さかれんげ如来
京都の新京極といえば京都でも屈指の繁華街であるが、そのど真ん中の新京極と蛸薬師通りが交差する付近に「安養寺」と言うお寺がある。

この安養寺は、「倒蓮華寺」(さかれんげじ)とも呼ばれて「さかれんげ阿弥陀如来」のお寺として親しまれている。

むかし、奈良に一人の老婆がいた。

その老女は深く信心して浄土三部経を読んでいたが、どうしても解せない事があった。

阿弥陀如来の四十八願を説くこのお経では、第十八に「念仏往生の本願なり、十万衆生の誓いの中には男女同じく往生す」と男女が同じように往生するように書いてあるのに、第三十五には「女人往生の本願も誓い・・・」と、別に女人についても書いてあり矛盾を感じる。

しかし、この老女は自分のような者が御仏の教えに疑いを持ってはいけないと考え、奈良の春日明神に十七日間の祈願に出かけた。

そして、七日目が終わって八日目となる明け方の事である。

夢の中に高貴な老人が出てきて「女よ、我が家に帰りなさい」と告げると姿を消した。

夢から醒めた老女は不思議に思いながらも、神様のお告げと信じて家に帰ることにした。

家に着くと戸口に大きな木材が置いてある。

いぶかしく思いながらも、そのままにして家で過ごしていると夕暮れになり一人の老僧がやってきた。

「私は仏を造る願を持つ者で外の材木はそのための物である。今夜に仏を造りたいと思うので、どうか一夜の宿を貸してくだされ」

老僧はそう語ったのだった。

老女は、これもお導きと喜んで老僧を家に上げ一室を与えた。

すると老僧は「呼ぶまでは決して部屋に入らぬように」と告げると、外においてあった霊木を持って部屋に篭ってしまった。

そして、部屋からはコツコツとノミを打つ音が聞こえてきた。

やがて、夜も深まった頃に突然にノミの音が止んで静かになった。

老女は、呼ぶまでは入るなと言われたのを守って我慢していたが、どうにも我慢できなくなり、密かに隙間から部屋を覗くと、そこには老僧の姿は無く、代わりに3メートルばかりの相好円満な仏像が光明を放っていた。

「わずかに間にできたのか・・・」

老女は驚いたが、ありがたい事だと仏像の前にひざまづいて祈り始めた。

しばらくして、仏像に台座がないことに気がつき、翌日に台座を作らせて仏像を安置しようとするが、どうにもグラグラとして安定しない。

もしかすると、仏意に適わない事があるのかと心配になっていた。

すると、ある夜の夢に仏像の本尊が現れて老婆に語りかけた。

「少し前に明神一人の老僧が現れて我が形像をつくれること、これすなわち女人往生の証である。しかれば八葉の倒蓮華を造り、我を安置せよ」

普通は、仏像の台座は蓮の葉が上向きになっている。

しかし、本尊のお告げでは男の心の蓮華は上を向き、女の心の蓮華は下を向いて逆さまである。

人は、幾度か生まれ変わり生をうけても、女身は生死にさまようだけでなく、多くの人を惑わせる。

この人類を哀れんで重ねてお経の三十五に女人往生の本願を誓っている。

そうして、逆さまにした蓮華を踏まえて女人往生の証拠とすると言う事だった。

これを聞いて老女も納得し、さっそく「倒蓮華」(さかれんげ)の台座を造り、仏像を安置したのである。

こうして、蓮の葉が逆さまに下を向いている台座のさかれんげの仏像をなったと言う。


この安養寺は、真宗七高祖の一人の恵心僧都が奈良に開いたのが始まりだそうで、その後に京都の西本願寺の西に移り、さらに市場西洞院に再転し、天正年間に現在地に移った。

その後に、兵火などに遭い明治時代に新京極通りが開通した時に縮小され、今の堂宇はその時の仮堂だと言う。

倒蓮華の阿弥陀如来は普段は二階の本殿のガラスの中に置かれているので見難いが、結縁日には戸を開けられて見えると言う。

今でも多くの女人に慈悲深い阿弥陀仏として多くの信仰を集めている。