橋本遊郭
先週は八幡の流れ橋に行ったのだが、その時に乗ったタクシーの運転手さんが話し好きの方で八幡方面の名所をあれこれ話してくださり、その時にすごく勧められたのが橋本の遊郭跡の建物であった。

橋本は、八幡の一つ大阪よりも駅で、かつては遊郭で賑わった町だと言う。

私も話には聞いていたが見に行った事はなかったので、せっかくの勧めもありついでに見に行っていたのである。

橋本は、京都府の南部で、淀川の東岸に沿い、すぐ南を大阪府枚方市に接する位置にあり、先に書いたように八幡の隣でもあり、岩清水八幡宮にも近い位置にある事になる。

また、京都と大坂を結んだ京街道が通り、宿駅に指定されていたと言う。

淀川を挟んだ対岸の、西国街道の山崎との間には渡しが往来し、その川港ともなっていたそうだ。

そして男山の北麓にある石清水八幡宮の最寄の港としても賑わい、多くの人々が往来していたと言う。

その橋本の町には遊郭がもうけられて、江戸期から明治にかけて大繁栄したそうである。

幕末には陣屋も設けられていたと言うが、鉄道開設後は川運が廃れて、町は徐々に衰微していった。

それでも、橋本の遊郭は華やかに存続していたそうであるが、戦後に売春防止法が施工されると遊郭も営業を止めるしかなかった。

京阪電鉄の橋本駅の西側がかつての橋本の町だそうだ。

そこには独特の雰囲気を持つ、格子をはめた家屋が並んでいる、かつての遊郭だった家々である。

遊郭だった家々は二階建の木造建築の大きな建物で、或る家は二階に木製の手摺のついたバルコニー調のものを設け、また軒下に手の込んだ彫刻があるもの、また細い格子がはめ込んである家もある。

銅板葺きの軒を有しているもの家もあった、おそらく遊郭独特の建築なのだろうなぁ。

遊郭としては止めてしまったが、その建物は建て方が頑丈でしかも意匠にすぐれており、国道は町を外れて新たに作られたため、この花街の建物はは温存される事になり現在でも民家などとして使用されているようだ。

特別の保存もされずに原型を多く留めているということは、大都市近郊地区にあって極めて稀少性があると言う。

この家並みを歩いてみると、やはり独特の雰囲気を感じてしまう。

かつての遊郭は、貧しい家庭の娘や事情のある女性が多く勤めていたからか、そこに哀しみの思いを感じてしまうのかも知れない。

現在は、かろうじて残されている、この遊郭の町並みも、今後の時代の流れの中で徐々に消えていく事になってしまうのだろうなぁ。