機物神社
7月に入り、そろそろ七夕も近いので、「織姫」を祀るとされる交野市の「機物神社」(はたものじんじゃ)へ行ってきました。

JR学研都市線の津田駅から南の方に向かった交野市の倉治の地に織姫と言われる「天棚機比売大神」(あまのたなばたひめおおかみ)を祀る機物神社があります。

この機物神社は諸説ありますが、だいたい4~5世紀の設立と言われ、この地を治めていた「秦氏」(はたし)に所縁の深い神社で、そもそもこの付近の「津田」の地は「秦田」、また神社のある「倉治」(くらじ)の地は「秦者」(はたもの)と読んでいた時代があるそうで秦氏が住んでいた地と言われています。

秦氏は渡来氏族で京都にも深い関わりのある氏族ですが、様々な技術を日本に伝えており、養蚕や機織の技術も伝えたと言われています。

その秦氏である「秦者」の人々が祀る神社と言う事で「秦者の社」(はたもののやしろ)と言われていたのを、後に七夕伝説と結びついて「はたもの」の名を「機物」と置き換えて、現在の機物神社になったそうです。

養蚕や機織を伝えた秦氏の神社が織姫の神社になるのはなるほどとうなづける部分もありますね。

機物神社の祭神は、「天棚機比売大神」(あまのたなばたひめのおおかみ)と「栲機千々比売命大神」(たくはたちぢひめのみこと)の二神なのですが、もとは「天棚機千幡栲機千々波比売命」(あまのたなばたちはたたくはたちぢわひめのみこと)だったのを長いと言うので二つに別けたとも言われています。

普段は静かな古社ですが、7月6日・7日の七夕の時期には境内に笹の木を立てて多くの願いを書かれた短冊が吊るされて賑い多くの人が訪れるそうです。

また、境内にはおり姫の可愛いキャラと機織機が納められているのもそれらしくて良いですね。

まだ、七夕には少し早いので笹は立てられていませんが、笹を立てるためのポールは立てられていました。

神社の本殿前の鳥居が立ち入り禁止になっているので宮司さんに伺ってみると、やはり先日の地震で鳥居がずれたそうで、一応の修理は終えてるそうですが、安全のために通行禁止にしているそうでした。

今日は、まだ閑散としていましたが、それでも地元の人で参拝に訪れる方も割とおられました。

これから、七夕に向けて徐々に盛り上がっていくのでしょうね。