2003年10月の記事


代表取締役
 社長になった。国民年金を夫婦別々にかけるのがいやで、国民健康保険が高いのがいやで、月給10万円の代表取締役になった。もちろん、最低資本金300万円を捻出して、法人の有限会社を設立した。が、それは個人の預金通帳から法人の通帳へお金が移っただけのことである。また、名刺なんかは作っちゃいない。社長といったって、ちっともえらくなんかないのだから。

 会社設立に30万円ほど費用がかかった。法人としての税が、赤字黒字に関係なく、年間6万円必要である。が、そんな諸費用もおよそ2年で元がとれる。自営業か法人であるか、ただそれだけの違いで、社会保険料の支払いが、10年間でおよそ300万円ほど少なくなる。むろん、これは脱税などではなく、節税の部類である。後々に受けとる年金においても、国民年金より厚生年金のほうがずっと多い仕組みなんだから、国民年金を滞納する国民がふえるはずである。

 国保は収入だけでなく、家族数、固定資産税やその他もろもろのものを勘案して決められるのに対して、健保は法人での月収のみにおいて納付額を決めることになっている。当然10万円の収入では食っていけないから、青色申告のほうでの残りの収入をとっている。みなさん、このことはご内聞に・・・。
コメント (0)

愛と資本主義
 毎月、月末になるとWOWOWから翌月の番組表が送られてくる。WOWOWは概して洋画の有料放送だが、いわゆる新作ものはビデオレンタル開始よりもかなり遅れていて、新鮮味に欠けるきらいがある。が、CMはないし、字幕なので他の民放の洋画劇場よりもずっと楽しめる。またタイムリーに見ることができないので、ビデオ録画しておいて、ゆっくり時間があるときに見ることにしている。旧作で見忘れていた映画、再度見たいと思っていた映画が偶然に番組表にあるときはとてもうれしい。

 ときどき海外ドラマなどがWOWOWで初公開されるときがある。7〜8月に放映されたスピルバーグのTAKENやCSI(科学捜査班)などにはとても興味をそそられたものだった。う〜ん、じつにおもしろかった。

 今年の春よりWOWOWではテレビドラマを作成し、放映している。今月の目玉は表題の『愛と資本主義』、中村うさぎの長編小説である。若手ホストに伊藤英明、ホストクラブに大金をつぎ込み、失踪してしまうナツミを高橋惠子が演じている。愛はお金で買えるのか、中年女性の哀愁を、あの五木寛之の『青春の門』でアメリカ兵と大胆な濡れ場を演じた、かつての関根恵子が魅せてくれるらしい。パンフではかなりのメイクを施しているからかもしれないが、ホストと寄り添う黒のドレス姿のもろ肌の惠子のアップは、妖艶であるし、むごたらしくもある。

 第一作、『センセイの鞄』は大ヒットだった。平成15年度民放テレビドラマ番組最優秀賞を受賞している。三十路で独身の教え子の小泉今日子と、妻をなくした先生だった柄本明とのふれあいが、川上 弘美の小説から抜け出てきたようだった。

 で、『愛と資本主義』は11月29日の放映予定。作者の中村うさぎを見ていると、彼女のほうがナツミに似合っている。事実、この小説は彼女が新宿歌舞伎町のホストクラブへ一年間通いつめて、さらに大金をつぎ込んだ末に生まれたという超リアルな物語であるらしいから、まさしく彼女がナツミなのだろう。

 ところで高橋恵子は現在49歳。夫の勧めで舞台復帰して人気復活のようである。たぶん20代後半のようだったと思う。舞台をドタキャンして、人里離れた山奥で3年間、不可解な隠遁生活を送り、ゴシップ週刊誌のときのひとだった。またはじめて脱いだのが33年前の16歳のとき、センセーショナルなデビューだった。山を下り、高橋氏と結婚して二児の母親となり、長くその姿を隠していた。そして、ある日突然高橋恵子と名を変え女優に戻った。それがいつのことだったか、全くに記憶がない。いつもぼくの記憶にあるのは、米兵の騎乗位にある恵子だった。妻であり母である恵子が、彼女にとってまちがいなくネガティブだったお金で愛を買おうとする役をどんなふうに演じるのか、時代錯誤な郷愁を打ち消しながら見てみたいと思うのである。
コメント (0)

矛盾
 それは人生につきものの矛盾のひとつだった。ひとつの情熱はもうひとつの情熱から生命を絞りだし、ひとつの場面に焦点を合わせればほかのものが見えなくなる。
コメント (0)

夕暮れ
 秋の夕焼けは美しくて魅力的だ。が、ずっと陽が落ちるのを眺めていると、なんだかこころ寂しくなってくる。高校時代、教室の窓から夕暮れを見ていたときを思い出す。せつなくて、ほろりと涙がこぼれそうになったあのときを。

 陽が落ちて街に灯が点りはじめ、こうもりが飛び交い、カラスの鳴き声が終わる。やがて深い闇に向かって、空は群青から深玄へと変わっていく。吹く風は冷たさをまして、厚手のセーターが欲しくなる。

 こころ寂しく感じるのは、単にメランコリックなせいだけであろうか? あのころよりかなりの齢を経て、自らの季節を投影させているのではないだろうか? ばかなことを・・・。

 10年前の函館での夜の訪れを思い出す。あのときも過ぎ去った日々が浮かんでは消えた。となりにいたカップルが、ウォークマンで『サウンド・オブ・サイレンス』を聴いていた。かすかな音だったが、風に運ばれて流れていった。『ハロー暗闇さん・・・』とぼくは口笛を吹いてたっけ。

 紅葉したかのごとくに燃えるように咲き乱れるマリーゴールドの三色、黄、橙、山吹。はかなげなスウィート・アリッサムの白い花からは、うっとりとなる香水の匂いが漂ってくる。季節は一年の終わりを迎え、ひとのこころにその一年を焼きつけようとする。沈む夕陽と大きく育った銀杏の木を背景に、ぼくは函館のときにはなかったデジタルのカメラを覗き、あるものに惜別の情をこめてシャッターを押した。
コメント (0)

パワー&テクニック
 海の向こうのワールドシリーズ、松井秀喜は第5,6戦に4番を任されて1本のヒットも打てなかった。打てないヤンキースは、若さのマーリンズに敗れてしまった。地区シリーズでノリに乗ったマーリンズは、さらに実力以上の力を発揮し、熟年ヤンキースは持ち前の老獪さでその勢いをとめることができなかった。

 松井はまだ完成された打者ではない。遠くへ飛ばす王貞治、ジャストミートの張本勲、運ぶ名人の落合博満、彼ら日本三大打者の域には達していない。松井がヤンキースで打率3割、30本以上のホームランを打てるようになるまでには、まだまだパワー&テクニックを修得しなければならない。いつか松井が、ニューヨーク・ヤンキースで真の4番を任される日がくるのを楽しみに待ちたいものだ。
コメント (0)

読書の秋
 めずらしく子供たちの読書欲が旺盛である。これまでになくぼくの書棚を物色している。はずれを避けるためと儀礼上、必ずといっていいほどぼくに『オススメ』を尋ねてくる。はずれは彼らにとって、時間の無駄になるからだ。読書におけるおもしろくない、つまらないという時間は、けっして無駄ではないのだけれど。ぼくは『オススメ』がはずれでないよう、どんなものが読みたいか、どんなジャンルが好きかどうかをきいてから、オススメ作品を選んでやることにしている。

 で、これまでのオススメで二人が一致して気に入った作品は、血がつながった兄妹であるからかもしれないが、トマス・H・クックの記憶シリーズ、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』、藤沢周平の『蝉しぐれ』、ロス・マクドナルドの『さむけ』、スティーブン・キングの『スタンド・バイ・ミー』野坂昭如の『火垂の墓』などだった。宮部みゆき、辻仁成、村山由佳、ボブ・グリーンなどの作品群も楽しめたようだ。

 意外に気に入らなかったのは、五木寛之。1960〜70年代は時代の寵児のように若者に人気があった。現在においても『大河の一滴』、『四季・亜紀子』の四姉妹シリーズなどで変わりない人気作家である。が、ちと最近の彼は、青年のころと比べてではあるが説教がましくなった。悟りを啓いたというようなイメージが、少々辟易の感を抱かせぬでもない。『海を見ていたジョニー』『蒼ざめた馬を見よ』『デラシネの旗』『モルダウの重き流れに』・・・、これら代表作のいくつかですら絶版になっている。大衆文学はその時代その時代でなければ面白くないのであろうか。ナツメロソングはある面時代錯誤であり、懐古趣味である。五木寛之の30年以上前の作品もまた、現在の若者にとっては似たような存在であるのかもしれない。ぼくが10代のころ、国語の先生が勧めた石坂洋次郎という作家が最もクサイ作家であったことのように。

 ちょっぴり頭をひねって、子供たちに安部公房を読んで欲しいと思う。私小説や王朝文学のような日本古来の伝統に背を向け、無国籍な思想と、どこまでも明晰で論理的でストーリが巧みだった安部文学。孤高の前衛文学作家および思索者として、川端や三島よりも世界でずっとずっと輝いていた。またエンターテイメントとして楽しめ、メタファー(隠喩)が自由で、どこの国の人が読んでも感情移入できる特色を持っている。

 『砂の女』『燃えつきた地図』の代表作は、安部公房全作品のなかでも、とりわけ群を抜いてオススメである。さて、この二作に子供たちがかぶりをふるかどうか、読破するかどうか、気に入るかどうかは来年のことである。ま、いずれにせよ青春期の読書は、他のいかなる時代のそれよりもまちがいなく価値がある。
コメント (0)

メジャーリーガー
約40%を占めるといわれる外国人メジャーリーガーの中で
最もアメリカナイズされていないプレイヤーは松井秀喜だ。
そして、最も日本人らしいスポーツマンも松井秀喜だ。
彼の日々の言動、一挙手一投足が物語っている。
コメント (0)

阪神タイガース
 いやはや、どたばたの多い球団である。日本シリーズ開幕直前に監督の勇退を報道されるとは。福岡ドームでの二連敗について、選手個々の日本一になるんだというモチベーションが、レギュラーシーズンと比べて無意識に下がっていた。『監督が何でこんなときにやめるんだ? 健康上の理由とはいえ、公表するのはシリーズが終わってからでいいではないか!』と感じたものは、我々だけでなく、より選手たちの胸中に去来したことだろう。

 昨夜遅くから雨が降りつづいている。午後六時ごろからの降水確率は低いようだが、空を見ているとやむ気配すらない。今日の試合は中止になったほうがいいと思う。事務の女性がヤフーのオークションで、今日の第三戦のチケットを手に入れたらしく、午後から休みをとっている。『甲子園へ行くのかい?』と尋ねたとき、『えへへ』と苦笑していた。彼女は三十路後半ながら独身で、大のトラキチである。

 ぼくは地元タイガースファンではない。けれど、プロ野球の一年で最高の舞台に水を差されたくはない。星野仙一の勇退報道には阪神球団独特の体質がからんでいる。本日、球団社長がセリーグコミッショナーに、間の悪い今回の騒動のわびをいれるそうだが、この時期では『星野仙一、見事、あっぱれの勇退』とは言い難い。

 甲子園で二勝はして、福岡へ戻って欲しいと思う。万が一、四連敗でもしようものなら、タイガースは、海の向こうで86年間ワールドシリーズ出場から見放されている名門レッドソックスの二の舞となるかもしれない。レッドソックスは、かのベーブ・ルースをヤンキースへ放出して以来、86年間ワールドシリーズに出場できていない。アメリカでは、伝統あるそのチームの不運に『バンビーノの呪い』と名づけている。バンビーノとはベーブ・ルースの愛称、先週の逆転負けで、翌年もまた語り継がれる伝説となった。

 タイガース対ジャイアンツをプロ野球ファンは伝統の一戦と呼ぶ。が、日本に12球団制ができた昭和25年より、タイガースは今年を含めてセントラルリーグで4回しか優勝していない。それは横浜ベイスターズの2回に次ぐビリから2番目。また、ジャイアンツと熾烈な争いを演じて優勝したことはなく、昭和37,39年の優勝は大洋ホエールズ(現横浜)がずっこけてくれて、棚からぼた餅の優勝だった。1985年も今年もジャイアンツはどうにか3位で、初めからずっこけていた。日本一はベイスターズの後塵を拝し、1985年にたった一度優勝したのみである。

 雨は全くやみそうにない。やむどころか激しくなってきた。今、新幹線で東京から駆けつけている友人の心中を察してあまりある。スポーツ新聞記者となり、デスクに昇進し、二人の息子が共に阪神ファンとなり、その息子たちは生まれてはじめて勝利の美酒に酔うことができたのだ。星野仙一の胴上げを見ながら、二人の青年は涙をこぼしたと聞いた。

 星野仙一と阪神球団の間で何があったのかは知らない。が、まちがいなく行き違い、トラブルじみたものがあった。球団、会社の体質に起因するもののようである。主力投手の平均年齢23歳のホークスに比べて、タイガースのそれは、井川以外ほとんど30代半ばだ。野手にしてしかり、レギュラーの20代はたった3人。今年の快進撃が、1985年と同じようにたった一年限りで終わる可能性大なのに、そろばんばかりはじいて危機感が喪失している。今年は他のチームが弱すぎたというべきなのに・・・。

 海の向こうでは一人の日本人が血沸き肉踊る活躍を見せている。『バンビーノの呪い』伝説を継続させたのも彼だ。無駄足になる友人には悪いが、雨々降れ降れもっと降れである。もう少し星野勇退の余韻を振り払う時間が必要だ。一日順延となり、タイガースナインの勇気と闘志が目覚めて、レギュラーシーズン同様の戦いができることを、一プロ野球ファンとして切に願う。『センイチの呪い』などという伝説は、けっして作られても、語り継がれてもならぬものだ。
コメント (0)

マニフェスト
 このごろどこでも耳にする言葉。が、実のところは今年の流行語大賞が関の山。政党の政権公約は、大言壮語、嘘偽りや虚構ばかり。国民年金未納者、滞納者が40%もいる現実は、国民が政府を信頼していない証拠、政党だけではなく政治家そのものを信じていない。

 マスコミが公表する世論調査、たった1.000人への電話での聞き取りで・・・。現況を適当に発表すれば、予測範囲のことばかり。

 いわゆる解説者の日本シリーズの予想。タイガース有利が大勢を占めていた。毎年ジャイアンツの優勝を予想している連中と変わりない。

 評論家や解説者はもういらない。BSで野球やゴルフを見ていると、どれだけスポーツだけを楽しめることだろう。いわゆるマスメディアは、何につけ、こざかしく、やかましく、耳障りな存在である。とりわけニュースステーションが大嫌いになった。いい番組は、目で見ているだけで音が聞こえてきたものだ。四の五のと解説をしてもらわなくてもわかっている。彼らは事実と経緯と結果を伝えさえすれば、ぼくには十分なのである。
コメント (0)

秋に見た花
 先月の末、アケビを見つけた場所で、秋晴れの今日、ブルーのアジサイの花が一輪咲いているのを見つけた。とっても澄んだ色で、その日の上空がそのまま下りてきて、透かしているかのようだった。ためらいながら、季節外れの、今年最後に見るはずのアジサイを手折った。アジサイの水揚げが悪いのを承知のうえでである。

 それからおよそ四時間、持ち帰ったときにはすでにしおれかけていたアジサイが、水を揚げはじめたではないか。黄金に色づいたマリーゴールドとは好対照をなして、キッチンテーブルの上を飾っている。天高く澄みきった空色と頭(こうべ)を垂れる稲穂のようである。季節外れのアジサイはぼくの鬱々たるもやもやを晴らしてくれたようでもある。

 季節が変わって、体調も回復し、ゴルフのスコアもそれなりに満足なものになってきた秋の一日だった。先週の連休はぐうたらと寝てばかりいた。きのうは野球とゴルフばかり見ていた。イメージトレーニングがよかったのかもしれない。気負ってボールを打つことより、胸のうちでよいイメージだけを描きながら、ジャストミートだけを心がけてゆっくりとスィングしたのがよかったのだろう。レギュラーティーからのラウンドは78、12パーの6ボギーである。残念ながらバーディーはでなかった。
コメント (0)

震度5
 フロントがぶっつぶれた青のカローラに寝ているのは、近所の杉山さんの奥さんではないか。北側から野次馬をかきわけ旦那が血相を変えてやってきた。
 どこの誰やねん、うちのかあちゃんこんな目にあわしたのは ! ぼくをにらむんじゃないっちゅうの。こちとら被害者なんやから。
 オタクがご主人ですか ? 奥さん出合い頭、パニクリはって、ブレーキ踏まんとアクセル踏みはったようですなぁ。あそこの交差点から20メートルも突進しとるわ。見事、見事、この塀きれいにめげとる。ようシートベルトしてたなぁ。心配あらへん。気、失うてるだけや。
コメント (0)

震度5
 朝7時ごろ、震度5は観測しただろう。どっす〜んと地響きがした。が、家具は揺れなかった。目覚ましの10倍ほどの大きな音がした。
 着替えて外に出てみると黒山のひと盛りだった。なになに警官がいるではないか。うひゃ〜っ、うちの石塀がぶっ倒れてた。救急車のサイレンが近づいてきた。
 あそこの交差点はよくやるところだ。前の事故でミラーがひんまがったままになってる。ほったらかしにしていた前の巡査の職務怠慢だ。起こるべくして起きた事故だと文句言ってやる。すると、警官もトサカ立ててて、おらぁ、朝飯の途中だったんだと怒ってる。
コメント (0)

シリコンバレー
 長男が今朝、サンフランシスコへと旅立った。英文で研究発表をするためだ。親がいなくても子は育つ、だめな親ならいないほうがよく育つ。いつの間にか、子供は親を越えて遠くへ巣立っていく。思えばついこの間のことが、なつかしくも過去となってよみがえってくる。まるで幻影のように・・・。
コメント (0)

沈黙の石
 ぼくの体のなかにはサイレント・ストーンがある。その石は善玉ではなく悪玉のほうだ。だから、眠ったままじっとしていてくれるのがいちばんよい。万が一、再び目覚められたなら、ぼくは死なんかとさえ身悶えるだろう。苦しいからローリング・ストーンもやめてほしい。ぼくはぼく自身の意思で、我が肉体が躍動したり、滅することを望んでいる。神か悪魔か、いずれにせよ、運命じみたものに翻弄されたくない。

雨が降ったり、夏日のように照りつけてみたり、今年の収穫の祭りは荒れている。けんか祭り、死人、怪我人が出なければよいのだが。
コメント (0)

携帯から
  かぜこじらせてダウンしています。パソを開くのも億劫なくらい。ふとんの中で天井眺めているか目をつぶっています。といって静寂からはほど遠く、近所の犬の絶えまない声がやかましく聞こえています。毒団子でも食わせて殺してやろうかと思うくらい。と、太鼓の音が響いてきました。そうなんです。今日、明日と秋祭り、胸さわぐ楽しみもこんなていたらくでは台無しです。息子におとうちゃんしてやれないんです。
  毎晩の携帯ネットはぼくの子守り歌のようなもの。それを昼間っからやってるようじゃ、やきがまわってきたのかもしれません。
コメント (0)

地震のあとで
 昨夜、神戸南東部を震源とする地震があった。うとうとと眠りについていたころである。家中ががたがたと揺れた。震度は2だったようだが、あの震災以来、地震には過敏に反応をしてしまう。で、余震を怖れて眠れなくなった。

 おかげで夜更かしをして風邪をひいてしまった。昼夜の寒暖の差がありすぎるから、うまく体調の調整ができないでいたところだった。やばいと感じたのが正午ごろ、暑かったので半そでで歩いていた。昼食をとりに家に帰ったとき、鼻がぐすぐすいい、のどが少々痛っぽかった。夕方になって頭痛がしてきて、どうやらほんまもんの風邪のようである。

 あの震災の後はひどい風邪をひいた。阪神淡路の人たちのように、惨憺たる被害を直接こうむったわけではないのだが、書棚があわや倒れかかったとき、寸時ぼくはお陀仏を覚悟したほどだった。だから、PTSDといわないまでも、ぼくは地震にひどいストレスを感じるようになっている。

 で、今夜はこれにて風邪と共にお休みします。みなさん、ぐれぐれも地震にはご用心。家具の倒れそうな場所で眠らないように、家具を壁にしっかりとくっつけておくように・・・。
コメント (0)

思い出
いっしょに歌ったヅカジェンヌ候補生たち

あれからもう10年がたった

誰がどうなったのか全然わからない

すでに引退している年なのかもしれない

あした肩組んで歌ってる写真公開してみようかな
コメント (0)

見知らぬ人
 いつもだいたい決まった時間にログ跡がついている。下記のサイトはどんなかたなんだろうと考えてしまう。おなじみさんでも、こんなに几帳面に定期的には来てもらえない。とはいえ、もしも当方のこんなサイトを見てもらっているのであれば、疑問は失礼きわまりないものなので許して欲しい。

 実際、おなじみのかたでも実のところは見知らぬ人だ。写真くらいの交換では、偶然道ですれちがってもわかりはしない。二度ばかり会い、一宿一飯の石川とでさえ、新宿歌舞伎町辺りでごつんとぶつかれば、どちらも『ごめんなさい』で逃げるようにすぎゆくことだろう。

 ある面、ぼくには出会い願望がないとはいえない。メールや掲示板でやりとりする相手と直接声を聞いて話してみたいとも思う。あえて希望をいうなら、会いたいのはぼくより若い女性だが、といってそれだけのことでもない。もし会って話が合わないと気まずいことになる。そりが合わなくて苦い思いをするのがちょっぴりこわくもある。大人になると人は臆病になりがちだ。

 そう考えると、ネットでの友人は見知らぬ人のままがいいのかもしれない。ネットは、少年のころのペンフレンドみたいな関係とは全然ちがう。あれはお互いが懸命に自己紹介しあって、未知なる憧れのような気持ちが先んじていた。思うままが言葉にできず、そのじれったさがたまらなかった。たった一枚の写真、それだけを頼りに空想をめぐらし便箋を書き汚していった。

 四年間、いろいろ出入りはあったけれど、それなりにネットなる世界を理解し、こころ許せるひとも数人できた。ゴルフの腕前が落ちたけれど、ネットのせいにはしないつもりだ。齢とともに日々体力は落ちていく。体力を維持すると同じように、技術も維持向上に努めなければならない。だらしなくすごす時間を減らして、ときどき練習に通おう。ネットに費やす時間は減るかもしれないが、見知らぬ友人がいる限りネットを継続をしていこうと、秋の夕暮れにしみじみと思う。

 以下のみなさん、毎日ご来訪ありがとう。ログ跡だけでも歓迎いたします。もし、気にとまったところでもあれば、どうか一言メッセージを・・・。

00:23 mya_ko@annesse Project K
09:30 pegasasu@nikkan 訪問ありがとう!銀河系!散策中!!
17:56 netrenpo@kigaru NET連邦は進化を望みます
19:05 dosukoi@sasurai DOS王国ノ主権者ハ皆様デス
コメント (0)

Don't let me down
 2003年度クラブ選手権、残念ながら予選で敗退した。ベスト16でのトーナメント、マッチプレーへと進めなかった。早朝から2ラウンド、36ホール戦ってへとへとである。タラレバは山ほどあるけど、たった2ストロークで予選落ちとは忸怩たる思いである。この10年間で予選落ちは今日を含めて二度だけだったから。昨今、腕が落ちたと感じることが最も辛い。

 目が悪くなった。グリーンのラインが読みにくくなった。距離感が悪くなった。思い返せば、パソコンと向き合う時間が増えてから、ゴルフが下手になっていた。ネットをやめなくてはとも考える。こんな調子が続くようならゴルフかネットかの二者択一に迫られる。

 およそ10時間のラウンド、精も根も尽きはてた。今夜はテレビでも見ながらゆっくりとしよう。あしたの朝、捲土重来の気分になれていたならいいのだが・・・。
コメント (0)

ノーベル賞候補
 もうすぐノーベル賞の発表の時期である。昨年は、島津製作所の一研究員の田中耕一さんがノーベル化学賞を受賞し、日本中をあっといわせた。人柄もよろしく、気さくな人で、これまで受賞してきた学者タイプとは全くに異なっていたからだ。田中さんはけっして雲の上の人ではなく、普通のサラリーで普通に働いていたのだから。

 で、一昨日、ヤフーのトップページの見出しをクリックしてみて驚いた。うちの隣の家で育ったN君が物理学賞の候補に挙がっているではないか。彼はぼくより一級下だった。小学生のころ、原っぱでよくいっしょにソフトボールをしたものだった。あのころ小学生にしては寡黙で、雰囲気だけで子供ごころに聡明なイメージが感じとれたものだ。

 ぼくが一年先に中学に入学して、彼との交流は途絶えた。ぼくが運動部で多忙だったから。彼が勉学に勤しみはじめたから。ぼくと彼は一年違いで同じ中学、高校で学んだ。が、学力の差は歴然としていて、小学校で一年逆転し、中学で二年、高校になると彼の入学時と僕の卒業時が似たようなものだったろう。

 高校でのぼくの成績はよくはなかった。が、ぼくがひどいアホだったわけじゃない。彼ができすぎただけなのだ。ぼくが受験生だったとき、ぼくの部屋より先に彼の部屋の明かりが消えることはなかった。20メートルほどの空間を隔てて、ぼくたちの部屋は二階で向かい合っていた。彼が二年生のときのことだった。旺文社全国模試で全国一になり、校内では驚きをかくせず、多くのものが一目置くようになった。『できるとはわかっていたが、それほどにすごかったのか!』と。ぼくらが卒業してのち、三年生になった後輩がいうことには、先生よりもずっとN君のほうがよくできると。そりゃあ、そうだったろう。わかりきったことだった。とりわけ、英語、数学、物理にいたっては教師として教壇に立つ先生たちの面映(おもはゆ)さが手に取るようにわかる。自分が教えることでドジを踏んでいないかと戦々恐々だったのである。運悪いことに彼が三年生のとき、アカン部類の教師の多くが彼の前に立っていた。

 彼はとてもよく勉強ができたが、いわゆるガリ勉タイプじゃない。文武両道、スポーツもそれなりにできたし、理系だったが、俳句を詠んで朝日新聞の紙面に載ったこともあった。特選だったと記憶している。だから、隣に住んでいてうらやましいと思ったことはなかったが、日々近寄りがたい存在になってしまった。また、トーベ・ヤンソンの著作の翻訳、研究で有名になったHさんも彼と同級生で、同じ町に住んでいた。

 彼の現在は東京在住で、帰郷時にときおり姿を見かける程度だ。彼のつれあいは高校の同級生だ。勉学に励みながらもひそかに恋心を育ませていたときく。恋を打ち明けたのは東京のT大に入学してから、関西の私大に通う彼女とは遠距離恋愛が続いたそうな。はじめは彼の片思いだった。結婚にいたるまでのいろいろなことは、後日談で、寡婦となってひとり住む彼のおかあさんの自慢話の中から聞かせてもらったものだった。

 先日、彼は帰郷し、母校で講師を務めた。例年、母校出身者の成功者にいろいろなことを語ってもらって、在校生たちに勉学への意欲をわかせ、またこれからの人生において、社会人としての意識づけをさせるためらしい。彼の講演が終わって三日後、ノーベル賞候補に彼の名前が挙がった。母校ではこの報に驚いているにちがいない。

 最近、家をでるとき、彼のうちを避けて通っている。おかあさんと出くわすと、世間話からはじまり、延々と息子二人の自慢話となっていくのである。一人暮らしの老婦人の話を聞いてあげればと思う。もし、彼がノーベル賞を受賞したら、お祝いをもっていきたいとも思う。母校の誇りとか郷土の誇りなどとは思わないが、子供のころ、いっしょに遊んだことを誇りに思う。

 候補に挙がっただけでも彼は物理学のでは世界的に著名になっているはずだ。それはすばらしことだ。10年ほど前、「電子型高温超伝導体」の発見で仁科記念賞を受賞したときには、ちんぷんかんぷんながらに感服をした次第だった。ぼくは学問としての理系の話は著しく苦手だ。
 
 窓の外では彼のおかあさんが水遣りをしている。年齢は70代半ば、東京暮らしがいやで、良人亡き後ずっと一人暮らしを続けている。彼女にとって、彼の受賞は、候補に挙がっただけでも、わが人生に悔いはないだろう。時間があるとき、ゆっくりと話を聞こうと思う。彼の小学生のころのなつかしい話を・・・。しつけだとか教育だとかそんなことではなく、ぼくらと遊んでいたころの彼のことを・・・。
コメント (0)

ヒガンバナ
 夏の異常気象のせいだろう、彼岸より一週間遅れの彼岸花。栽培しているわけでもないのに、毎年、菜園のふちや樹木の下、そこかしこに増えている。

 この真紅の花の一斉の開花を見ると、秋がきたんだなとなにげなく思う。燃えるような色の花が秋の訪れとは、自然とは不思議なものだとも思う。

 今日は快晴、風もさわやかで、とても気持ちのよい一日だった。透明な光をとおしてこの花を見ていると、真紅の色がいくぶん淡くなっているような気がした。菜園に一年に二回、苦土石灰をまくので、土壌のペーハーが影響しているのかもしれない。

 ヒガンバナ科の花を総称して、リコリスという。山陰地方に人里付近に自生しているリコリスは、ナツズイセンといい、美しいうす桃色をしている。これは中国原産の自然交雑種が渡来して、野生化したものと考えられている。

 で、昼のウォーキングの際見つけた、神社の境内の隅で花開いていたもの、どこから飛んできたのか、ほんわかとなってしまったのである。
コメント (0)