2004年03月の記事


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恋愛小説 補足
 聡史は運命をくつがえすことができないと悟ると、毎日、花束を抱えてひたすら病院へ通った。どれほどの日々が過ぎただろうか。日増しに瑞樹の容態は悪化していった。瑞樹の意識は薬の副作用でときとして朦朧となり、つややかだった肌の色も褪せていった。見るも痛々しい恋人の姿だった。

 静まった夜の時間に、聡史はいつものように花束を持って瑞樹の病室を訪れた。と、ベッドの上に瑞樹が大きく両手を広げて立っていた。頭には包帯が巻かれている。照明に映し出された真っ白な映像、あれは聡史が「死神」と呼ばれていたころ、月を見て、自分を変身させようとしていたときと同じ姿だった。

 聡史が呆然として、瑞樹の名を呼んだとき、瑞樹は真後ろに倒れてきた。再び瑞樹を受けとめた聡史、瑞樹が最後の言葉を発する。「聡史のせいじゃないんだからね。約束して、自分のせいじゃないって」

 一年後、遺書を書き終え、死を決行しようとする聡史の前に瑞樹の遺志が現れる。家のところどころに掛けられた十枚ほどの絵画の裏には、瑞樹のメッセージが残されていた。聡史の豪邸の隅々を探索するのが好きだった瑞樹、とりわけ書物と絵画を好んでいた。自分の運命を予期していたわけではなかったのだろうが、図らずも瑞樹から聡史への遺書となっていた。

 よく目を凝らして見ると、落下した額の元の位置には「運命に負けるな」とあった。「死神なんかじゃない」、「もっと笑え」、「元気を出して」、「くよくよするな」、そして、裸婦の絵画のところには大きなハートの中に「愛している」とあったのだ。それから聡史がどうなったか、現在のところ宏行は知らない。

 宏行は遺書作成のアルバイト料を受け取らなかった。受け取ってしまえば、二度と聡史とは会えないような気がしたからだ。その夜、聡史が命を断つ予感があった。そして、自分の運命についても不安を感じていた。

 元恋人に長いメールを打っていた。裏切られた恨みより、残った愛のほうが強かった。聡史にも自分にも不安を感じながらも、元恋人に気持ちを伝えることに気持ちが逸っていた。そして、駅の階段を踏み外した。

 頭から血を流して倒れていた。生きているのか死んでいるのか、野次馬たちが取り囲んでいた。なかなか動く気配を見せなかった。だめかと思ったとき、瞼が少し動いた。額が割れていた。「いてて」と手で出血を確認し、ポケットからハンカチを出そうとした。ハンカチといっしょに山のような薬がポケットからこぼれ落ちた。聡史の今夜飲むはずのすべての薬だった。すると、「宏行!」と女の声がした。

 宏行は回想する。自分は聡史の運命から逃れることができたのだろうかと。そのことによって、聡史も死神でなかったのだろうかと。よくはわからない。わかっていることは自分たちが元の鞘に納まったこと、けががたいしたことがなかったこと。

 さて、それから後のこと、詳しいことはご自身の想像力を働かせて物語を紡ぎだしていくか、原作本もしくはドラマを楽しまれることでしょう。では、これにて。
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デジャヴー〜夢のあとさき〜
 昨年の小椋佳のコンサートツアーのタイトルである。往年の青春ソングと併せて、彼の歩んできた道程を吐露したような内容となっている。自分の歌だけでは盛り上がりは作れないことを、彼自身がいちばんよく知っている。オールドファンだけではない人々にも聴いてもらいたいと願っている。

 そこで織りなされたのが、小椋佳作のおとぎ話、歌つづり「薔薇とお弁当」。小椋がナレーションを務め、スタッフが声優を兼ねる。主人公山崎三郎にはベース男性、村岸小百合にはパーカッションの女性、娘マリにはピアノの女性。その他いろいろの役回りは他の楽器を演奏するスタッフ。

 小椋佳の歌「揺れるまなざし」の独唱からはじまる。法廷での仕事を終えた三郎は、なぜかいつものように車には乗らず、あの公園の道を歩いていた。ブレーキのきしむような音。若者たちの騒がしい声。

 「やばいんじゃない。あのお弁当おばさん」
 「変なおばさんだったよな。いつもバラのハンカチにお弁当を包んでここへ来てたよな」


 三郎の回想。サラリーマンだった二十代のころ。生きがいを感じるわけでもなかったが、会社の仕事に懸命に生きていた。楽しみはギターで、昼休み近くの公園でいつもギターを弾いていた。そんなある日、突然一人の女性が声をかけてきた。

 「いつもあなたのギター楽しみに聴いていたんです。この緑のベンチであなたが歌うのを聴いたあの日からずっと。わたしは毎日この公演でお弁当を食べるようになりました」

 三郎はうろたえた。『こんなきれいなひとがどうして、ぼくのことを・・・』と。そして、唐突に「きみ何て名前?」と言ってしまった。

 「小百合です。あなたのような若い男性が毎日菓子パンと牛乳だけだなんて。このお弁当食べません?」

 小百合も近くの会社に勤めていた。バラの刺繍のある白いハンカチに包まれたお弁当は、小百合のお手製だった。それから二人は、仕事のある毎日の昼休みにこの緑のベンチにきて話し歌を歌った。小百合の出現は、三郎のこれまでの人生において、信じられないような幸福だった。いつもベンチに小百合が待っていた。バラのハンカチに包まれたお弁当、三郎にとっては小百合がこころのバラ、大きく恋が燃えたのは当然の成り行きだった。

 小椋佳の独唱。「白い一日」。

 そのおよそ半年後、三郎は仕事でミスをし、会社に大きな損出を与えてしまう。その結果、左遷の辞令が下る。三郎にとって、公園での小百合との時間がなくなることは、大きな心の痛手だった。ひどく三郎はあせった。そこで三郎は恋の告白を決意する。日曜日、ここで会ってほしいと小百合に告げた。

 その日はギターではなく、バラの花束を抱えていた。三郎はプロポーズするつもりだった。しかし、いくら待っていても小百合は現れなかった。三郎は自分が恋されていなかったのだと失意の底へと沈んでいく。

 ピアニストの女性の独唱。「シクラメンのかほり」。

 三郎は小百合の住所を知らなかった。聞いていなかった。電話番号だけを知っていた。が、一週間かけつづけてもつながらなかった。三郎は疲弊し、左遷の前に職を辞した。

 小椋佳独唱。「さらば青春」。

 時が過ぎ、三郎の傷はどうにか忘れられていった。司法試験のための勉強を始めた。懸命に勉強し、司法試験に合格、アメリカへ留学の後に、日本へ帰って念願の弁護士になった。あれから六年ののちのことだった。ある日、花屋の店先で薔薇の花を見た。ふと思い立ったように三郎はあの公園へ行ってみた。緑のベンチのそばには、よちよち歩きの女の子を連れた女性がいた。小百合だった。ベンチにはあの白いハンカチのお弁当が置かれていた。三郎は驚き、思った。『小百合は結婚していたんだ。あのお弁当を食べるのは、ぼくではなく別な男性になっていたんだ』

 それから十五年がすぎた。三郎は五十歳になろうとしていた。物語は冒頭へともどっている。三郎は若者たちに尋ねた。『お弁当おばさんて?』

 「変なおばさんがいてさ。食べないくせに、毎日お昼にお弁当を持ってきては、あのベンチにいるんだ」

 三郎にはどことなく引っかかるものがあった。一週間後、三郎は再びあの公園へ行ってみた。緑のベンチにはあのお弁当が置いてあって、高校生くらいの少女が立っていた。

 「山崎三郎さんじゃありませんか?」

 「そうだけれども・・・、き、きみは?」

 「わたしは村岸マリです。おかあさんはいつもお弁当を作って、ここであなたを待っていたんです」

 「なんだって、小百合さんは結婚していたんじゃないの?」

 「よくわかっています。あの日は、急に祖母がなくなって、母はここへ来ることができませんでした。それからいろいろあって、すぐにもどってこられなかったのです。帰ってきて、あなたに連絡をとろうとしたけれども、行く先がわからなかったんです」

 「そんな・・・」

 「おばあちゃんが死んで、身内のないわたしをおばさんが引き取ってくれました。とてもやさしいおかあさんになってくれました。母は生涯独身でした。その母が昨夜亡くなったのです」

 小百合独唱。「少しはわたしに愛をください」。

 「このお弁当はわたしが作りました。母とお弁当を作るのが好きでした。この公園へくるのが好きでした。母といっしょにあなたのギターを聴きたかった」

 「どうしてきみは今日この公園に?」

 「大切なひとに会える予感がしたのです。明日の午後、母の告別式です。どうか会いに来てあげてください」

 マリは一冊の大学ノートを手渡す。お弁当のレシピと、小百合の二十数年間の三郎への思いをしたためた愛のノートだった。

 三郎は来なかった。告別式が終わり、出棺のとき、大きく小百合の名前を叫びながら三郎が駆けてきた。参列者からどよめきがもれる。

 マリがささやく。「三郎さんありがとう。よかったね、おかあさん」。声を上げて、みんなに。「あのひとはおかあさんがいちばん会いたかったひとなんです」

 三郎の手前には真紅の薔薇の花道ができていた。三郎からの最初で最後の贈り物。真っ白なウェディングを着て、薔薇のバージンロードを歩く小百合の姿が浮かんでくる。

 小椋佳独唱。「ぼくたちに別れはない、こころかよえば」


 とまあ、こんな歌つづりで御座います。クサイといえば、実にクサイ。そのクササに涙するおひともあれば、辟易するおひともいる。小椋佳が、マイ・ウェイと語りつづけてきたピュア・ラブ・ソングでも御座います。而して、彼は億万長者銀行員となり、後にそれを生業(なりわい)とするようになりました。胃がんを克服しての「夢のあとさきコンサート」、幸せなかたで御座います。

 おっと、山岡百介の語り調が伝染している。失礼失礼。小椋佳のスタッフの女性は誰も彼もが、知性的でスリムな美人。華奢ともいえるラインのナイーヴさが、彼のピュアラブ、青春路線を引き立たせてもいる。少しはやせたが、太く見えるのは彼ひとり、男性のほうもよくもそろえたほどに、スリムなハンサムボーイたちだ。

 で、その続きにきのうの「恋愛小説」を見たわけ。ピュアラブのレンチャンだったわけだ。もう少しストーリーの続きを知りたいむきもあるようなので、あしたちょっとだけ書いてみます。ではでは、みなさんおやすみなさい。
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恋愛小説
 自分に関係する身近な人が、不慮の事故で次々と死んでいく。小学生のころ、愛する両親を交通事故で失い、それと同時に同級生の女の子が死に、「死神」と巷でうわさされるようになってしまった。聡史はそんな自分の運命を感じとって、けなげにも誰にも心を開くまいと決めていた。だが、親族でただ一人自分をひきとってくれたおばさんのやさしさに接したとき、少年の決意は翻意された。が、その翌日、学校から帰ってみると、そのおばさんが階段から転落死していた。聡史の「死神」は決定的なものになり、暗くはかない青春時代をすごしていく。

 聡史は富豪の一人息子だった。親の財産を自由に使える年齢になってのち、ひとり豪邸に移り住んだ。大学へも通った。まわりの学生からは暗くて存在感がないため、「幽霊」と渾名されていた。ひたすら誰とも親密にならないという決意の故だった。

 ある日、大学の構内の階段で、足を踏み外して、宙を舞って落ちてきた女子学生を受けとめる。聡史が初めて恋することになる瑞樹だ。が、聡史はかたくなに歯を食いしばって瑞樹を拒もうとする。「自分は愛するひとを死に至らしめてしまう」という孤独な苛酷な運命との葛藤だ。

 やがて、聡史は瑞樹とひたむきに恋をし、自分の気持ちに正直に生きていこうとする。とても瑞々しい恋愛模様だ。ふたりが出会った夏の日々は偽りのように幸福にすぎていった。が、秋深まるころ、瑞樹の姿が消える。連絡が全くとれなくなった。聡史は自分の運命を疑りかかる。まさかという思いともしやという思いが聡史を不安にさせる。

 ある日、電話が鳴った。瑞樹からだった。

 「貧血で倒れちゃって、今入院しているの。連絡しないでいてごめん。見舞いに来てくれるかな?」

 「・・・・・、行かない。絶対行かない。別れよう。二度と会わないでおこう。ぼくのせいなんだ」

 「そういうと思っていたから知らせなかったの。聡史のせいなんかじゃない。だから、顔見せにきてよ」

 瑞樹は脳腫瘍だった。聡史は悪夢の運命を払拭するために奔走する。瑞樹の家へ行き、強引に自分に関係あるものを貰い受け、二人の思い出をすべて燃し尽くして灰にする。そして、自身は薬物自殺を図ろうとした。

 もう一人の主人公、宏行が語り部として、一人称ぼくで細部を織りなしていく。金城一紀原作の「恋愛小説(対話編)」をWOWOWがドラマ化したものだ。製作プロダクションはあの踊る大捜査線のROBOT。瑞樹役の小西真奈美がなかなかにいい。

 宏行は恋人に裏切られ、傷心のときに聡史に声をかけられる。豪邸へ招かれ、自分の遺書の作成を依頼される。宏行が法律を学んでいたからだ。数々の価値ある絵画の鑑定など、二人の奇妙な交流の日々がしばしつづく。宏行は自分の恋の破綻を話し、それから聡史が瑞樹との恋物語を話しはじめる。

 遺書作成が終わった日、宏行は自分の運命について不安を感じる。別れた恋人からのメール、その返信を打つのに夢中になっていた。そのとき、宏行は駅の階段を踏み外し転がり落ちていった。

 その日は瑞樹の一周忌だった。遺書を書き終えた聡史は封をし、忌まわしい運命に終止符を打つつもりだった。が、用意していたはずの薬が消えていた。何かが落ちたような大きな音がする。画の額が落ちていた。元へもどそうとした。ふとその場所に何かが見えた。瑞樹からのメッセージだった。聡史は家中の絵画の裏を見ていった。最後に見つけたメッセージ、瑞樹が瑞樹そっくりに模写した裸婦の絵画の裏側には・・・・、ちょっと胸キュンのラストシーンだった。

 さて、宏行はどうなったか。それはドラマもしくは原作ででも・・・。
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手水
 ちょうずと読む。キーボードでちょうずと打って変換すれば手水となる。

 昨夜、「浮草」を見ていて、厠から出てきた女が手水鉢で手を洗っていた。ごくごく幼少のころ、田舎へ遊びに行っていたときのなつかしくおぼろげな記憶がよみがえった。水道が完備していない時代、もしくはそんな田舎。ああやって手を洗ったこと、軒先からぶら下がった、バケツのようなアルミの入れ物の底にある棒を手のひらで下から押し上げるようにすると、如雨露からこぼれ落ちるように水が出てきた。

 記憶はかつて見た映像とオーバーラップしている可能性がある。手水鉢なる単語は全くに思い当たらなかった。だから、亡母の弟、叔父に電話をして尋ねた。すぐに「ちょうず」だと教えてくれた。現在も「ちょうずばち」を使っているところはあるかと尋(き)いてみたが、そんなところはもうないと言っていた。

 小津の映像を見ていると、現在の映像では到底醸しだせないような、かつての生の日本がある。昭和の初め、戦後の自分が生れる以前、そして、生れ出でた時代・・・。田舎へ行っていて、ぼく自身が旅芸人を見たことがあるかどうかは定かではない。が、小津安二郎の作品のような映像を、子供のころ見た記憶はまちがいなく残っている。
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今夜から
 小津安二郎生誕100周年を記念して、NHKのBSで五夜連続で小津作品が放映されます。今夜は「浮草」、明日は「生れてはみたけれど」、「麦秋」、「晩春」、「東京物語」と続きます。よき日本の時代が、よき日本の映像とともに映し出されることでしょう。けっして時代錯誤ではなく、今を生きる我々が、良きも悪しきもかつての日本の時代をかみしめることもいいのではないかと。今夜からの三作は初めて見るものです。では今夜もネットはこれにて・・・。
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夢よ再び
 完全復活とまではいかなかったが、日本一タフなコースで最後までラウンドできたことは幸いだった。しかも、100叩きの刑にまでは至っていない。これから徐々に復活して、再び72ストローク、パープレイをめざすのである。

 普段より疲労の度合いは強い。早く眠って、明日に備えよう。あさってには修正申告をしなくてはならないのだから。
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春の一日
少し風が冷たかったが、いい日和だった。
息子といっしょに川へ出かけた。
途中でローソンに寄り、クオカードで「かっぱえびせん」を買って。
もちろん、鴨たちと戯れるためにだ。

鴨たちはいつもの対岸にいた。
かっぱえびせんが届かない場所にいた。
だから、ぼくたちは来た道を戻り、
橋を渡って対岸へ行こうとした。
そのときだった。
鴨たちが一斉に飛び立った。
一周だけ円を描いてから北の国へと飛んでいった。
11月までのお別れだった。
帰り道、ぼくたち親子はかっぱえびせんでおなかがいっぱいになった。

帰ってきてから、久しぶりに花壇や木々を見てまわった。
パンジーやデージーの満開が近づいていた。
チューリップや水仙の伸びもいい具合だ。
木蓮の蕾がふくらんでいた。
息子が金柑の実をとりにいった。
うん?、金柑の木の上のほうに大きな橙色の実が成っているではないか。
五つ六つある。
金柑の木の枝には棘がある。
息子を肩車して手を伸ばさせた。

「おとうさん、これ伊予柑みたいだよ」
「あほなことを、金柑の木に伊予柑がなるか?」
とはいったところで息子のいうとおりだ。
下のほうにはまちがいない小さな金柑が成っている。
二つに割ってみて味見してみた。
すっぱくはないが、うまくもない。
ただ、多少甘い。
摩訶不思議だ。
二人の偽りでない証拠に四個を枝に残しておこう。

12月からずっと枇杷の花が咲いている。
ヒヨドリがピイピイ鳴いている。
カラスがアホウアホウと笑っている。
ああ、この二週間、おまえはなにをしていたのだと
太陽と青い空と吹きくる風がぼくにいう。
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なつかしのミュージカル
 NHKのBSハイビジョンで「ウェストサイド物語」を見ていた。このミュージカルがブロードウェイで上演されたのは、1957年のこと。そして、映画化されたのが1961年。だから、ぼくが劇場でこの映画を見たのは当然リバイバル。「ベンハー」然り「風と共に去りぬ」然り。

 ビデオレンタルしたこともなかったから、この映画を見たのは二十年以上前ということになる。が、記憶にそんなに古くない。「トゥナイト」や「マリア」などの触りくらいは今でも歌える。鮮烈な心象を受けた記憶は、いつもどこかで顔を覗かせる。なつかしいよき記憶の一部分だ。

 どんな記憶でも消し去ることはできない。電子メールみたいに、削除を選択すればすべてが藻屑となるように、人間の記憶はできていない。忘れるということは、どこかの奥底へしまいこんで見ないでいるだけだ。永遠に見ないですむならそれでもいいだろう。でも、嫌なこと苦しいこと哀しいことが、不意に表へ現れてくることがある。それは生きている限りどうしようもないことなんだろうと思う。ひとの人生にはいろいろなことが折り重なっている。よいことだけを見て生きていければ幸福なんだろうし、いやなことばかりが先に出るようなら不幸なのだろう。
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こんなふうに
 夜、布団の中へ入ると、中也の詩を読みながら、ビリー・ジョエルのアルバムを聴いています。
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中也詩集
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中也詩集
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魔除け
陀羅尼のお札で御座います。

しばらくネットから休養を命じられております。
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咽頭炎性かぜ
喉が痛い。
嚥下するのが痛い。
息をするにも障りがある。
トローチのなめすぎで舌が痛い。
薬がきついので胃の具合が悪い。
あげく腰まで痛くなってきた。
こんな支障が重なり合って、
じきに目が覚めてぐっすり眠れないからなかなか治らない。

今宵もこれにて・・・・・。
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一寸の虫
一寸の虫にも五分の魂というが
手前勝手にこさえたニワトリを
数十万羽も殺処分だなんて、
おおこわ、おおこわ。

30年前より卵の値段は同じ、もしくはそれ以下。
スーパーの乱売合戦、目玉商品合戦、
原価無視の客の取り合いによるところ大。
コストを下げるためのしわ寄せは業者の生産体制にも大きく影響している。
生き物を集客の道具に使ってきた罰(バチ)かも。

ネピアかエリエールだけにしときゃいいのに。
チラシの目玉の卵にはご用心を。
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ゴッド・ファーザー
 ホビット庄から娘が帰ってきた。写真でみるあの緑の大地は、イングランドのゴルフ場が延々とつづいているようだ。土産はなかったが、元気で帰ってきたのがいちばんの土産、ほっと一安心だった。

 が、しばらくしたらイタリアへ行きたいという。ちとあわただしいんではないか。小五の息子がこっそりと教えてくれた。メールがたびたび入っているらしい。で、息子はパスワードを内緒で知っていて、それをこっちへ転送してきた。親しき仲にも礼儀あり、家族といえどプライバシーは守らねばならぬ。わかっているわい、そんなこと。あのパソコンはお古で息子のものなのだけれど、そんなことはしてはいけないと息子にきつく言い聞かせるつもりである。

 が、しかたなく翻訳してやった。イタ公の英語なんて簡単なものだ。同じクラスで勉強したイタリア人のタクシードライバーが、イタリアよいとこいつでもおいで、飯はうまいし楽しいところ、早くおいでと誘っていた。さすがイタ公、自国の男子たる本分を心得ている。

 さてさて、いかがしたものか。息子はえらく笑っている。意味がわかっているのかどうか・・・、うん? あの写真の男なのか。アル・パチーノの若いころにそっくりだ。あかん、あかん、コルシカ島へでも連れて行かれたら、ゴッド・ファーザーになってしまう。かけるなって、31日に録ったビデオ。
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早仕舞いにて候
 夢の中に青い羽を持った鶏が出てきたので御座います。太陰に煌々と照らしだされたその鶏は、翼を広げて舞を舞っているようでもありました。それはそれは美しゅう御座いました。なんと背景はウサマ・ビンラディンの鶏舎でした。

過労で御座います。

夜明け前、夢にうなされ、喉が痛くなって目が覚めました。
それから全然眠れませんでした。
どうやら風邪引きのようで御座います。
目もしょぼしょぼでぐったりとしております。
が、決して鳥インフルエンザではありません。
巷説譚に取り付かれてはおりますが、
あやかしに気がふれたわけでも御座いません。

どうかみなさん、ご自愛を・・・・・。

 今夜はBSで「恋に落ちたシュークスピア」を観て、そのまま眠ることといたします。洋物なら青い鶏も出ますまいて。
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鳥インフルエンザ
 対岸の火事ではなくなってきた。有機飼育をしている友人の鶏舎も、卵の出荷自粛を余儀なくされている。自粛といっても、お役所命令の停止と同じことで、役所都合の体のよい表現を使っているだけのことである。

 近隣のスーパーでは卵や鶏肉の取り扱いを激減させている。消費者が買わないだろうからだ。焼き鳥屋は開店休業状態だ。卵を買いに行って、置いてなかったという店まであったそうだ。京都丹波町に端を発した隠ぺい工作のおかげで、鳥インフルエンザ騒動は兵庫県中南東部を巻きこんでしまった。友人の住む田園地帯では、事件発覚以来、夜討ち朝駆けのごとくに連日連夜報道陣が詰めかけて、町史に残る混乱となっている。

 一度友人のコメントが紙面に載った。卵は結果であり、私は鶏の健康をいちばんに管理していると。憤懣やるかたないとまでは言ってはないが、憤りを通り越して、精魂こめて育て上げた鶏の毎日の卵を捨てることの忍びなさが漂ってくる。

 役人は結果がないと動き出さない。だから、あんなふうな隠ぺい工作が発生する。すでに国内で鳥インフルエンザは発生していたのだから、なぜ各都道府県の養鶏業者の実態調査を指示しなかったのだろうかと、農林水産省の怠慢を感じる。

 今夜の夕食はすき焼きだった。もちろん生卵を使っている。O157事件当時のカイワレ大根然り、うろたえることなく、ふつうに生きることが吾のもっとうである。が、鶏肉だけは怖ろしい。腸炎にかかってお陀仏になりそうな鶏を、まず先に出荷するのが業界の常識らしいではないか。

 食用鶏、いわゆるブロイラーは雛からたった3ヶ月で生育し、市場に出るという。太陽に当たることはほとんどない。檻の中に入れたままで、夜は電気をつけて眠らせず、24時間餌を食い続けさせて成鶏にする。飼料は全くの天然ではなく、抗生物質入りの化学配合飼料だ。あげく、腸炎持ちとくれば、いかに吾といえどおっかなくてしかたがない。人類みな複合汚染、そういってすませてよいものかどうか、未来へ子供たちが生きていくのだ。この際、食生活について、じっくりと考えて見たいと思うのである。

 自然卵 ←ちょっとウサマ・ビンラディンと似ている
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開店休業
しばし、確定申告に追われています。
今年から株式の申告が加わりましたのでけっこう面倒です。

今日の新聞で、財務省は2005年度からゴルフ会員権を贅沢品として、売却損の相殺(損益通算)廃止、所得税法を改正するとありました。バブル期には好き放題税金取っていたくせに、取れなくなるや・・・、自分勝手なのはお国が最たるものです。去年片付けておいてよかったと胸をなでおろしています。損は損なのですが、おかげで今年は納税額が激減しそうです。ものごとはよいほうにとるようにしないと、継続してやっていけません。

レスポンス、しばしご猶予を。
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