2003年08月の記事


北の国から
純と蛍だけじゃないよ。

ぼくもいるんだからね。

でも、ふたりは東京へ行っちゃうんだ。
コメント (0)

知床五湖
 あのころは国鉄斜里駅からでこぼこ道をバスが走るだけだった。それがいつしか国道334号線が整備され、知床半島の中央、羅臼とウトロを横断する、樹海を縫って走るようなドライブウェイができていた。羅臼岳や硫黄岳の山々を観ながらのドライブはほんとうに快適だった。原生林を眺めていると、時折エゾジカやキタキツネを目にした。さすがにヒグマは目にしなかったが、いつ現れてもおかしくないような場所もあった。

 この横断道路以北には全くに道路がない。知床岬へはウトロ港もしくは羅臼港より船で行くしかない。はるか国後を目の当たりにするためには、三時間船にゆられるしかないのだ。飼い馴らされていない自然が、知床五湖以北に存在する。

 知床五湖は、エゾマツやトドマツなどの針葉樹に覆われた国内最後の秘境といわれる知床の大自然の中で最も美しいところだ。 火山から生まれた五つの湖は第一湖から第五湖まで連なるように並んでいる。これらの湖を一つ一つ巡る散策路があり、所要時間約一時間。が、すべてが解放される期間は八月の数日間で、またたいていの観光客は一湖だけを見て駐車場へ戻っていく。奥へ進むほど秘境の雰囲気が強く、足場もよくはなく、ヒグマが出ないという保証はないからだ。これらの湖の周辺には湿原もあり、水芭蕉やヒオウギアヤメが濃い緑の原生林に彩りを添える。油を流したような静かな湖面はわずかな風にもさざなみを立て、逆さに映した緑の山や白い雲が揺れる。限りなく清澄で静寂な大自然がここにある。
コメント (0)

釧路湿原
真昼の霧にむせぶ釧路湿原、
およそ神奈川県ほどの面積があるという。

数々の生物が生息し、
とりわけ植物の類においては宝庫ともいえる場所だろう。

展望台から見る光景は、
まるで雄大なアフリカのサバンナのようだ。

が、キリンやシマウマの駆ける姿はなく、
湿原に特有の鳥類や昆虫類が時折顔をのぞかせるだけだった。

当日、最高気温摂氏13度、
吐く息が白く風に流れ、
きりりと身がひきしまるような旅の一日だった。
コメント (0)

道東 第二日目
和洋中ミックスのバイキング朝食をたらふく食べて阿寒湖をあとに。昨日に比べ暖かな晴天、澄んだ摩周湖を見ることができる ! と喜び勇んでアクセルを踏む。が、はたまた訪れた湖は霧の摩周湖だった。妻が布施明の古臭い歌を歌いはじめたとき、「時代錯誤はやめてくれ」憤慨する始末。屈斜路湖で昼食をとってからは、どうにもこうにもやけくそになり、猛スピードで知床半島へ。大自然のなかスピードほどに快適なものはない。遠く黒々と映った山々は、近くに見るとえもいえぬ新鮮な色彩で 知床五湖の原生林を歩いたとき、ここにはまだまだ人間に馴らされていない空間があった。
コメント (0)

知床旅情
おおっ〜、ひさしぶりやないの。

あれから何年になるんだろう?

あのときは荒波で、
ひどい船酔いでたいへんだったよな。

あれえ、今度は両親を連れてきたのかあ。

今日はあったかくってよかったなあ。

はるか国後がくっきりと見えるぜ。
コメント (0)

道北 第一日
釧路湿原はサバンナのようだった。風は冷たく、あたかも中秋ごとし。阿寒湖畔では紅葉の気配さえ感じられ、季節はとっくに夏本番を飛び越してしまった。露天風呂から阿寒湖とその周りの原生林、ほんまもんの自然を眺めていると、心身ともに癒されている気がした。 なんでかレンタカーは黒のクラウン、またまた中年暴走族になっちまったわい。北海道の道路は広くて直線、信号も少ないからとばせるのなんのって。あしたは運転を代わらせよう !
コメント (0)

あすより
 道北へ出かけてきます。寒くないことを祈りながら、拉致されないように気をつけて・・・。25日深夜の帰宅の予定です。
コメント (0)

Gallery
 有料なのでもったいないからちょいとストックを載せておきます。20日よりしばらく不在です。急用があれば携帯メールにまで。(そんなもんあるわけない)

 予定のイタリア旅行はボツになり、どうにかこうにか道北旅行へと行けることになりました。一年前からの予定だっただけにとても残念であり、それでも出かけられるだけましだと思ってみたり。

 退屈であれば、宿から携帯で更新するかもしれません。
コメント (0)

秋の気配
 ひどく疲れたときには何もしたくない。ごろんと横になって、スポーツ番組かサスペンスドラマでも見るくらいしかできそうにない。そんなとき、感情のバイブレーションは細波ほどにしかない。

 疲れたときと悲しいときとは全然ちがう。突っ伏して号泣するときなどは、心の奥底に津波が押し寄せるみたいに、からだの隅々までがにがくて息苦しい。けれど、それは結果的に這い上がりたい、逃れたいと思うから苦しいのだと思う。どうでもいいとき、人は悲しんだりしないものだ。

 慢性的に疲労が重なると怠惰になってくる。できるだけ面倒は避けたくなる。安易な平坦さを求めるようになる。他人との議論から極力逃げようとする。そんなときはけっして恋なんかできない。だから、悲しみもやってこない。悲しみと向き合う気力すらないものに、ほんとうに人を好きになることはかなわない。

 これはぼくのことのようであるが、そうでもない。かなり疲れてはいるが、とことん疲れきってはいないからだ。いまだどことはなく恋をしたい希望は持っている。不幸に遭遇した悲しみだけではなく、自分から能動的に行動して、その結果としての悲しみを受けとめる気力をも持ち合わせているつもりだ。

 今日は一日中冷たい雨だった。夏が終わろうとするときの、秋の気配を感じさせるような、長くて激しい雨だった。あした、雨が上がったなら初秋の風さえ吹くのではないかと思うほどだ。季節のデリケートなオーバーラップを雨音や風や光の中に感じながら、ぼくはかつての夏の風景の中に身をおき、あのときこのときの切なさを振り返っていた。
コメント (0)

息子の担任
 小五の息子の担任の先生が気になっていた。人柄もよく、快活で、息子は今年の担任を気に入っている。ちょっぴり丸顔で、ぱっちりとした目をしていた。少々美人でもある。

 気になっていたというのは、男子としての気持ちからではない。思い出せそうで思い出せないもどかしい感じ、そんなようだった。うちへ枇杷狩りに来たときのこと、誰かと似ていた。

 そうして、全くにそのことを忘却していた。疲労困憊の徒然なる今日の土曜日、推理小説でも買おうと近くの本屋に行っていた。そこでなにげなく手に取ったのが、「さよならは恋の終わりではなく」。ページを開くと、担任の先生に似ていたのはこの作者だった。

 作者の名前は吉元由美、杏里の歌の作詞者として記憶していた。そうか、いつの間にか作家になっていたんだ。ぼくは感慨深げになって、流し読みしながらページをめくっていった。

 息子の担任の先生もけっして若くない。おそらく、吉元由美と同年代だろう。先生にはそばかすがある。キャンディ・キャンディでもないが、頬にちょっとのそばかす美人は好みでもある。

 昨夜遅くまで父の面倒を見ていて、かなり疲れていた。ほんの些細な記憶の断片を埋めることができて、うんざりしていた、なえた気持ちが、ほんわりと癒されたような気になった。ぼくは息子の担任の先生と吉元由美を見比べて微笑んでいたのである。
コメント (0)

厄日
 災害は忘れたころにやってくる。今日、病院にいてふとこんな言葉を思い出した。

 ここ二週間ばかり更新が滞りがちだった。怠惰であったし、多忙でもあった。

 実は車で片道50分ほどにある病院に父が入院をしていたのだ。動脈硬化による狭心症で、狭窄しかかった動脈の内科的バルーン・カテーテル手術を受けていた。簡単にいえば、狭くなった場所に金属の管を入れて、血液の通りをよくするという心臓内科のプロの手術。右足の付け根の動脈から造影剤を流し込んで、画面上で心臓内部の血管を見ながら、わずか2.5ミリの血管の中を修復した。狭窄部位は三ヶ所あった。

 本人の苦痛はたった一日だけ、術後は見る見るうちに元気になった。そして、医師の忠告を押し切って二日早く、おととい退院したばかりだった。その間、ぼくは何度も病院の往復と長時間の病院滞在を余儀なくされ、ようやく解放されたと安堵したところだった。

 経過が順調すぎた。全く安静にしてくれなかった。そして今日、プロバスクラブなる会合に出かけて、父にほんとうの災いがやってきた。階段を踏み外して、すってんころり、宙を一回舞って、踊り場でしたたか体を打った。救急車がやってきて、ぼくのところには父が倒れたとだけ連絡があった。

 心臓がパンクしたのかと思った。急いで近くの病院に駆けつけると、上記の通りだった。ドクターのいうとおりに、なんで今日、退院してくれなかったのかと腹が立ったがあとの祭り。幸い心臓のほうには異常がなかったが、手首骨折、唇裂傷、頭部打撲、右足打撲で自宅療養となった。同居復活である。

 今、ぼくは最高に疲れている。入院していた先のドクターに連絡をとり、指図を受け、謝り、救急で運ばれた病院の医師(整形外科、脳神経外科、口腔外科)三人の指示とを整理して介抱をしていた。痛み止めの座薬は妻が深夜に入れてくれる。自分の親ながらに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 20日から予定していた北海道への家族旅行もボツになりそうである。災害はたった一人に降りかからずに、いろいろなところへ飛び火する。どうかみなさん、階段を下りるときは気をつけて。
コメント (0)

SEPTEMBER AFFAIR
 BSでたまたまモノクロのアメリカ映画を見ていた。邦題「旅愁」、1950年の作品だ。

 ナポリやフィレンツェの街の光景はとても叙情的だ。あのドオモもはっきりと見ることができた。そして、美しいカプリの海、そのブルーを想像するだけで旅情に誘われる。

 半世紀前のアメリカ映画は純愛路線だった。今ならうざったく感じられるような情愛が、モノクロの画面を通してさわやかでさえある。

 人は人生に疲れた時、新しい人生をやり直せたら、と思うことがある。それも愛する素敵な人と一緒に。

 ローマを飛び立った飛行機が途中でトラブルを起こしてナポリに不時着した。機内で知り合ったエンジニアのデヴィッドとピアニストのマニーナは修理の間、ナポリ観光をする。しかし、楽しい語らいのうちに時間を忘れ飛行機に乗り遅れてしまう。その飛行機がなんと事故を起こし乗員全員死亡のニュースが流れる。死亡したことになった二人は、過去を清算し二人だけの愛の生活を始める・・・。デヴィッドには妻子があり、マニーナはピアニストとしてアメリカで凱旋公演を控える身だったというのに。

 死んだと思っていたはずの夫、父が健在であることを知った妻子は、デヴィッドを探しにフィレンツェを訪れる。マニーナは二人と出会い、デヴィッドとの離別を決意する。三角関係によるいざこざ、愁嘆場は一切なく、各々が相手の気持ちを思いやり、それぞれが切ない涙を流す。マニーナはニューヨークでの公演を成功させ、ひとりブエノスアイレスへと旅立って行く。

 テーマ曲になっている「セプテンバーソング」、それが実にいい。最初はナポリのレストランで聞いたレコード。それをうっとり聞くマニーナとそんな彼女をうっとり見つめるデイヴィッド。そこから恋は始まった。ロマンティックな曲であり、人生の機微を切々と歌いあげている。春の楽しい時、9月の初秋、そして哀愁の11月・・・と人生を月にたとえたこの歌。短い時を精一杯生きようするデヴィッドとマニーナの心情にぴったりフィットする歌だ。それから、ピアニスト、マニーナが弾くラフマニノフのピアノ協奏曲第2番第3楽章がとてもいい。まさに名画に名曲ありきとでもいうように。

 ま、この映画みたいに男と女の関係がかくあれば、世の中平和なんでしょうが・・・。
コメント (0)

Get Down
 日本テレビの野球中継を見ていて、ジャイアンツの清原和博のテーマソングが長淵剛の『とんぼ』であることは、およそ半数の人がわかっていると思う。清原が出てくると『とんぼ』のハミングで、しばし東京ドームは盛り上がる。男の中の男といった雰囲気だ。

 が、ぼくはそんな現代版、浪花節調が好きじゃない。現ヤンキースの松井秀喜が『ゴジラ』でギャグっぽかったのと異なり、清原のイメージはまるでジャイアンツの英雄のようだ。けれど、彼は去年までの松井ほどに活躍をしていない。松井はそんなジャイアンツを出て、海の向こうのメジャーリーグへ行ってしまった。そうして、手厳しいニューヨークのマスコミ、ファンからも日本にいたときと同じように好感されている。

 清原に流される『とんぼ』は、不在なジャイアンツの四番バッターへの郷愁のようにぼくには感じられる。川上哲治、長嶋茂雄、王貞治、原辰徳、松井秀喜などに優るとも劣らない不屈の四番バッターへの。

 まあ、そんなことはどうでもいいこと。ある選手へのテーマソングで実に粋なものを見つけたのだ。それはタイガースのトップバッター今岡誠。今年絶好調で、セントラルリーグ初の200本安打、さらには現マリナーズのイチローの持つ、年間プロ野球最多安打記録更新の期待が高まっている。いつからはじまったのかは知らないが、少々すっとぼけた表情の今岡が打席に立つとき、バックストリート・ボーイズの『ゲット・ダウン』のイントロが流れているのに気がついた。ビートの効いたテンポのいい、何かを期待させるような、わくわくするようなリズムなのだ。それは、これまでたいていがダサかった、タイガースらしくない粋なはからいだった。

 『ゲッダウン、ゲッダウン、ウウウウウ〜』 この曲で今年のセントラルリーグのMVPは、今岡誠に決まったと言っておこう。 Get Down
コメント (0)

夏の日
 誰でもひとつやふたつ、夏の日の記憶をかかえこんでいる。

 肌を焼くきつい日差し、海の匂い、森の匂い、洗いざらしのTシャツとジーンズ、草野球やキャンプ、突然の夕立、通り雨、そして、海辺の町での短い出会いと別れ・・・・・。

 夏休みがはじまる前には、誰でも楽しい予感でポケットをふくらませ、それが終わりに近づくころにはすり減ったスニーカーみたいにめいってくる。そんな忘れがたい、あまずっぱい記憶のかけらを、ぼくらは宝物のように引き出しにしまいこんでいる。
コメント (0)