地蔵盆
京都では、8月の23日や24日に地蔵盆が行われる所が多いですね。

地域や町内で日にちややり方も違うのでしょうが、地蔵盆は子供のお祭りみたいな感じがしてて、夏休みの終わりに近いお祭りのように思えてました。


地蔵盆は、江戸時代くらいから始まって、当初は地蔵会や地蔵祭とされてたそうです。

そもそも京都は石のお地蔵様が多く、お祀りしている町内も多いですね。

これは何かで聞いた話ですが、京都は葬送地が多く昔はそういう場所に墓代わりに石仏を置いたりしたのが、大雨や川の氾濫で流れたり、戦火で焼かれて埋もれたりしてました。

それが後に川や水辺でお地蔵様が見つかったり、土の中から掘り出されたりして、ありがたがられて町内や家に持ち帰られて祀られたのが始まりだそうです。

伝説でも、川や土から仏像が出たりは多いですよね。

そういう石仏は、本来は何か判らないけどお地蔵様として祀られる事が多く、お地蔵にするために顔を描いたり色を塗ってお化粧したりが始まったと聞きました。

こうして町内での盂蘭盆会などで地蔵会や地蔵祭が、お盆の行事として地蔵盆へとなって行ったそうです。


しかし、明治時代になり神仏分離や近代化を進めるのに、地蔵盆や盆踊りや盂蘭盆会などの行事は根拠のない仏教行事として中止のお触れが出て中止させられたそうです。

それで、町内の地蔵堂は壊されたりして、石仏は近くのお寺へ預けたり、見えない奥に隠されたり、町内の人が家に隠したりしたそうです。

京都のお地蔵様が路地の奥にあったりするのはこういう名残かも知れないですね。

また、お寺に小さなお地蔵様が置かれてるのは、預けられたからが多く、例えば壬生寺とかたくさんの石仏があるのはそういう事からだそうです。

しかし、京都の知事が代わると方針も変わったのか禁止のお触れが撤回されて、再び町内でお地蔵様が祀られて地蔵盆が復活していったそうです。

この地蔵盆は余興と言うか出し物があったり、福引きがあったり、お楽しみ要素が濃いのも面白いですね。


私も実家の隣が地蔵堂だった事もあり、子供の頃は地蔵盆が楽しみでした。

大きな行灯に町内の子供が絵を描いたり、お菓子や福引きがあったり、地蔵堂に集まって数珠回しさせられたりありましたね。

私の子供の頃は、地蔵盆の夜に子供が集まって、巡査と泥棒に別れて隠れんぼする泥巡するのが恒例でした。

町内の子供が集まる機会って、地蔵盆くらいしか無くて、年に1度の交流の場だった気がします。

あれこれと思い出すと懐かしいですが、最近は住宅環境の変化や町内会のあり方も変わりましたし、マンションなどの集合住宅が増えて、諸事情で地蔵盆も変わってきてるみたいですね。

町内ではなく、団地などで個別にやったりもあり、各家や個人の宗教感も変化してますし、仕方ない部分もあるのかも知れないですね。

京都では、まだまだ地蔵盆を行っている所も多く、見かけると郷愁を感じてしまいます。