場所である。

そこを離れると堀川高辻まで歩いて「住吉神社」(大阪の住吉大社とは別)を取材し、さらに「新玉津嶋神社」や「諏訪町」や「諏訪神社」も取材して河原町五条の「市比売神社」(いちひめじんじゃ)に着いた。

この市比売神社は女人守護の神社として知られており、女性の厄除けなどの祈願も受け付けているので女性の参拝者が多い、私もお知り合いの女性達の厄除けと招福をお祈りしておいた。

さらに、河原院跡を取材すると京阪電車で四条に出て、先斗町の「十五大明神」(そごだいみょうじん)の取材に向かう。

この十五大明神と言うのは先斗町の真ん中付近に祀られている祠で、以前にこの一帯が火災にあったときに、この十五番路地で火事が止まって類焼が抑えられていた。

翌日に、その場所に行って見ると、そこにあった信楽焼きの狸が真っ二つに割れていたので、この狸が火事を止めてくれたのだという事になり、祠を造って狸をお祀りしたのがこの祠の始まりだそうだ。

先斗町の真ん中と言うこともあり、舞妓さんや芸妓さんのお参りが多くて、祠にはたくさんの千社札が貼り付けられていて少し異様な雰囲気である。

さて、この十五大明神には怖ろしい都市伝説が語られている。

お賽銭箱にお金を入れると、テープが流れて京都言葉の女性の声で

「スッポコポコポン、スッポンポン、おおきにようお参りしておくれやした・・・今日のあんさんの御神籤は・・」

と音声が自動再生されて御神籤で占ってくれるのである。

ところが都市伝説では、時には不吉な御神籤を読む事があると言い

「・・・大凶どす、振り返ったらあきまへん。うち、もうそこに来てまっせ」

となり、思わず後ろを振り返ると顔の焼け爛れた舞妓さんが立っていて襲い掛かって来るのだと言う。

なんでも、火事で焼け死んだ舞妓さんだそうであるが、若い人の間で流行りそうな都市伝説である。

また、この付近も狭い路地で暗くて恐い雰囲気なんだよな。

ただ、千社札を貼ってからお参りすると無事なのだそうだ。

まぁ雰囲気も恐い感じなのでそういう伝説が語られるようになったのかも知れないが、でも、お祀りしている神様なんだから、そういう怪談にしてしまうのはいかがなものだろうか。

そこから、少し歩いて「瑞泉寺」に行く。

ここは、秀吉の養子となり摂政関白とまでなったが秀吉に実子の秀頼が生まれたために殺害された豊臣秀次と妻妾遺児39人が弔われているお寺である。

ここを出て今日の京都散策は予定終了で、後は四条河原町にあるご贔屓のお漬け物屋さんの「村上重」でお漬物を買い込んで帰宅した。

このお休みの食事はお漬物祭りになりそう・・・千枚漬けが美味しいっす。