袈裟御前
むかし、平安時代の平家が全盛を誇っていた京都でのお話です。

院の御所を警備する北面の武士である遠藤左近将監茂遠の子息に盛遠と言う若者がありました。

盛遠は子供の頃に父母と死別し、父の繁遠の妹になる衣川に引き取られて養育されていました。

叔母の衣川は、京の公家に仕えた後に結婚し、夫と共に奥州の平泉に赴いて袈裟と言う女の子をもうけたのでしたが、夫に死別してから故郷の京に娘の袈裟と共に戻っており、孤児ととなった盛遠を引き取ったのでした。

盛遠は、一緒に暮らすうちに袈裟に対して恋心を抱いて慕うようになりましたが、思いを秘めたままに過ごすうちに袈裟も16歳の乙女に成長し、縁があって源左衛門尉渡の妻になると、盛遠もやがて家を出て父のあとを継ぎ、二人は離れ離れになりました。

それから3年が過ぎ、渡辺橋と言う橋が完成し、その完成を祝った橋供養の日に、りっぱな若武者に成長した盛遠が、配下の郎党を引き連れて警護にあたっておりました。

橋の上では多くの僧侶による供養が行われており、近郷近在の老若男女が集まるなか、橋のたもとの桟敷には身分のある女房たちも輿に乗って見物しておりました。

やがて、橋供養も終って人々が帰り始めた時に、盛遠は桟敷の女房たちの中に遠目にも美しい女を見かけて驚きました。

それは、あの袈裟だったのです、盛遠は身体に熱い思いが沸き起こり、その場に立ちすくんでしまうのでした。

その日から、盛遠は湧き上がる袈裟への想いで、もんもんと恋心を募らせて眠れぬ夜を過ごしましたが、袈裟は渡を夫とする人妻の身でどうにもなりません。

盛遠は、それでも自分の恋心を抑えて我慢してきましたが、とうとう苦しい思いに我慢できなくなり、やがて、意を決して叔母の衣川の家に押しかけました。

盛遠は、叔母の衣川に会うと

「袈裟が恋しくてならない、どうしても思いを遂げたい、それがならないなら、あなたを殺して自分も自害する」

そう言って叔母の衣川を脅します。

衣川は、幼い頃から盛遠を育ててますから、思い込んだら止まらない盛遠の性格も判っています。

思い悩み、怖れを感じた衣川は、やむなく仮病を使って娘の袈裟を呼び寄せると涙ながらにこれまでのいきさつを袈裟に打ち明けると

「やむなくお前を呼び出したが、どうにもならない事です、いっそお前の手で殺してほしい」

と袈裟に言うのですが、袈裟にはそんな事はできません。

しかたなく、袈裟はあきらめて盛遠の思いのままに従うのでした。

こうして無理やりに袈裟への思いを遂げた盛遠でしたが、ますます袈裟への思いは深まるばかりで、側から袈裟を放しません。

渡と言う愛しい夫を持つ身の袈裟は、自分の身を恥じると共にある決意を秘めると盛遠に言いました。

「私は夫のある身でこのままではどうにもなりません、そこで今夜、家に帰って夫の髪を洗い、酒を飲ませて酔いつぶして寝かせるから、濡れた髪を頼りに夫の首を刎ねてください、そうすれば一緒に暮らせます」

盛遠は喜んで袈裟を家に帰しました。

袈裟は、家に戻ると愛する夫と二人きりの酒宴を設けると、夫の渡を酔わせて袈裟の床に休ませると、筆をとり

~露深き浅茅が原に迷う身の、いとど闇路に入るぞ悲しき~

「露に濡れた浅茅が原に迷い込んだ私は、ますます暗い路に踏み込んでしまい、悲しい思いである」

そう辞世の歌を書くと、自分の髪を濡らした後に、燭台の灯りを消して、渡の床に代わって休みました。

夜が更けると盛遠は闇夜に紛れて渡の邸に忍び込むと、二人の寝所に入ると、暗闇の中に手探りで夫の床に濡れた髪を見つけると、これこそ渡だと思い、刀を抜いて首を刎ねると袖にくるんで持ち帰りました。

盛遠が、灯りのある所で首を見ると、それは渡ではなく恋焦がれている袈裟の首でした。

盛遠は自分の行いの結果を嘆くと共に深く悔い、頭を剃って出家すると仏門に入り菩提を弔いながら、やがて文覚上人となったそうです。