夜叉神
京都の南区の九条大宮にある「東寺」は「教王護国寺」と言うのが本来の名前だが、平安京の出来た折りに羅城門を挟んで西の「西寺」と東の「東寺」として建てられてから東寺の名前で親しまれている。

ちなみに、平安京で正式に建立を認められた寺院は西寺と東寺だけであったと言う。

東寺は嵯峨天皇によって弘法大師・空海に任されることになり、真言密教の根本寺院として発展を遂げていく。

平安京を偲ばせる建物はほとんどが姿を消してしまった中で、唯一と言っていいくらいに当時と同じ位置で現存するのが東寺であり、平安京を知る上での重要な史跡でもある。

東寺と言うと「五重搭」が有名だが、その五重搭は東寺の南側の九条通りに面して建てられており、同じく九条通りに面する門が「南大門」である。

南大門は東寺の正門的な位置付けにあるが、現在になって平安京の実測地図などを作成する時に定点とされたそうで、南大門の中心を基準として羅城門や朱雀大路が測られて地図にされたそうだ。

さて、東寺は弘法さんとして多くの人の信仰を集めていると供に多くの観光客が訪れる名所でも有り、国宝や重文もたくさん有している。

その東寺の境内で五重搭や講堂や金堂などは有料になっていて土産物店を兼ねた料金所があるのだが、その西側に小さなお堂が二つ仲良く並んでいるのに気がついた方がいるだろうか。

お堂は食堂の南側にも当たるのだが、土産物店に気を取られて気にしない人が多いようだ。

この二つのお堂は「夜叉神」を祀るお堂で、二つのお堂のうちで東側にあるのが「雄」の夜叉神を祀るものであり、西側にあるのが「雌」の夜叉神を祀るものだそうだ。

東寺の境内にあってひっそりと場違いのように建つ夜叉神のお堂であるが、このお堂がこの場所に建てられたのには伝説が残されている。

むかし、東寺の南大門の両脇に夜叉神の雄と雌の像が祀られていた。

弘法大師が造ったとも言われるが不明である。

この南大門の前を通る道は鳥羽・伏見へと向かう道でもあり多くの旅人が行き交っていたと言われている。

その南大門の前を通る人の多くは先を急ぐ事もあり、南大門を拝礼したりする事も少なかったようだ。

しかし夜叉神は、拝礼もせずに前を通る人がいると罰を与えたりしたのだそうだ。

夜叉神は、本来はインドの悪鬼だったそうだが、後に仏教に帰依して仏法の守護神として祀られるようになったものだそうで、髪を逆立て目を見開き口には牙が生えており、腰には獣の皮を巻きつけた恐ろしい姿なのだそうだ。

また、雄の夜叉神は空を飛びまわり、雌の夜叉神は地を這い回ると言う。

こんな話も流れて南大門の前を通る人や付近の人たちも恐ろしくなってきた。

特に日が暮れ時など、恐くて夜叉神の祀られる南大門の前を通るのを避けるようにしたいが、そうもいかない場合もある。

そこで、人々は東寺に夜叉神を南大門から境内に入れてもらえないかと懇願した。

こうして夜叉神は南大門を入った内側の南大門と金堂の間に安置されるようになったのだが、それでも南大門を通ると開いた門から夜叉神が見えるので恐ろしさは変わらなかった。

もう一度、人々が東寺に見えない所にお祀りし直してくれるように頼んで、ようやく講堂と食堂の間の位置に移されて南大門から見えなくなったのである。

お堂の中の夜叉神の像を見ると、薄暗がりの中でやはり恐ろしい姿であり、木像の身体中に虫食いのような穴が開いてしまっている。

実は、この身体に開けられたのは、恐怖のあまり人々が槍で刺した痕だと伝えられていると言う。

このように怖れられた夜叉神であるが、いつの頃からか歯痛にご利益があるとされるようになったそうだ。

お堂の前の雨だれの下に白豆を埋めてお祈りすると歯痛が治ると言われているようで、治るとお礼に割り飴をお供えすると聞く。

むかし恐れられた夜叉神が、今は歯痛にご利益があるとして参拝する人がいるのだから不思議なものである。