2003年01月の記事


逃がした魚は大きい
 ほんとの『ビンゴ!』はもう一日の辛抱だった。で、きのうの『ビンゴ!』より今日のタラレバのほうがずっと大きかったってわけ。(嘆き)
コメント (0)

ビンゴ!
 全く今日はついてた。最高!とまではいかないが、やっぱり『ビンゴ!』って気分。(独り言)
コメント (0)

アトランティスのこころ
 スティーブン・キングの世界には空想の窓がある。とびっきりの想像力を働かせてその窓を開けなければ、彼の世界に入り込むことはできない。スティーブン・キングは、単にエンターテイナーであるだけではなく、言葉の大魔王。まず、自分の空想の窓をあけて、それから彼の窓をたたく。窓をあけてもらうにはおまじないでも可能だが、それはやっぱり自分の想像力次第、おつむの調子が悪くて、想像力が欠如しているときは、何度も同じ行を行ったり来たりする。右往左往しながら、昨夜どうにか上巻を読み終えることができた。今夜は下巻、少々おつむの調子がよさそうだから。

 『ボビー、全力を尽くすんだぞ!』
コメント (0)

リンクのチェック
 たった一人の日曜日、あるリンク先がクローズされていたという指摘をもらって、順を追ってチェックしていた。すべて洋楽のMIDIリンクサイトなのだが、なんと10サイトが消えていた。

 それで自分のメインに置いている「Google 検索」にかけては再登録していった。幸いだったのは別なサイトがあったこと、どれも Links 1 からはずさずにすんだ。しばらくご迷惑をかけていたみなさんに報告しておこう。

 ボブ・ディラン、スティービー・ワンダー、セリーヌ・ディオン、マライア・キャリー、ジョージ・ハリスン、マドンナ、ディープ・パープル、エアロスミス、U2、ボン・ジョビの以上である。
コメント (0)

Live in Saturday
夕飯を終えてから、ビデオ録画しておいたサイモンとガーファンクルの『Central Park Concert』、矢沢永吉の『30th Anniversary Concert』、そして、今、WOWOW で『Ayumi Hamasaki Live 2002〜12.30〜』を聴いている。いつもたいてい、音楽は車の中で聴くものなのだが、映像の中から聴いてみるのも悪くない。

 組み合わせはけったいなようだが、僕にはあんまり好き嫌いのジャンルはない。また、個々に好き嫌いはあっても、時代は全然僕のハートには関係ない。演歌はあんまり好みじゃないけど、石原裕次郎の歌は好きだ。そんな具合で今夜はライヴを映像で楽しんでいる。こうやって見ていると、僕もあゆのファンになってしまいそうなので不思議だ。では、またあした。
コメント (0)

お百度参り
 映画「大河の一滴」の雪の金沢でのワンシーンである。三國連太郎演じる、主人公雪子の父親、小椋伸一郎が余命数ヶ月の末期癌に侵されていた。お百度参りをしていたのは、倍賞美津子演じるその妻、麻梨江。99.9パーセント死を間近に覚悟しながら、ほんのかすかな希望にすがりつくようなもの・・・・・祈り。当人が運命(死)を受け入れようとしているのに、その運命を拒絶させる愛。

 映画自体はたいした作品ではない。また、作品の論評をしようとしているわけでもない。そのワンシーンから、冷たい冬の中のお百度参りという記憶が、遠い彼方から戻ってきたのだ。今は亡き母が、凍えるような毎晩毎晩に出かけていたこと、それはお百度参りだったのではないかと、幼少のころの記憶がささやきかける。

 母は殴られても、傷ついても、ひどく裏切られても、あのころは父を愛していたのではないか。そう思えてならなくなってきた。早朝から夜まで一日中働き、深夜には父の事業の成功のために祈りを捧げていた。いや、二人の成功でもあったのだろう。

 あの祈りは何だったのだろうか? 母の晩年にとって、決して報われたものだとは思えない。若気の至りであんなことができるだろうか? すでに僕の年齢はあのときの母のそれを超えていて、僕は祈りのためにお百度を踏むだろうかと考えた。妻のため、子供のために―。僕は親族の中でもきわめて現実主義者的な隅っこにうっちゃられていて、偶像崇拝をしないというよりは罰当たりな存在としての位置にいる。

 そう思えば、母はよく僕の不信心さを嘆いていた。家の神棚に手は合わさないし、交通安全祈願には行かないし、と悔やんでいたものだった。極めつけは、至極渋々成田さんの豆まきに年男として壇上に上らされたとき、ええい面倒だと、ダンボールを逆さに、一挙に真下にばらまいて、群集からひどくやじられたことだった。ふん、知るかいと裃をひるがえして、壇上から一人去っていると、近所の野球少年からピースの合図。「おっちゃんかっこいい」の子供たちの声。むろんうちの長男がいたことは言うまでもない。で、それから母は僕をいかなる祭りの席へも呼ぶことがなくなった。

 突如、あの映画を見て、母の祈りがわかってきたような気がする。貧しく生まれ、父と兄を戦争でなくし、母と弟だけで細々と育ってきた、生きることへの祈り。四人の子供を育てなくてはならないという、切羽詰った祈り。生涯を賭けた人へのすがるような切なる祈り。母には祈りだらけの人生だった。そうして、お金の使い道すら知らずに逝ってしまった。

 かあちゃん、あれはお百度だったんだろう? やってよかったと思ってるかい? おかげで親父はまだまだ元気だよ。
コメント (0)

今夜は
雨天によるグランドコンディション不良のため順延です。
コメント (0)

ほんとにドジなやつ
 昔のガールフレンドのA(ただの高校時代の同級生)と空間を隔てた交流がある。現在は千葉県に住んでいる。未だ年賀状をやりとりする数少ないうちのひとりだ。

 ところが、昨年年賀状がこなかった。そんなことは、これまで喪中のとき以外にはなかったことだった。でも、それに先に気づいたのは彼女のほう。ちょうど去年の今頃、メールで「わたしの年賀状届いてる?」と尋ねてきた。どうやら女友達数人から、「年賀状が届いてないのはどうしてか?」 と彼女を案ずる連絡が寄せられていたらしい。人は恒例なことが突如途切れると、不安になる習性がある。特に女性は。

 メールを受け取ってから「うん? きてなかったっけ?」と首を傾げながら、お年玉のチェックが終わった賀状を取り出して調べてみた。やっぱりきてなかった。あいつはいつもイラストや漫画を添えていたから、届いていないことを気づいていて当然だったのに・・・、その理由は年始の二十年ぶりの同窓会のせいだった。とてもなつかしく、久しぶりに顔を合わせていたため、心はじっくりと賀状を見ることになかった。

 届いていない旨、返信をした。「はやりのアルバイト配達員のポイ捨てじゃないか」とつけ添えて。どうもよけいなことを言ってしまったようである。彼女は最寄の郵便局に問い合わせ、挙句優柔不断な返答しかできない局の職員を糾弾してしまった。が、投函したのに、それなら配達しているの論争は水掛け論となり、まあすんでしまったことは仕方ないで一件落着となった。彼女はやさしくて、気立てのいい女性だったから。

 あれは去年のいつごろだっただろう?半年前か、もっと最近か、彼女から年賀状の束が見つかったというメールがきた。要するに出し忘れたまま、ある場所に置いたままになっていたのだ。それがたまたま偶然に見つかった。やっぱりばかなやつだと、僕は思った。実に面白かった。『けど、まさか郵便局に謝りに行かないだろうな?』と、実直なタイプだけにそれだけが心配だった。

 「どうしよう。今からだそうか?どうしたらいいと思う」

 「今時分に年賀状もないだろ。来年、二年分いっしょに出しゃあ、みんな去年出し忘れていたことわかってくれるだろう。二年分まとめてっていう趣向、一言書き添えれば、けっこう面白いと思うよ」

 それから年が明けた。秋の終わりに彼女は、大学の同窓会でアキレス腱を切って、松葉杖の世話になっていたから、僕は例の年賀状のことを忘却していた。彼女からの二枚の、二年分の年賀状は七日に届いた。また出すのを忘れていたのか、遅配されたのかは尋ねなかった。僕はこの年賀状にまつわるいろんなやりとりを思い出して、ほくそえんだ。

 おとといの夜、メールが届いた。「二枚の年賀状結構評判よかったよ。いいアイデアくれてありがとう。ところで、いつもの文字が見当たらなかったんだけど、奥さんのおばあちゃんがなくなったから喪中だったのかな?」

 急いで返信。件名は『あっ!』 以下  「しまった!そいつはしくじった。去年のお返しになってる。去年の年賀状見て書いてたから出し忘れじゃなくて、もひとつ悪い書き忘れだ。来年は必ず忘れず出すからごめん」

 年賀状は九枚余っていて、そのうち二枚が四等の当たりだった。もう一日メールが早くきていたなら、本当のお年玉つき年賀状を出せていて、出し忘れがちょうどいいジョークになっていたというのに。息子が小学校から帰ってきて、喜んで郵便局へ走っていったのは、午後四時のことだった。四等の切手シート八枚と同時に、消印のない葉書は全部八十円切手になっていた。

 上記のメールの文面に、さらに自分のドジを悔いたことは言うまでもない。
コメント (0)

こだわり
使わない言葉

主人&家内
パパ&ママ

普段使わないだけでなく、
脚色して物を書くときにも使わない。
ただし、「  」における他者の会話、思考だけは除く。
コメント (0)

吉田拓郎ライブ
 先ほどまで仕事をしながら、NHKハイビジョンで『吉田拓郎デラックス 永久保存版2002年 感動のスタジオライブ』を見ていた。

 が、やっぱりあかん。僕との相性はよくない。好みの問題だとは思うが、あるひとつのところで単細胞になれないと彼の曲は楽しめない。僕には少々やかましい。聞けるのは『旅の宿』『襟裳岬』くらいかな。最後の『人生を語らず』は好きじゃない。裕次郎の『わが人生に悔いなし』のほうがずっといい。関係ないけど。

 25日土曜日にはWOWOWで『Ayumi Hamasaki LIVE 2002〜12.30〜』がある。さて、どんな感想になるかどうか。あんまり熱烈に知らないので、拓郎よりは客観的に聞けると思う。
コメント (0)

シャナイア・トゥエイン
 カナダ出身の歌姫、シャナイア・トゥエイン(37)が2月2日に初来日することになった。世界的人気を誇りながら、「ギャラが高すぎて呼べない」(音楽業界関係者)として、来日していない最後の大物女性歌手といわれてきたシャナイア。ついに日本でベールを脱ぐ…。

 シャナイアは、米ナッシュビルでデビューしたカントリー出身の歌手。だが、95年に発表した「ウーマン・イン・ミー」が全世界で1400万枚をセールスし、大ブレーク。カントリー色の強いロックポップス調で、女性の自立を歌う詞が、カントリーファン以外の若者の支持も集めた。 『夕刊フジ』

 で、Links 1に「Shania Twain Midi」を追加完了。
コメント (0)

Five Hundred Miles
 今年になってからよく邦画を見ている。撮りおきビデオとレンタルビデオばかりだけど。かあちゃん、Love Letter 、乱、どら平太、Love Song、学校1〜4、大河の一滴、天国までの100マイルなど。

 15年ぶりほどに見た『乱』は、かなりの制作費を投じた黒澤明の大作だが、かつての記憶以上につまらなかった。監督としての彼の奢りが、ストーリーをさらにつまらないものにさせていた。『七人の侍』『天国と地獄』ほどの切れがない。

 で、昨日の『天国への100マイル』、あんまり好きな女優じゃないけど、大竹しのぶの役がよかった。学校3でもなかなかの名演技だった。ド迫力で言うと、『黒い家』のほうだけれど。あれはハヤシ・マスミ以上だった。

 彼女のはじまりは、五木寛之原作『青春の門』の主演、田中健の相手役に抜擢されたときだった。ともに新人だったが、江藤潤の相手役、竹下景子の『祭りの準備』に約半年先駆けてのことである。もちろんメジャーだったのは『青春の門』、ベストセラーの映画化に東宝が大々的にキャンペーン繰り広げた。僕には、全然きれいじゃないのに、なんで大竹しのぶが脱ぐことが話題騒然なのかわからなかった。

 竹下景子も新人のときに脱いでいる。小さな劇場でしかやらないマイナーな映画だったから、彼女の十代のときの濡れ場を知る人は少なかった。

 おっと、話がそれている。昨夜見た『天国への100マイル』、あの時任三郎と柄本明が歌った英語の歌、あれは100マイルじゃなく、「500マイル」だった。とても懐かしい調べ、フォークソング、僕がギターを弾きながらよく歌った歌だった。それを歌わせた八千草薫はとても素敵なかあちゃんだった。だから、あの映画は○。

 今夜、僕はギターを持っている。今からパソコンを離れて、しばしギターと戯れることにする。覚えている人があったら、知っている人があったらいっしょに歌ってほしい。以下の歌を・・・・・。

Five Hundred Miles

If you miss the train I'm on
You will knw that I am gone.
You can hear the whistle blow a hundred miles.
A hundred miles a hundred miles
A hundred miles a hundred miles
You can hear the whistle blow a hundred miles.

- Lord I'm one Lord I'm two
Lord I'm three Lord I'm four
Lord I'm five hundred miles away from home.
Away from home away from home
Away from home away from home
Lord I'm five hundred miles away from home.

- Not a shirt on my back
Not a penny to my name
Lord I can't go back home this-a-way.
This-a-way this-a-way
This-a-way this-a-way
Lord I can't go back home this-a-way.
コメント (0)

かのひとへ
 ときどきネットが面倒になる。更新することをやめようかと思う。ほんのたまにだけど、HPをクローズしようとさえ思うことがある。でも、ひょこっとあの人の足跡を見つけたとき、やっぱり続けようと思うのである。
コメント (0)

さびしさのつれづれに
 さびしさのつれづれにメールをしたためています、あなたに・・・・・。

 どこかで聴いた歌の文句のようだが、現在の僕にそんなことはありはしない。心を切にしてあなたと呼べる存在、どこかで見失ったはずでもないのだが、思い当たる人がいない。それはとても寂しいことのような気がする。

 ただのつれづれにメールをしたためることはよくある。同じようにメールを受け取るときもある。時間がかかる年齢になっていて、そのうち切になれるのなら、それはそれでうれしいことなのだけれど。

 でも、時々思うことがある。気心の知れた友達なら言葉で呼吸が読み取れる。だが、ネットという世界では、突如疾風のように現れて、ぷいと疾風のように去っていく気まぐれな人が多くて、理解に苦しむことがよくある。見ず知らずなのが幸か不幸か、ネットは身勝手さを使い分けられるから始末に悪い。そうわかっていて、気分が落ち込むことがあるのは、ただのつれづれだとは言いがたい。日々徒に、無機質な画面に毒されることがないように、心しなくてはと思うのである。
コメント (0)

SMBC考
 米ゴールドマンサックスが、SMBC三井住友銀行から1500億円の優先株増資引き受けたことは昨日述べたとおりだが、年間4.5%の配当について新たな事実がわかった。1500億円の4.5%は確定のもので、67.5億円を25年間にわたって支払い続けるというものだった。計算してみると、累計配当は1687.5億円となり、優先株増資の額を優に上回る。さらに現状、住友生命保険の4%を上回り、7%を持つ三井住友銀行の筆頭株主にもなる。今後持ち株を増やして、発言権を強化することも可能だ。

 最近の三井住友銀行の顧客対応について、僕は非常に憤りを感じている一人だ。が、上記のことだけなら癪に障るがそっぽを向いていることもできる。我慢ならない点は、25年間の4.5%の配当について、その間三井住友銀行が倒産したとき、政府の支払いの保障がついていることである。

 そんなことなら政府が足らずを資本注入すればいいではないかと、僕は野村の課長と話したのだが、政府はできるだけ企業の自努力で銀行再生を図らせたいという思惑だという。実にちんぷんかんぷんな話で、滅茶苦茶な道理だと僕は思う。野村證券の課長も僕と似たような気持ちだった。お互い胸くそ悪くて、腹いせに空売りをかけてやろうかと思ったのだが、リスクは僕だけがひっかぶるのでやめておいた。彼が言うには国有化になった場合、穿った見方かもしれないが、頭取以下役員は引責辞任をさせられる、それを逃れたかったのではないか・・・・・、旧財閥系企業の役員の身勝手な考え方だ。実に政府も銀行もふざけている。

 1980年代後半、バブル期前後、どれほどの中小企業が銀行株を持たされた(買わされた)ことだろう。融資を受ける際、有無を言わさぬ銀行の命令において・・・・・。三井住友銀行の前身、住友銀行、三井銀行、太陽神戸銀行、その三行の当時の株価は、今回ゴールドマンサックスが引き受けた株価の十倍だった。うまく売り逃げることができた企業はまずあるまい。いまだ膨大な含み損を抱えているところがあるかもしれない。銀行株の下落によって、倒産した企業がある可能性だってある。企業は融資を受けるために銀行株を売ることを許されなかった。そうして、持ち合い解消という名の下に切り捨てられ、倒産していった中小企業がどれだけあることか。その悲惨さを、国民の税金注入で支えられている銀行の連中はわかっているのだろうか。

 近くにその腹立たしい銀行しかないことが、よけい僕を苛立たせている。
コメント (0)

ヤスクニとコイズミ
 小泉は靖国が好きである。傍目には意地を貫いているようにさえ見える。毎年、政治家の靖国参拝では物議をかもしているのだが、小泉の意志(?)は、歴代の首相とは全く異質なものだ。

 彼は自分の行動を怖気づくことなく見せることによって(実際はみょうちくりんなことが多いのだが)、一国の首相たるものかくあるべきと知らしめているようでもある。

 小泉の経済音痴はいまさらのことではないし、ブッシュの戦争好きは初めからわかっていたことだ。世間は初めに政策ありきではなく、揺るぎない言動、泰然自若たる態度、見た目にかっこいい人物を望んでいる。日々メッキははげかけているのだが、代わる人材がいないから小泉の声の大きさはまだまだ続いている。

 資本力増強のため、三井住友フィナンシャルグループが、1500億円の優先株の引き受けを米ゴールドマンサックスに依頼した。三井住友にとっては生き残りをかけたものだったのだろうが、その優先株に4.5%の配当をつけるとは。預金の利息が0.001というスズメの涙だというのに。

 これで国家を代表する金融機関のなかで、独立した企業の体をなしているのは、都市銀行では東京三菱、証券会社では野村證券だけになってしまった。日産自動車のように外資の力で企業再生が図れればいいのだろうが、ともあれ欧米の日本侵略図は着々と描かれつつある。エコノミック・アニマルと揶揄されながらも、欧米を震撼させていたわが国の企業魂はどこへ行ってしまったのだろう?

 小泉の掲げた景気回復、日本再生のシナリオは、ただの絵空事になりそうでもある。回復どころか、中小企業の不況の深刻さは増すばかりだ。小泉が構造改革という自分のシナリオを信じているとして、またそれが正しいとして、国民はそれを信じてこれまでどおり支持して辛抱できるのか、難しい局面にきていることには違いない。

 小泉の靖国参拝は暴挙だろうか?周辺国の批判を心得ていながらもあえてやっているような気がしてならない。参拝の時期をずらすなど策を弄しているかにあるが、本気でそのつもりでやっているなら小泉は馬鹿だ。国交は正真正銘のイエスかノーかで、日本的イエスとノーはすでに通用しなくなっている。

 で、僕はヤスクニには行かないほうがいいと思う。行きたければ首相を辞めてから行けばいい。そんなことより国内外に難題が山ほど残っており、よけいなことに時間を取られているときじゃないと思うからだ。自民党は小泉で票は取れるが、景気回復は彼には不向きだということを推して知るべきである。

 それにしても昨今の学生に気概がなくなった。学生であるからこその、真実を問いかける英知ある発言というものがあったはずなのだが・・・・・。
コメント (0)

東洋の美女
 最近流行に疎くなった。というより、あまり関心がなくなった。もともと流行歌なるジャンルは好きじゃなかったし、おしゃれは最先端よりもハイセンスなトラッドなもののほうが好きだった。

 三宮の街を歩いていると、相変わらずすれちがう女性に目移りがするし、時として振り返って後姿を見つめてしまうときだってある。でも、なんか違う。たしかに若い女性は洗練されていて、とても素敵なのだけれど、少々誰も彼もが似たような感じがする。

 トアロードにつながるセンター街を西へ歩いていると、CDショップがあり、店頭を飾るポスターの群れを見て気がついた。僕が誰も彼もと感じていたものは、彼女たちのコピー群だった。マス・メディアに感化され、自ずと真似をしたがるこの国民の習性が、個々の個性を奪ってしまっていた。いまさら並べあげることもないだろう。

 黒髪の美しい女性を見かけることが少なくなった。髪の黒さがいちばん美しい年齢のとき、彼女たちはこぞって、遅れをとるのを怖れるがごとく、髪の色やファッションスタイルを好みの人気タレントみたいに変えてしまった。

 青春の盛りを過ぎ、それから年々肌が衰えるのと同様に髪の色も褪せてくる。それは女性も男性も同じことだ。最近、僕も髪の毛が細くなってきたようで、こびんに白いものが見えてきた。かみさんは僕よりずっと白髪が多くて、よく娘に抜いてもらっていたのだが、もうそんなことではおっつかない。ちょっと流行の色とはいいがたいが、二ヶ月に一度はおしゃれ染めの世話になっている。

 それぞれの個性について、とやかく言うつもりはさらさらない。けれど、花盛りの女性たちが、みんな右を向いてしまったら左側には何にもない。かなり前、金髪に染めた女の子を見て、とてもきれいだと思ったものだった。でも、今はそんなことは思わない。黒髪の美人と切に、切に出会いたいと思うのである。
コメント (0)

きのこの子
 年末年始に家族がそろったとき、子供たち三人が歌を歌っていた。娘が振り付けを弟に教えたりして、とても楽しそうだった。とても単純な歌だったが、聞けばとても流行っていると言う。が、あんまり僕の好みじゃなかったので、少々やかましいほどだった。また、たいやき君もどきの歌が流行っているのだろうと思っていた。

 三日ほど続けて聞いていると、いやでも歌詞が耳に入ってきた。『うん、ホクト?北斗の剣じゃないよな。まいたけ、エリンギ、ぶなしめじ・・・・・、きのこの子かあ』

 「お父さん、なにぶつぶつ言ってるの?」 と娘が言った。

 「ホクトって、ホクト産業のことか?」

 「そうだよ。よくわかったね。今CMでめっちゃ人気なの」

 「お母さんと買い物に行くと、たいてい売り切れてるよ。ホクトのきのこ買って応募すると、抽選で’きのこの子’のCDが当たるんだ」 と、今度は小学生の二男。

 「雪国まいたけは?」

 「それはホクトほど売れてないよ。いつも売り場にあるもん」

 「ううむ、1379のホクト産業か・・・・・」

 「おとうさん、パソコン借りるよ。弟にきのこの曲とってやりたいから」 と長男。

 それから二週間が経った。子供たちの目は大人よりずっと確かだ。長男がセガ・サターンだめだと言ったとき、光通信のヒットショップがだめだと言ったとき、両社ともにピークだった。そのころを境に、両社は撃墜されたジェット機のように、山の頂上から転がる岩のように急降下していった。空売っていたなら、僕は億万長者になれていた。(そんな根性ないくせに)

 1月6日の大発会の日、僕は寄り付きで1379を1,000株買った。昨年秋、3,000円台から暴落して2,000円ほどに下がって、2,000円台中ほどに戻しかけたところだった。暴落の理由は業績下方修正、値戻しの理由はコマーシャルソングの大ヒット、どうやら株価は踊り場のようであった。なかなか買った値を上回らない。歌のヒットを知るのが少々遅かったようでもある。

 市場は悪材料にはいくらでも反応するが、好材料には飽きが早い。ホクト産業が今以上に上値を追うには、業績予想上方修正が必要か。で、昨日どうにか売り逃げて6,000円あまりの利益。今のご時世、株を買って儲けるのはたやすくはない。
コメント (0)

お葬式
 今朝はとても冷え込んでいて、小雪が舞っていた。いったん雪はやみ、太陽が顔を覗かせはしたが、とても冷たい一日だった。

 今日は、同じ町内に住む、息子の同級生の妹のお葬式だった。五歳の保育園児で、遊んでいるとき、急に心停止したという。生来心臓が弱かったようだが、いたいけな幼児の死は、お葬式の中でも最も悲しみを感じる。悼む気持ちが言葉にできない。

 午後一時、読経と時を合わせて、雪が降ってきた。遺族の嗚咽が参列者の胸を劈いたとき、それは瞬時吹雪となった。僕のめがねのレンズを濡らして、みぞれのように流れていった。

 お葬式とは悲しいものだ。去年、妻の祖母が亡くなったときは、老衰で九十一歳の大往生だったが、そんな幸福な死はまれである。幼児の死はもちろん、去年のように何度も、志半ばで逝去する壮年期の人々の死を見ることは堪えがたい。

 それから夕方まで小雪が舞っていた。凍てつくほどの寒さではなかったが、風が吹くと頬がピリリと痛んだ。息子が学校から帰ってきてこう言った。「おとうさん、あの子、四月から小学校やったんや。ぼくが遊びに行ったとき、ランドセル買ってもらうの楽しみにしてたんやけど・・・・・」
コメント (0)

良薬
 ドライアイには、目薬より、感動ドラマや映画のほうがずっとよく効く。
コメント (0)

ようやく
 わが新年になったようだ。歯の痛みは今朝治まった。そして、欠場する予定だったゴルフ一月度月例杯Aクラスにどうにか出場し、六年ぶりの優勝を果たした。小春日和の暖かい一日だった。

 うちに帰ったら、ファンヒーターが真っ白に変わっていて、夜のマイルームがとても暖かくなった。この際、お金のことには沈黙して、最も床に近い部分から温風が出てくる新型機に感激。今から午前五時にタイマーをセットして、「たそがれ清兵衛」読もうとしよう。

 明日は最後の片付け、改築で失うものがないように、周到に捨てるものと残すものの分別をすることにしよう。ほかにまた壊れるものがないことだけを祈っている。
コメント (0)

悲しみ
 歯が痛くなってから、年末に他界した先輩の顔が何度も浮かんでいた。彼の治療法になじんでいたので、別な歯科医にかかって不安でならなかった。それは痛みがすぐに治まらなかったからに他ならないのだが・・・。彼は面倒な親知らずを抜いたときでさえ、処置後の苦痛を感じさせなかった。誰もが一晩は眠れない、頬が腫れるといった術後だったときに。さらに痛み止めさえ飲まずにすんだ。

 今日、彼の焼香に行ってきた。同級生の夫人のやつれようが悲しかった。遺影には若かりしままの彼がいて、彼が校医をしていた小学校、工業高校での検診の写真が飾られていた。いつもやさしく、上手に子供たちの診察をしてくれた彼の面影がそこにあった。そして、12月22日、全国高校駅伝で最多となる8度目の優勝を飾った工業高校のゴールの瞬間の新聞が添えてあった。病床でテレビ中継をを楽しみにしていたのだと思う。その感激を見る5日前、彼は他界してしまった。

 家族ともどもお世話になっていた。夫人は高校時代のアイドル的存在だった。あまりに早すぎる逝去だ。どれほど遺影がしわくちゃじじいになろうと、青年の面影を残したまま他界するよりずっとましだ。本人はもとより、縁ある人すべてにとって。僕は歯が痛くなって、また悲しみをぶり返してきたようだ。セーターにかすかに残った線香のにおいが、人の世の切なさ、儚さを感じさせている今宵だ。
コメント (0)

やけっぱち
 きのう本を読みながら眠ったようで、めがねを枕元に置いたままにしていた。そして、今朝ドキッと気づいたこと。めがねを踏んづけて、フレームが再生不能なほどに歪んでしまった。どうにかアロンアルファとセロテープでくっつけて使ってはいるが、ファンヒーターに続いての出費は免れられそうにない。またまたJCBカードのご厄介だ。

 最近コンタクトレンズを使うのは、ゴルフをするときとハイウェイを走るときだけになっている。内緒だけど、ほんのたまのデートのときと。ゴルフ仲間の眼科医が『角膜内細胞』の測定をしてくれたおかげで、またコンタクトレンズの長期使用、長時間の連続使用によって、『角膜内細胞』が減少していく、という説明によって、めがねの使用頻度がふえていたところだった。

 僕の『角膜内細胞』は基準値より少し低かった。まだそれなりに余裕はあるけれど、コンタクトレンズの使用時間を減らさないと、その細胞は年齢とともに減少を続け、ついには失明に至るなどと脅されていた。ちなみに基準値は3,000、僕の数値は右目2,850、左目2,750で、1,500を下回ると白内障の手術はできないと教えられた。つまり老後に失明を余儀なくさせられる恐れがあるということだった。

 基準値を大きく下回っているのは女性に多いと聞いた。やっぱりめがねが嫌いなのは女性のほうが多いからだろう。コンタクトレンズの歴史は40年ほど前までにさかのぼるらしいが、初めはただのプラスチックだった。後に酸素透過性やソフトコンタクトレンズ、使い捨てなどが出てくるのだが、いずれにせよ古いものを長期にわたって使っている人ほど『角膜内細胞』が減少している恐れが多いらしい。その眼科医は、特に学生たちには、家ではめがねを使用するように指導しているという。

 で、まあつまらない話をしてしまったが、改築に前後して壊れたものを並べあげると、テレビ、ビデオ、エアコン、パソコン、ファンヒーター・・・・・、おまけにめがねときた。歯はまだ疼いているし・・・・・(診察に行ったら歯の根っこのところが化膿しているということだった)。幸か不幸かJCBの引き落としのほとんどは今月じゃなかったが、ええい、やけっぱちだい、2月20日にどうとでもなりやがれ! 貧すれば鈍なんてしないやい!

PS 夕方買っためがね、ジョン・レノン型かジェームス・ディーン型か、どっちでしょう?
コメント (0)

バタンキュ〜
 午後からダウン、歯の痛みが増してきて、そこから飛び火した頭痛に参っています。それでとうとう夕方から臥せってしまいました。なんという疼き、痛みなんでしょう。他人事のようにたかが歯痛と思っていましたが、されど歯痛、馬鹿にはできません。何とか晩飯を食って、今はデスクの前におりますが、自分の肉体の不甲斐なさを呪っている次第です。

 明日は予約日じゃないけど、どうも診察を受けなくてはならないようです。朝起きたら治ってた、なんてことは期待できそうにありません。みなさん、どうか歯を大切に。
コメント (0)

疼き
 昨夜左下の犬歯が疼いて眠れなかった。布団に入ると、徐々に痛みは増してきて、全然眠れなくなった。仕方なく、賞味期限切れの誘眠剤を出してきて、効き目が緩いだろうと2錠飲んだら、どうにか明け方に眠ることができた。が、熟睡はできず、なかなか目覚めることができず、目覚めの気分が悪く、一日中頭がふらふらだった。

 歯科医へ行ったら、歯の根っこが炎症を起こしているということだった。ほんとは三日前から痛かった。かかりつけの歯科医、高校の先輩が年末に肝臓癌で逝去してなかったら、こんなにも痛くなる前に治療に通っていたことだろう。

 治療してからよけい痛みが増している。三日分の薬が終わるまでに痛みは治まると歯科医が、同級生の薬剤師が言うけれど、歯からやってきた炎症は頭までを痛くし、何にもやる気が起こらない。かといって、眠るのもおぼつかないからどうにもこうにも厄介だ。歯痛とは、こんなにも面倒なものだったとは。僕は親知らずを三本抜いたけど、たいした痛みも、熱が出たことも、頬が腫れたことも経験していない。

 ああ、また疼いてきやがった。今晩はこれで御免します。みなさん、どうか安らかな眠りを・・・・・。
コメント (0)

川の流れ
 いつも正午ごろ川の流れを見ている。川の流れる音を聞いている。川の流れは単調で、とりわけ天候が穏やかな日には、海の波のように抑揚がない。流れの音は聞き取れなくて言葉にできない。

 いつものカモの群れのそばへ白鷺が下りてきて、また別な季節鳥と戯れている。町が標榜する清流というほどではないが、歩きながらに聴く物静かな調べは、自分の一日を和めてくれてもいる。
コメント (0)

失われたときを求めて
 またきのうからマルセル・プルーストのこの作品が引っかかってきた。去年「カラマゾフの兄弟」をようやく読破し、世界に名だたる長編を読むことはこれでおしまいと思っていた。ようやく楽しみで本を読めるようになっってきた自分が、偉大な重厚な本物の文学を目の当たりにしたとき、いつも怖気づき、体力を消耗してしまうことに、また気がついた。

 今年の狭き門は「失われたときを求めて」となった。これを読破せねば、また僕の読書は自由なものとならない。学生時代からの引っかかりの最後の残骸は、いみじくも失われたときとなってしまった。「スワンの恋」までで力尽きねばよいのだが・・・・・。
コメント (0)

Love Letter from Kobe
 『拝啓 藤井 樹様 あなたは誰ですか?』という手紙からだった。中山美穂という女性が素敵だと思ったのは。映画「Love Letter」をビデオで見たのは何年前だったのだろう。あの二人の女性の手紙のやりとりを映像で見つめながら、どっぷりと郷愁のようなものにつかりこんでしまっていたことが。

 それから今夜、年末に録画しておいた映像を再び見た。記憶にあったのは中山美穂だけで、豊川悦司も酒井美紀も新たな記憶のようになった。ドラマ「白線流し」とオーバーラップする配役は全然気にならなかった。そして、手紙の差出人、渡辺博子の居場所が神戸だったことを思い出した。

 やがてわかる同姓同名の同級生の男女、藤井 樹の存在。中学時代の夢の中の記憶。映像の恋の始まりは、フィアンセを山の遭難事故で失い、傷ついていたヒロコチャンからだったのだけれど、この映画のほんとうの恋はほんわりとあまく、切なく気づくことがなかった十代の記憶。

 ラストシーン、プルーストの「失われたときを求めて」の図書カードに残された藤井 樹の名前、その裏に描かれた樹の似顔絵。ようやく知るにいたった恋の告白。そこで岩井俊二氏の悦に入った表情が想像できなくもないが、けちをつける気はさらさらない。

 自分は評論家ではないので、細部にわたっていろいろ注文をすることはしない。ただよいかよくないか、楽しいか楽しくないか、面白いか面白くないかを判じるだけである。もちろんひとりよがりな感想ではあるけれども。で、「Love Letter」はどうだったかというと、やっぱりよかったのである。問答無用で、ほのぼのとしているのだ。
コメント (0)

かあちゃん
 ビデオ録画しておいた「かあちゃん」を昨晩見た。原作 山本周五郎、監督 市川 崑 主演 岸 恵子である。江戸時代の貧しい市井で、つつましく、あたたかく、ほほえましく、誇らしく、人情あふれる映画である。単なるお涙頂戴の人情物ではない。舞台となっている江戸時代は、不景気という時期に人々があえいでいたという点で、現代と似通っている。この映画では、日本の庶民がこの時代にどのように温かい心を通い合わせていたか、ということが心に染み込んでくる。

 主演の岸 恵子はこう語っている。「現代社会では、人間と人間の心の交流がありません。しかし、舞台となる江戸時代は人情がたくさんあふれていました。“かあちゃん”という役を演じているうちに、『これが人間のあるべき本性なんだ』と思うようになりました。彼女はとても魅力的な女性です。“かあちゃん”のような人が増えたら、日本は温かい国になるのではないでしょうか」

 僕には「かあちゃん」のような人がたくさん増えるとは思えないが、岸さんが言うように本当に増えたなら、日本はとてもよい国になると思う。映画「かあちゃん」は何の変哲もないストーリーなのだが、ところどころにユーモアがあって、言葉のやりとりに微妙な味わいがあって、ちょっぴり渋くって、およそ二時間足らずが、ほんわかと、あっという間に過ぎてしまう。何より声の響きが鮮明で、聞き取りやすく、字幕がいらない(?)邦画ということでもお奨めである。声と音のとりかたが絶妙である。
コメント (0)

耐寒ゴルフ
 吹き荒れる風、摂氏一度の凍えるような寒さ、楽しいとか面白いとかそんな範疇を超えて、苦痛との戦いだった。およそ5時間半、時給二千円もらえるとしても、ただ歩くだけでも断る学生のほうが多いだろう。夜のうち凍った氷は解けることなく、日陰のフェアウェイ、グリーンはコンクリートのようだった。

 だから、ナイスショットをしてもグリーンを大きく跳ねて、アウト・オブ・バーンズへ行き、誰も彼もスコアは滅茶苦茶になった。それでも途中で切り上げず、最後までラウンドしたのはコンペティションだったから。どうにか90でラウンドした僕は3位に入賞できたが、うれしいこともなんともなかった。ただ疲れ、明日風邪をひかないことを祈るばかりである。一人肉離れを起こし、もう一人は眩暈がしてリタイアした。耐寒ゴルフは忍耐ゴルフでもあったわけだ。

 手前の池に入ったと思ったボールが飛び跳ねてグリーンに乗り、バーディーが出るなどということは、通常ではありえないことだ。疲れきった体で画面を見ながら、金輪際耐寒ゴルフなどというあほなことはやめておこうと省みている。冬のゴルフは、朝の天気を見てからするべきものである。
コメント (0)

午後の時間
 唯一写真だけが時間を止めることができる。実際は止めることはできないのだけれど、かつての記憶の中にたたずんでみると、垣間止まっているかにある。

 昨年末の改築の折、書棚の整理とともにアルバムの整理をした。懐かしい写真に見入りながら、忘却していたことがこんなにもあったことに驚かされた。

 そして、落ち着いた年始の三が日にネガの整理をやってみた。白熱灯の光線に透かしながらの結構面倒な作業だったが、色褪せたカラーフィルムにも一瞬時間が止まって見えた。

 振り返ることで今の自分が考えられた。ゆっくりと立ち止まって、自分の周辺を見渡し、それから明日のことを考えてみた。

 漢文の授業で「光陰矢のごとし」という言葉があった。現在という時は以前に増して、物理的な時間をも越えて疾走している。高校のとき習った言葉が、今やけに切実なものになったことを実感する。

 きのう、サンマルクで夕食をとりながら二日遅れの娘のバースデーを祝った。予定通りにピアニストがバースデーソングを弾いてくれた。デザートのあとには記念のシャッターを押してもらった。現像には先ほど出してきたから、もうすぐ写真はできあがる。うまく写っていたなら引き伸ばして部屋を飾ることになるだろう。

 新しい白い壁にはその時代その時代の時が止まっている。けれど、それはやはり過ぎ去ったものであり、今の現実ではない。きのうの娘と家族の写真ですら、もうすでに流れのあとにおかれている。

 僕はデスクの前に腰掛けて、南から差し込む太陽の光線を見つめ、それから20平方メートルほどある西側の白い壁に目をやる。そこでは大仰すぎるほどの枚数の写真が額に入り、サイズごとに整然と飾ってある。その様は、ここ数年のものから一(ひと)昔、二(ふた)昔前のものまでが順を追って時を刻んでいるかのようだ。

 一昔の一の語彙は十年を表しているが、現実的な一昔という言葉の感覚は五年、いや三年、いや一年というほどにまでなってしまった。時代は年々速度を増し、僕たちの生きる感覚までが速度を増しているかにある。

 今日は久しぶりに太陽が輝き、レースのカーテン越しに明るい日差しが入っている。観葉植物の緑が映え、部屋の中で育つアフリカホウセンカの蕾が一つ開いてきた。優雅な午後のひとときである。背の側のきれいに整頓された本に抱かれながら、温かい紅茶を飲みながら、過ぎし日の写真を眺めていると、何度も止まった時に出会うかのようである。そして、僕は思う。時間は絶対止まらないのだけれど、ゆっくりと立ち止まってみることをしようと。生きていくことの楽しさ、幸福について、しみじみと味わってゆきたいと思うのである。
コメント (0)

とのとどの
 ゆっくりと年賀状を見ていた。たいていが印刷ばかりのもので、やっぱり昔のように味わいあるものは少ない。今はメールがあるから友人たちのものでさえ味気なく思う。

 表書きに一枚だけ殿(どの)と書いたものがあった。差出人は金融界のガリバー、証券業界最大手 天下の野村證券某支店の支店長である。その支店長はどの顧客にも上司にしてさえ、名前の下に殿を添えていたと推測される。

 彼はとんでもない勘違いをしていることをわかっていない。おそらく支店長に昇進するまで、殿と添えることが一等敬意を表しているか、もしくはかっこいいと考えていたことだろう。その勘違いを指摘できなかった野村の上司も上司だといわなくてはならない。

 高貴な人もしくは殿様に対しての殿(との)であるなら至極当然だが、普通の人間の顧客に対して添える言葉として殿(どの)は適切でない。広辞苑によると、「様」より敬意が軽いと記してある。「様」と「殿」の意味の違いは知る人ぞ知るである。

 天下の野村の支店長がこんな違いを知っていないということは、ボキャ貧は僕の世代以上にまで及んでいるということだ。カタカナの金融用語ばかり使っているせいだろうか。今度挨拶に来たとき、鎌をかけてやろうと思っている。もし支店長が僕だけに「殿」を使っていたなら、日興證券の営業マンが買ってきてくれたホワイト・ホットのパターで頭を殴ってやるつもりでもある。
コメント (0)

冷たき一日
 今朝は粉雪が舞っていた。徐々に太陽が顔を覗かせてきて、雪は積もらなかったが、遠く北の山頂は真っ白になっていた。冷たい朝だった。

 思えば去年の二日は、一球ボールを打ったところで猛吹雪となり、ゴルフができなくなったのだった。たった一球でプレイは成立し、無論プレイ代も成立した。気分を害した一日だった。そのことがあったからではなかったが、おとといの誘いを断ったのは正解だった。

 が、やっぱり二日は厄日のようで、居間のファンヒーターが壊れ、代わりにとオンにしたエアコンが作動しなかった。去年の改装のおり、面倒なことになるといけないからそのままでいいと言っていたのに、クロス屋がわざわざファンヒーターの給排気管の接続を外し、ご丁寧に裏側にもクロスを貼り、また接続してくれたおかげである。15年も動かさずにおいたものをいじくると、必ずといっていいほど支障が起こるものなのだ。六日、仕事始めの日、工務店に文句を言うつもりではあるが、結局寿命だと言われるのが目に見えている。また物入りの種が増えたと思うと、どうにもこうにも頭が痛い。エアコンは電気屋の接続ミスであろうから、たぶん電機が通うようになれば直るだろうと、支出を避けるべくよいほうに推測している。が、やっぱりこれも15年選手だ。

 ああ、寒い、部屋の中も寒いが懐具合もよけい寒くなってきた。新年早々なんてことだ。どこへも連絡がつきやしない。普通のファンヒーターなら、JCBの買い替えで事は足りるが、屋外へ排気管のついた大型なので修理できるやらできないやら・・・・・。

 二日続けて愚痴るのはもうこの辺でやめとこう。いくら書く材料がないからといってつまらぬ事を言いすぎた。

 寒くとも花壇ではビオラがパンジーが咲き誇っている。レタスはいまだ食するに値するし、キャベツが大きくなり、ブロッコリーが結実してきた。去年の柿はぶら下がったままだし、花梨の実もそのままだ。カモの群れが川辺に飛来し、着実に冬は厳しさを増しているというに、冷たさを感じているのは人間だけのような世相でもある。
コメント (0)

謹賀新年
 今日は娘の誕生日である。娘が生まれて以来、重ねて年のはじまりを祝う日になった。だから、今朝は家族みんなで新年を祝い、今夜は娘のバースデーを祝うはずだった。

 が、元旦はわが家にとってなにかと面倒が起こる日でもある。娘が生まれるに際して、除夜の鐘が鳴ると同時に妻が破水し、あわてて病院へ駆け込んだ。そのとき産科の医師が不在で、ようやく連絡がとれたのは夜明け前。夜勤の看護婦はそんなに速くは生まれないと高をくくっていたのだが、長男のときの教訓で、うちのかみさんは産気づくと生むのが人並みはずれて速いんだとまくしたてたのが結果的に幸いした。娘の産声を聞いたのは医師が到着して30分後。予定日三日前のことだった。

 二男坊のときは、1月25日が予定日だったのに、年末に未熟なまま出産して病院で年を越した。あのときの僕は年末が最も忙しい時期で、12月はほとんど休みもとれず、クリスマス以降の帰りは毎晩零時近くになっていた。母が元気でいてくれなかったなら、どうなっていたことだろうと今になって思う。

 そして今日の夕方、かみさんが突然体調を崩した。おとといから風邪をひいていたのではあるが、二時間あまりにわたって嘔吐と下痢にあえぎ続けた。で、先ほどかかりつけの医院で点滴を打ってもらって帰ってきたところ。改築と年末の多忙が相俟って、疲れていたところへ、腸風邪をひいたのであろう。幸い、病棟にいちばん懇意な気さくな美人の看護婦がいてくれたおかげで、医師の指示を仰ぎ適度な処置を施してくれた。今かみさんはすやすやと休んでいる。

 それで、娘のハッピバースデーはお預けとなり、あさって、サンマルクで仕切りなおしとなった。混雑が予想されるので、前以ってバースデー予約を入れ、ピアニストにバースデーソングを弾いてもらう。そうしてわれわれは本格的にバースデーソングを歌うこととなる。

 今、僕は小学生の息子と二人で過ごしている。どうやら娘も風邪をひいたようで、かみさんの代わりに洗い物をしてくれてから、風呂も入らず寝に行ってしまった。友達と夜っぴて初詣に行った余波が出てきている。

 今日の元旦、我が家で元気なのは男ばかりである。気ままで好き勝手するのが男ばかりというわけではないが、マイペースなのは僕の血統であろう。ちなみに僕は生まれてこのかた、初詣なるものに一度も行ったことがない。寒いし、眠いし・・・・・、ありもしない偶像に願い事して何が叶うというんだろう、というわけでもないが、おそらく生涯詣でることはないであろう。

 ということで前置きが長くなりましたが、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしく。女性のかたはくれぐれも疲れが出ませぬように・・・・・。
コメント (0)