恋塚
土曜日の弘法さんへ行った後に、上鳥羽と下鳥羽にある二つの恋塚のお寺へ行って来ました。

上鳥羽にあるのが鳥羽地蔵としても知られている恋塚浄禅寺で、下鳥羽にあるのが恋塚寺です。


平安時代の末期、北面の武士に遠藤盛遠と言う若者がいました。

橋の完成供養の警備に就いていた盛遠はそこで渡辺渡の妻の袈裟御前に一目惚れしてしまいます。

しかし、いくら思い焦がれても人の妻なのでどうにもなりません。

思いつめた盛遠は、袈裟御前の母の衣川を訪ねると袈裟御前を自分の物にしたいと刀を抜いて脅しました。

このままでは殺されると思った衣川は、ひとまず盛遠に約束して帰すと、娘の袈裟御前を文でこっそり呼び出しました。

衣川は袈裟御前に、これまでの事情を話すと、このままでは盛遠に殺されるがそれよりも、袈裟御前の手で自分を殺して欲しいと短刀を渡すと泣きました。

話を聞いた袈裟御前は驚きますが、まさか母を殺める事など出来ませんし、またこのままでは母が盛遠に殺されてしまいます。

愛する夫の渡の事を思うと悔しいですが、仕方なく盛遠と会う事にしたのでした。

盛遠と会った時に、袈裟御前は自分には夫がいるので盛遠の物にはなれない、もしも夫を殺してくれるなら盛遠の思い通りになれると言いました。

盛遠は喜んで、さっそくその夜に渡辺渡の屋敷に忍び込みました。

闇の中を渡の寝所へ忍び込んだ盛遠は眠る渡を刀で殺すと首を切り落として包んで持って帰りました。

家に帰って、明るい所で改めて首を見た盛遠葉驚きました、それは袈裟御前の首だったのです。

実は、袈裟御前は悩んだ末に盛遠に夫を殺すように言ってから、その夜は夫の振りをして身代わりに夫の寝間で寝ていたのでした。

盛遠は、袈裟御前の首を前にして号泣し、改めて自分がしたことや罪の深さを思い知ったのです。

そして、世の儚さと己の罪を悔い、出家してやがて文覚上人となったのでした。


上鳥羽の恋塚浄禅寺は文覚上人が開基とも言われ、寺の門の横には林羅山による恋塚碑がガラスで被われて置かれており、横には袈裟御前の首を埋めたと言われる恋塚があります。

しかし、一説によると鯉の化け物を退治した鯉塚であったのが恋塚になったとの話もあります。


一方の下鳥羽の恋塚寺は、やはり文覚上人の開基とされ、境内には袈裟御前の首塚と言われる宝筐院塔があり恋塚と呼ばれています。

また寺の縁起を刻んだ石碑や数々の関連の寺宝があり、本堂には渡辺渡・袈裟御前・文覚上人の木像が祀られています。

以前に恋塚寺を訪れたのはかなり前で、お寺は工事中であまり見れませんでしたが、今はりっぱなお寺になって恋塚の伝説を噛み締めてお参りできました。