御陵衛士法要
11月17日と18日の両日にわたって、御陵衛士の法要に出席してきました。

御陵衛士は、幕末の新選組から伊東甲子太郎らが別離して作った組織です。

しかし、新選組との溝や対立があり、油小路事件へとつながります。

元新選組の幹部で御陵衛士のトップだった伊東甲子太郎は、新選組局長の近藤勇に妾宅へ呼ばれて酒を酌み交わしながら話し合いました。

酔った伊東甲子太郎が帰る途中で新選組の隊士に待ち伏せされて、油小路の本光寺前で絶命しました。

新選組の襲撃者達は、甲子太郎の遺体を七条油小路の路上に置いて、御陵衛士の元へ連絡させて、遺体を引き取りに来るのを待ち伏せしました。

御陵衛士達は罠かも知れないと思いながらも引き取りに出かけ、七条油小路の地点で、待ち伏せた新選組と死闘になったのです。

御陵衛士の中で、藤堂平助・服部武雄・毛内有之助の3名が殺され、残りは逃走しました。

こうして、伊藤甲子太郎・藤堂平助・服部武雄・毛内有之助の4名の御陵衛士が殺害されたのが油小路事件と呼ばれています。

法要では、この亡くなった4名の菩提を弔うもので、まず油小路事件の現場であり、伊東甲子太郎の絶命地である本光寺さんでは命日の前日である17日(土曜日に行って日曜は観光してもらおうとの配慮)に行われました。

続いて18日の命日にはお墓がある戒光寺で行われました。

17日の本光寺の法要では、新選組同好会や関係者を招き、私を含めた新選組のファンの方が参列して行われ、法要後は茶話会も開かれました。

翌日の戒光寺の法要は、御陵衛士の遺体が始めに葬られた光縁寺(新選組墓所)から戒光寺へ改葬されて150年という事での記念法要で行われました。

事前に申し込んだ参列者が墓前に出かけて、御住職の読経の元に法要が行われました。

2日続けての法要で少し疲れましたが、それでも新選組ファンとして参加できて良かったです。