蟹満寺
今日は、久しぶりに京都の相楽郡にある「蟹満寺」(かにまんじ)へ行ってきました。

昔に一度行ったことがあるのですが、今日は蟹満寺の蟹供養放生会が行われるので行ってみたくなりました。

京都と奈良を結ぶJR奈良線の棚倉駅から、北に20分ほど歩いた所に「蟹の恩返し」の民話で知られる「蟹満寺」と言うお寺があります。

この蟹満寺は、奈良朝以前に帰化人と知られている「秦氏」の一族の秦和賀によって創建されたと言われており、その後に行基菩薩の開祖によって多くの信仰を集めたと言われています。

しかし、蟹満寺は、先に書いたように「蟹の恩返し」の寺として広く知られており、今昔物語や古今著聞集などの書物にも、その伝説が残されているようです。


むかし、ある村に夫婦と若い娘の善良な家族が住んでいました。

夫婦も慈悲深い人達でしたが、娘は幼少の頃から優しく慈しみ深い美しい娘で、観世音菩薩を篤く信仰していました。

ある日、娘が用事があって外出すると、村人がたくさんの蟹を捕まえて玩具にして遊んでいるのに出くわしました。

娘は、蟹が哀れに思い、村人に逃がしてやってくれるように頼みましたが、村人はせっかく捕まえた物で、持って帰って食べるのでダメだと聞いてくれません。

そこで娘は、手持ちのお金を出して村人から蟹を買い取って逃がしてやったのでした。

放された蟹達は、自由になって嬉しいのかガサガサ音を立てて帰っていき、娘はその姿を微笑ましそうにしばらく眺めていましたが、用事の途中なのを思い出して立ち去って行きました。


それからしばらく過ぎた日の朝の事です。

父親が自分の田んぼに出かけて耕していると、近くで蝦蟇が気持良さそうにゲコゲコと鳴いていました。

すると、どこからか大きな蛇が現れて一目散に蝦蟇に向かうと、蝦蟇を咥えてしまったのです。

蝦蟇は、今にも蛇に飲み込まれそうになり必死でもがいていましたが、蛇もしっかりと咥えこんでそのまま飲み込もうとしていました。

父親は、蝦蟇が哀れに思い、何とか助けてやりたいと思いましたが、どうすることもできないのでした。

そこで父親は蛇に向かって語りかけたのです。

「なぁ蛇よ、何とか蝦蟇を助けてやってくれまいか、もしも蝦蟇を放してくれるのなら、うちに娘が1人いるのでそれをお前の嫁に嫁がせてやろうではないか」

もちろん、父親は蛇に言葉が通じるとは思っていないので、本気で言った訳ではありません。

しかし、蛇は父親の話を了解したように咥えていた蝦蟇を放して逃がしてやったのです。

蝦蟇は思わず命が助かったのでピョンピョンと飛び跳ねて逃げて行き、蛇も何処かへ姿を隠してしまいました。

父親は、その様子を呆然と見ていましたが、もしかすると蛇が自分の言ったことを真に受けて、娘を貰う代わりに蝦蟇を逃がしたのだろうかと不安になり、重い気分で家に帰って行ったのでした。

やがて、家に戻った父親の様子が元気がなく不審なので、母親と娘は何かありましたかと問いかけました。

父親は隠していてもいずれは知れる事と思いを固め、田んぼでの出来事を話して聞かせると自分の軽はずみな言動を詫びたのでした。

娘は父親から話を聞くと微笑んで

「お父様は蝦蟇の命を救おうとしてされたこと、後悔される事はございません」

そう話すと、自室に下がって日頃から信仰している観世音菩薩に祈願してお経を唱えて過ごしました。

そして夕暮れ時になると家を訪ねて来た者がいたのです。

何者かと見ると、衣冠を着けた若者が立っており

「昼間の田んぼでの約束通り娘をいただきに来た」

と告げたのでした。

父親は困って娘に相談すると、娘は今朝の今日では仕度も整なわないので三日後に改めて来るようにと言うように頼みました。

父親が、娘に言われたように若者に告げると、若者は三日後に再度訪れるので約束を違えないように念を押して帰って行きました。

やがて三日が過ぎ、約束の日となりました。

父親は昼間から家中の雨戸を閉めて入る隙間をなくし、娘は仏前でひたすらお経を唱えていました。

しばらくして夕刻になると先日の若者が訪ねてきて、約束どおり娘をもらいに来たから戸を開けるように告げたのです。

若者を家に入れたら最後だと思い、父親と母親は戸を閉めたまま戸締りを固くしました。

若者は何とか入ろうと、戸を叩いたり雨戸を開けようとして怒鳴り散らしましたが、どうしても入るところがないので、ついに蛇の本性を現せて大きな蛇に姿を変えると家の周りを回り、家も壊さないばかりに尾で雨戸を打ち叩いて荒れ狂っています。

家の中では両親は恐ろしさに震えて手を取り合っていましたが、娘はいっそうにお経を唱えて観世音菩薩に縋るのでした。

夜も更けていき、暴れまわる蛇の勢いで今にも家が壊れそうで両親は生きた心地もしません。

その時、家の中に芳しい香りが漂うと光に包まれた観世音菩薩が姿を現したのです。

驚く両親に向かって観世音菩薩は語りかけました。

「怖れる事はありません、もともとは慈悲の心より起こった出来事であり、また娘も日頃から私を信心して善行を積んでいる。救いは現れますから案じることなく祈りなさい」

そう言うと観世音菩薩は高貴な残り香を残して姿を消してしまいました。

両親は、夢から覚めたように気を取り直すと、観世音菩薩の霊験に感謝して祈りを捧げつづけたのでした。

やがて、いつの間にか夜が明けたのか朝の光が家の隙間から射しこんでいました。

ふと気がつくとあんなに暴れまわっていた蛇はどうしたのか、周りは静かで物音一つしていません。

どうしたのだろう?

父親は、意を決して恐る恐る雨戸を少し開けて外の様子を覗いてみると、辺りは真っ赤に血に染まっており、蛇と多くの蟹の死骸が横たわっています。

驚いた父親が、母親と娘とに声をかけて三人で戸を開けて外に出てみると、そこには無数の蟹に身を刻まれて血に染まって死んでいる蛇の死骸と、蛇を襲って潰されていった蟹の遺体が地面を埋め尽くしていました。

これこそ、観世音菩薩の御慈悲に導かれて、娘に救われた蟹達が仲間を連れて恩返しにきて蛇を退治してくれたのです。

そして親娘三人は娘を助けるために犠牲となってくれた蟹達を悼み、観世音菩薩の救いに手を合わせたのでした。

また、犠牲となった蟹達と蛇の遺体を集めると穴を掘って丁寧に埋め、その上に御堂を建てて観世音菩薩をお祀りすると蟹達と蛇の菩提を弔ったそうです。

この御堂が元となりお寺が建てられて、たくさんの蟹が満ちて恐ろしい災いから救われたので「蟹満寺」と名付けられたのだそうです。

これが蟹満寺縁起と言われる物語で、これが元になり蟹の恩返しとして広く知られるようになったのでしょうね。

蟹満寺の境内には蟹の絵柄をモチーフとして、灯篭や賽銭箱にさりげなく描かれていたりしますし、また物語に所縁の観音堂には蟹を中心に蛇が周りを取り囲んでいる木彫りの扁額が飾られています。

この付近は地理的にも、西には木津川が流れており、お寺のすぐ北には天神川と言う川も流れていて、付近には田畑もあり、昔は蟹や蛇なども多くいたのだろうと想像できますね。


お寺は、蟹供養放生会の準備がされていましたが、なにぶんにも遠いので時間もあまり余裕がなく、法要を見ることはあきらめて、お参りして御朱印をいただいて帰りました。