小町寺
京都の叡山電鉄は出町柳から八瀬や鞍馬方面に続いているが、その鞍馬の少し手前にある「市原」駅で降り通りを南に下って行くと石段の上に「補陀洛寺」(ふだらくじ)と言うお寺がある。

通称を「小町寺」と言い、「小野小町」に所縁のお寺である。

この辺りは市原野と呼ばれた地で、小野氏の所領であった小野郷であったとも言われている。

小野小町は多くの伝説が伝えられて各地に史跡や伝説が残されているが、絶世の美人と言われた身も晩年は不幸だったと言われる事が多い。

この地に伝わる伝説によれば、小野小町は晩年には遠く陸奥までさすらう漂泊の生活であったそうで、年老いて、かつて父が住んでいたこの市原野の生家にたどり着いたと言う。

そして力が尽きたように倒れると「吾死なば焼くな埋むな野に晒せ 痩せたる犬の腹肥やせ」との凄惨な歌を残して亡くなったと言われている。

小町の遺骸は言葉どおりに野に晒され、弔う人もなく風雨に朽ちてその髑髏からは一本の芒(すすき)が生えて風に震えていたといたそうである。

そのススキは髑髏の穴となった眼窩から出ていたので「穴目のススキ」と呼ばれたのであろうか、ある僧がこの辺りを通ったときに「あなめ・・・あなめ・・・」と言う悲しい声が聞こえ、調べてみると髑髏の目からススキが生えていたとも言われている。

この境内には、その髑髏が晒されていたと伝える場所に「穴目のススキ」の史跡があり、その横には「あなめの碑」と言う石碑が建てられている。

これは陸奥の国で野に晒された小町の髑髏が和歌の上句を「秋風の ふくにつけても あなめあなめ」と唱えるのを在原業平が聞き、哀れに思った業平が「そのとはいはじ すすきおひけり」と下句を詠んだとされる「あなめ伝説」にちなんだ石碑であるそうだ。

また、その近くには「小町姿見の井戸」の遺蹟もあり、老醜となった晩年の小町が己の姿を映して嘆いたと言う。

本堂には阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩の三尊が祀られているが、その側に晩年の小町の老衰した姿を刻んだと言われる「小町老衰像」の木像も祀られており、老いて痩せ衰えた老婆となり杖を手にした小町の姿を伝えている。

かつての絶世の美女であった小野小町もやがて老醜となると言う事で諸行無常と言う所であろうか。

さて、小野小町と言えば前回の「百夜通い」で書いた深草少将との伝説が有名で、小野小町に恋した深草少将が小町に思いを告げると、百夜続けて通えば思いを叶えると言われ、毎夜通い続けるが残り一夜となった九十九夜に通う途中の雪の中に倒れて亡くなってしまうと伝えるお話である。

この小野小町と深草少将の悲恋の物語の後日談とも言うべき話が二つ伝わっている。

一つは「卒塔婆小町」と言われる名で知られるお話しである。

1人の高野山の僧が京へ登る途中に鳥羽の辺りで一休みしていた。

すると、杖にすがった1人の乞食老婆がよろよろとやってくると、側にあった朽ち果てた卒塔婆に腰を下ろした。

卒塔婆は仏の供養や追悼のために建てられた物である、僧は老婆を諭したが老婆は動こうとしない。

それどころか、老婆は僧の説く説教に対して仏法の奥儀で切り替えしてくるのである。

ついには「極楽の内ならばこそ悪しからめ そとは何かは苦しかるべき」(極楽の内ならば仏に無礼があってはいけないだろうが、この極楽の外では卒塔婆に腰をかかけてもかまわないだろう)と茶化した歌を詠むしまつだ。

僧は老婆の教養や智識に感心し、その名を問うと老婆は自分は小野小町のなれの果てだと答えたと言う。

老婆となった小町はいつしか物思いに浸り、若かりし頃の自分や恋の思い出や楽しかった事を思い出し、それに引き換えた今の自分の老いさらばえた姿が惨めに思えてきた。

すると突然に小町は狂ったようにもがき苦しみ、男のような声で喚き始めた。

「ああぁぁ小町が恋しい・・・九十九夜も通いつめてあと一夜で思いがかなったのに・・・」

小町には深草少将の霊が憑依していたのである。

しばらくして、我に返り落ち着いた小町は真の悟りの道に入りたいの願ったそうである。


もう一つの伝説は謡曲の「通小町」になっている話で先の話と似ている部分もあるが、この市原野辺りが舞台となっている。

ある僧が京の北にある八瀬の里で夏を過ごしていた。

そこへ、どこからともなく1人の女がやってきては木の実や薪を届けて来るようになった。

始めは感謝していた僧も、毎日のように女が届けに来るので不思議に思うようになり、女に何方なのかと尋ねてみた。

すると女は

「名乗るのもお恥ずかしいです、私は小町とは言いますまい・・・ススキの生えた市原野辺りの姥でございます」

そう言うなり、ふっと姿を消してしまった。

僧はますます不思議に思って考えていると、ある人から聞いた話を思い出した。

その人が市原野を通ったおりに、ススキが一本が生えている陰から「秋風の ふくにつけても あなめあなめ 小町とはいはじ ススキ生ひたり」(秋風が吹くにつけても、ああ苦しい。小町とは言うまい、ただススキが生えているだけ)と言う歌が聞こえたと言うのだ。

これはたしか「小野小町」の歌だったはず、さては先ほどの女は小野小町の幽霊かも知れない。

そう思った僧は、話に聞いた市原野に行って小町の遺蹟を訪ねて弔おうと考えて庵を出て市原野に向かっていった。

僧は市原野につくと小町の亡くなった地を訪ね、座具を広げて香を焚きお経を唱えて小野小町の霊を供養した。

すると、あの女が現れて

「どうも、わざわざお越しいただいて私を弔っていただきありがとうございます、これも何かの縁でございます、私に戒を授けていただけないでしょうか?」

そう言って僧に受戒を願ったのである。

その時、突然に男の霊が姿を現し

「いかん、この女にかまうでない。もしも小町が成仏してしまうと私はたった一人で苦るしまねばならなくなる、よけいな事をせずに立ち去れ」

そう言うと女を捕まえて邪魔しようとする。

女は何とか僧の供養を受けようと側に寄ろうとし、男は女の袂を掴んで引きとめようとしているのだった。

僧は、もしやこの男が「深草少将」ではないかと悟り、男の霊に話し掛けて百夜通いの話を聞かせてもらえないかと頼んだ。

すると深草少将の霊は静かになり語り出した。

「私は小町に恋し、百夜通えば思いを叶えると言う言葉を信じて、小町の元へ毎夜毎夜通いました。車や輿では人目に立つと言われ、蓑笠に杖をついて歩いて通い続けたのも小町への一途な思いからです。鬼が出そうな恐ろしい闇の中を、雨の降る夜も雪の降る寒さの中もひたすら耐えて通い続けたのです。そうしていつしか九十九夜にもなり、あと一日となった時にとうとう病に力尽き息絶えてしまったのです」

話を聞いた僧は深草少将の無念さを哀れに思い、小野小町の霊とともに深草少将の霊にも手厚い供養を施したのだった。

そのおかげで、小野小町も深草少将と供に成仏することができたそうである。

小野小町と深草少将の二人は現世で叶えられなかった思いを、成仏してようやくかなえる事ができたのだろうか。

この小町寺には墓地の入り口に深草少将の供養塔が建てられていて、その石段の奥には小野小町の供養塔が建てられている。

どうせなら、二つの供養塔を並べて建てれば良いのにと思うのだが、離れた位置に二人の供養塔が建てられている事を考えると、深草少将と小野小町の関係を思い、深草少将への哀れみを深くするのは私だけだろうか。