元慶寺
京都の山科にある元慶寺へ行ってきました。

元慶寺は、桓武天皇の孫であり六歌仙の一人でもある僧正・遍照が陽成天皇の生誕によって建立した定額寺がもとになったそうです。

その後に、清和天皇の勅願寺となり「元慶寺」と改められました。

その後に、17歳で即位した花山天皇の代となり、寵愛していた女御が懐妊中に亡くなった事を嘆き悲しんだ花山天皇に、藤原兼家が外孫の懐仁親王(一条天皇)を即位させるために陰謀を巡らせます。

花山天皇に仕えていた息子の道兼が、悲しみに沈む花山天皇を出家するようにそそのかし、内裏から連れ出すと元慶寺で髪を下ろして出家させ、退位させたと言われています。

花山天皇はこうして元慶寺で出家して花山法皇となりました。

また、花山法皇は廃れていた西国三十三所観音霊場巡りを復興させたために、元慶寺は西国三十三所の番外札所となっています。

当時は、寺格も高く寺領も広かったそうですが、応仁の乱により多くが焼失したそうです。

鐘楼門の上には、菅原道真が勅命で元慶寺のために詠んだ漢詩が刻まれた梵鐘が再興されて納められているそうです。

お寺の境内には遍照が詠んで百人一首にも入っている「天つ風、雲の通い路吹き閉じよ。乙女の姿しばしとどめん」の歌碑が置かれています。

お寺の境内にあった石碑を背負った唐獅子が珍しいでした。

普通は亀に似た贔屓が背負う事が多いですしね。

少し交通の便がよくないですが、歴史的には大きな意味を持つお寺ですね。