山南忌
今日は、新選組の総長だった山南敬助さんの命日でした。

山南さんは、江戸へ向かうと書き置きを残して新選組から出たために、脱走とみなされて沖田総司を追ってに向けられて、大津に居る所を沖田さんに見つかり、そのまま隊に戻されました。

なぜ、新選組を抜けたのか

なぜ、遠くへ逃げずに大津にいたのか

多くの疑問が残されています。

また、山南さんを追うのも山南さんを慕っていていて、また山南さんも可愛がっていた沖田総司を一人で追わせたのか?

本気で捕まえたいなら数人で追うの所を、沖田さん一人で追わせたのは、もしかすると沖田さんが見逃すことを望んだのか、あるいは沖田さんなら山南さんも大人しく戻ると思ったのか、いろいろと推測派は広がります。

隊へ戻された山南さんには規則に従って切腹が言い渡されました。

山南さんと親しい人たちは、何とかごまかすから逃げるように言いましたが、山南さんはすでに切腹の意思を決めてたので断りました。

山南さんには愛し合ってた明里と言う女性がいましたが、急遽呼びに行って山南さんと今生の別れを惜しんだと言われています。

山南さんは介錯に沖田さんを選び、見事に切腹したと言われています。

山南さんの墓所である光縁寺さんでは、山南さんの命日である3月11日に追悼の法要が行われます。

また、新選組の屯所だった前川邸でも山南忌(さんなんき)と言う法要も行われます。

新選組も山南さんも大好きな私は、以前から時々に光縁寺さんに訪れては山南さんや亡くなられた隊士の方々のお墓参りをしていました。

命日である今日も、どうしてもお参りがしたくて静かにお参りして来ました。

ちなみに、山南さんのお墓の隣にある「沖田氏縁者」と言うお墓は、山南さんが最後に沖田さんに恋人の明里さんの今後を頼んだので、明里さんが亡くなった時に沖田氏縁者として山南さんのお墓の隣に葬られたとの説があります。

山南さんは謎も多いのですが、人柄も良くて多くの人に慕われていたそうです。

大好きな山南さんの御命日にお参りすることができて良かったです。