崇徳院地蔵
京都の聖護院積善院準提堂の崇徳院準提堂の崇徳院地蔵尊があります。

崇徳院さまは、保元の乱で敗れて仁和寺で出家したにも関わらず、讃岐へ配流されました。

いろいろ苦渋を舐められ悲憤のうちに亡くなられました。

その後、都に大火や疫病、地震などが続くと、これは崇徳院の祟りだと噂されるようになり、怒りを鎮めるために地蔵尊が造られて崇徳院地蔵尊として祀られました。

やがて、月日が経つと、崇徳院地蔵は語感が似てるからか人食い地蔵と呼ばれるようになったと言います。

崇徳院さまにすれば言いがかりで迷惑な事ですね。

それでも、人食い地蔵と呼ばれながらも無病息災にお参りする人は多かったそうです。

昔は、崇徳院地蔵尊は小さな木のお堂に囲まれて暗い雰囲気でしたが、最近はお堂は無くなって、日の下にお祀りされています。