軒端の梅
今年も京都の東北院へ軒端の梅を見に行って来ました。

東北院は真如堂の近くにあり、以前は拝観も出来なかったですが、昨年の時宗御朱印めぐりで御朱印もされるようになりましたが、コロナ禍で非常事態宣言中で現在は御朱印を中止されています。

この東北院は、かつて関白の藤原道長の「法成寺」の東北の位置にあるから「東北院」と名付けられたそうで、一条天皇の中宮で上東門院こと藤原彰子の住まいだったそうです。

また、このお寺のお堂には藤原彰子に仕えていた「和泉式部」も住んでいたと伝えられています。

和泉式部と言えば、いろいろな伝説が残っていますが、和泉守橘道貞や藤原保昌などと結婚し、冷泉院の皇子為尊・敦道の寵愛を受けるなど、様々な愛に生きた話が残されています。

また、娘の小式部内侍も百人一首に歌を残すほどの才女でもあったそうです。

その式部が残したと梅の木と言われているのが「軒端の梅」であり、とても愛して大切にしていたと言われています。

軒端の梅と言われる梅の木は他にも「清涼寺」などにもあるようですが、謡曲の「東北」に歌われているのは、この東北院の梅の木だそうです。

謡曲の「東北」によると、和泉式部が世を去って何年かが過ぎた時、一人の旅の僧がこの東北院を訪れました。

僧は、旅の途中で和泉式部を懐かしく思い、式部が暮らした「東北院」を訪ねて、彼女が愛した軒端の梅をぜひ見たいと思ってここまで来たのだでした。

僧が、式部を偲んで読経をしていると、いつしか夜になり辺りが暗闇に包まれると、どこからともなく式部の亡霊が現れたのです。

僧は目の前に式部が現れて驚きましが、式部の姿は生前と変わらぬ美しさで、黒髪は豊かで口の紅は露を含んで濡れたように艶やかでした。

式部の霊は僧に向かって、若き日の日々をこまごまと語って偲び、僧はただ懐かしく黙って頷いて聞いているだけだったそうです。

昨年は1月末にはずいぶん開花していたのですが、今年は寒いのかまだちらほらの感じでした。

それでも今でも、軒端の梅は白く美しい梅の花を咲かせ続けています。

また都合がつけば満開の頃に再訪したいです。