阿亀桜
昨日は、京都の今出川通りの「上七軒」のバス停から少し北に上がった所にある「千本釈迦堂」へ阿亀桜を見に行きましたが、まだ三部くらいの開花でした。

「千本釈迦堂」は、正式には「大報恩寺」と言いますが、鎌倉初期に建てられたお寺で、応仁の乱で畠山義就が兵を率いて陣を構えたにも関わらず、奇跡的に応仁の乱の戦火から逃れる事が出来て、本堂は京都の洛中でも現存する最古の建物だと言われています。

700年もの時の流れに生き残ったりっぱな本堂ですね。

このお寺と本堂には「おかめさん」の哀しい伝説が伝えられています。

むかし、この本堂を建てる時に「長井飛騨守高次」と言う大工の棟梁が腕前を見込まれて工事を任されました。

しかし、高次は柱の一本を間違って短く切ってしまい悩んでしまいます。

高次の妻の「阿亀」(おかめ)さんが「このさい、残りの柱も短くして、代わりに枡型を組んでみたら」とアドバイスして、高次は妻の言うようにしてみるとバランスが取れてうまく解決できたのでした。

しかし、阿亀さんは、夫の失敗を妻の助言で救われたとあっては夫の恥になると思い、上棟式を待たずに自らの命を絶って秘密を守ったと言います。

高次は棟梁としての面目は保ったが、大切な妻を失ってしまったのでした。

亡き妻の冥福を祈って、高次は「おかめ塚」を建てたと言われ、今でも「おかめさん」の像とともに多くの人に親しまれています。

私の個人的には、なぜ妻のおかめさんが死ななければいけないのか納得できないし疑問にも思う、妻が自刃してその得を称えるよりも、夫をフォローして夫婦が協力したという方がよほど素晴らしいと思うのだが、昔と今とでは倫理観も違うのですが、妻が夫の犠牲になるのを美学にするのはどうも後味が悪い気がします。

私が夫なら自分の名声とかより妻の方がよほど大事だと思うし、なぜ死んだと怒りと哀しみに包まれると思います。

おかめさんは、また「お多福さん」としても知られていて、京都では「おたやん」と呼び親しまれていて、穏やかでふくよかな笑顔は見ているものを癒すような優しさを感じてしまいます。

また、高次がお堂の棟にに阿亀さんの面を取り付けて偲んだと言われる事から、京都の町屋とかでは家を建てる時に屋根裏に阿亀さんの「おたやん」の面の付いた幣串を置くと「おたやん」が家を守ってくれるとされる縁起物でもあります。

そういう関係でお寺のお堂にはいろいろなお多福やおかめさんが展示されてもいますし、お寺の受付でもお面や人形が売られています。

境内には、始めに書いた「阿亀桜」と言うりっぱな桜の木があり、満開の時には毎年美しい花を咲かせておかめ塚にまさしく花を添えるのですよ。

「わたしゃ お多福 御室の桜 ハナが低くても 人が好く」と御室桜を歌った戯れ歌がありますが、この歌のように阿亀桜も多くの人の目を楽しませて好かれている桜であるのです。

来週末くらいには満開で見頃になるでしょうね。