宝誌和尚立像
京都に不思議な仏像がある。

「宝誌和尚立像」と言う仏像で、顔の部分が左右に割れて、中から別の顔が覗いている不思議な仏像である。

見ようによっては不気味にも感じるが神秘的な仏像でもある。

元は、壬生にある「西往寺」と言うお寺にあったものであるが、現在は京都国立博物館に委託保管されている。


中国の宝誌和尚と言う僧侶を仏像にしたものであるが、どうしてこういう像になったのか、それには宝誌和尚の伝説が関わっている。


昔の5~6世紀頃の中国に「宝誌和尚」と呼ばれる僧侶がいた。

様々な伝説があるのだが、道林寺で禅の修業し巷に現れては僧侶としては奇異ないでたちで闊歩し、一般と同じ飲食で酒肴も口にしたと言う。

また数々の不思議な出来事も起こし民衆の信仰を集めるようになったそうだ。

時の皇帝は、そういう宝誌の姿に不安を覚え、民衆を惑わす者として捕らえて牢獄に閉じ込めた。

しかし、獄中のはずの宝誌和尚が町中や諸寺を巡って予言をしたりし、また三人に分身して同時に各所に現れたりもしたと言う。

やがて国は「梁」と変わり、時の武帝は、宝誌和尚を信奉した。

武帝は、宝誌和尚の尊顔を三人の絵師に命じて描かせようとした。

絵師達は宝誌の元へ行き、姿を描くことを伝えると、宝志は僧服に着替えた。

三人の絵師が、描画の用意を整え、三人そろって筆を入れようとしたところ、宝志が「私には真の姿がある、それを見て描くが良い」と言った。

そして、宝誌は親指の爪を額に当てると、額の皮を下まで切り裂き、その皮を左右に引きひろげた。

そると正面の絵師には宝誌の顔の割かれた皮の下から金色に輝く菩薩の顔が現れたのである。

他の二人の絵師達には、一人の絵師には十一面観音に見え、一人の絵師には聖観音と見えたと言う。

そして、各自が見えたところを写し取り、帝に献上したのであった。

帝は大層驚き、別の使者を派遣して様子を伺ったが、宝志和尚は突如姿を隠したのであった。

人々は、宝志は常人ではなかったのだ、と言い合うようになったそうである。

その時の宝誌和尚の様子を元に作られたのが、この仏像なのだそうだ。

また、この仏像の真意は「人の内面はそれぞれが神仏である」と言う意味も含まれているとも言われている。

私は以前にこの仏像を実際に見た記憶がある。

保管されている京都国立博物館は常設館が立て替え工事中と言う事もあり、なかなかこの仏像を見る機会もないが、ぜひもう一度見たい仏像である。