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迷探偵 矢吹五郎
 城崎の夜

 朋子と水入らずの温泉旅行の最後の晩だった。山陽自動車道を走って、萩に泊まり、山陰へ出て出雲に泊まり、三日目の夜だった。

 子供たちは高校生になっていて、しっかりと留守をしてくれている。俺の稼ぎでは、愛車カローラに乗って、三泊四日の温泉旅行が精一杯だ。あのときせしめた金はって? てやんでえ、それは子供たちを大学へ行かせるためにとっておいてある。学がないと俺さまみたいに浮かばれなくなっちまう。息子にこんなしがない探偵稼業をやらせられるかってんだ。

 朋子は俺にはできすぎた女房だ。こんなちんけな車でドライブしているだけで、仕合せそうに微笑んでくれる。高級旅館でなくても文句ひとついわない。ささやかな料理でもああおいしかった、ひなびた温泉でもああいいお湯だったと喜んでくれる。ただし、そんな朋子にもひとつだけ欠点がある。色っぽい人妻や別嬪さんの若い子に流し目をしたりすると、思いくそ俺のケツをつねりやがる。浮気をしたわけでも口説いたわけでもないのに、そんなとき朋子は般若のような顔になる。「いてて、おおこわ」と俺が顔をしかめると、朋子は元どおりにっこりとする。

 といって、朋子は俺の日常に詮索をすることはない。俺の仕事の依頼は色恋沙汰が多いから、誘惑はけっこうある。が、仕事に口出しはしないし、外でのプライバシーをとやかくはいわない。外で何をしていようと、家庭を守っていてくれたらいいと口に出してはいわない。それだから、どうにもこうにも朋子の手の平の上に乗っかっているような、奇妙な心地を感じてしかたがない。ここ数年で俺は煮ても焼いても食えない男から、据え膳すら食えない男になってしまったような気がする。ふと、湯に浸かりながら佳代のことを思い出した。

 朋子は「三木屋」とかいう旅館に泊まりたがった。今回の旅行での唯一のわがままだった。が、秋のシーズンは予約で満杯だった。「三木屋」は志賀直哉とかいう文豪の小説で有名になった、創業二百六十年という老舗らしい。有名なだけあって、料金が特別高い。俺は昔のダチがやっている椿野旅館に泊まりたかった。椿野は悪いことして遊んだダチだ。俺によいほうのダチなんて残っているわけがない。由々しき格調と情緒の旅館なんて、俺には及びでないことだらけだ。

 で、夕暮れ前、お日さんが沈んでいない先から湯に浸かっていた。椿野が旧交を温めようと、夜はネオン街へくりだすことになっていた。こんな温泉町でネオン街もあるまいと思っていたが、それは蛇の道は蛇、椿野なら城崎の甘い酸いは何でも知っている。朋子は三木屋を見にいきたいといった。浴衣着て、城崎の界隈を歩いてみたいのだそうだ。文学散策だとか何とか言っていた。朋子は俺の留守が多いので、ひとりよく本を読んでいる。晩飯までの間つきあってやることにした。

 浴衣着たままで、近くの駐車場までカローラで行った。緑深く囲まれた場所に三木屋はあった。庭先まで歩きながら、朋子は「或る一つの葉だけがヒラヒラ同じリズムで動いている」とつぶやいた。

 「なんだそりゃあ!」と俺が目を白黒させると、朋子はくすくすと笑った。「つまんない小説よ。あたし、この小説大きらいだった。国語の新任教師が担任で、この小説にえらく入れ込んでたの。・・・よそうっと、つまんない思い出・・・」

 つまんない思い出か、俺にもいろいろあった。ありすぎたくらいだ。朋子にだってあって不思議じゃない。これっくらいでこころのすきまが埋まりゃ、いい人生ってことよ。「朋子、寒くなってきた。そろそろ帰ろうか」

 「ありがとう。見るだけで十分だったわ。泊まらなくてよかったと思う。宿泊費高かったでしょうね」

 朋子にしてはめったにない、いい訳だった。ほっとため息をつくなんて、思えば俺はいっしょになるまでの朋子のことをほとんど知らなかった。朋子が腕を差し込んできた。振り返ると、庭先に着物姿の女がいた。女将だろうかとも思ったが、その華奢さに泊り客なのだろうと思いなおした。

 晩飯は椿野大盤振舞いの馳走だった。それまでの二晩に比べて、量の多いこと多いこと、味は似たようなもんだが、フルコースの三倍ほどの料理が出てきた。朋子は腹の底が深いほうだが、とても食べきれないと音をあげた。

 朋子をひとり部屋において、俺は椿野と飲んでいた。ちょっとしたラウンジで、年増のママが艶っぽい。若い子も三人置いている。椿野は酒が入ると女癖が悪かった。おいおい、昔みたいに一万円札並べてパンツ脱ぐのだけはやめてくれよな。

 「おい、五郎。十五年ぶりやぞお。音沙汰も全然ないし、居所もわからへん。昔の仲間やのに水臭いやないか。探偵はじめたと風の便りに聞いていたけど、やばい仕事してるんやないやろな?」

 「ちゃんと顔を見ていえよ。女の子が怖がってるやないか。俺さまは正真正銘の名探偵、明智小五郎とまではいわんが、金田一京助レベルの腕前や」

 「金田一耕助じゃないの? それとあたし、金田一少年の事件簿、好きだったわよ」 と女Å。

 「あたし、コナンのほうが好きだわ」 と女B。

 「ねえねえ、このおじさん、毛利小五郎と似てない? 口髭つけたらそっくりじゃん」と女C。

 「椿野、この店出よう。俺のいちばん腹のたつこといいやがった。悔しいというかクソ腹がたつというか・・・」

 「まあまあ、ちょっとあんたたち、お客さんを怒らすようなこと言っちゃだめじゃない。椿野さんは大事な上得意さん、そのお友だちならもっと大事、言っていいことと悪いことをわきまえてね。ねえ、ところであなたほんとうに探偵さん? 探偵さんならお願いしたいことがあるんだけど。椿野さん、いいでしょうか?」

・・・続く。。。
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クレマチス (キンポウゲ科)
Clematis



 いちばん作ってみたい庭、それはクレマチスガーデン。気品あるホワイトを中心に、さまざまなクレマチスを四季折々に咲かせてみたい。洋の東西で美術の主題となっており、クレマチスの花に囲まれた庭での暮らしは、なんと優雅な趣きなのだろうと憧れてみたりするのである。

 クレマチスは、キンポウゲ科クレマチス属で、つる性宿根草の植物である。クレマチスという呼び名よりは、「テッセン」という名で広く一般に知られているが、テッセンは江戸時代に中国から渡来し、茶花として愛された白い花弁に紫色の弁化したおしべを特徴とするクレマチスの一品種(原種)のことである。よく園芸店でテッセンの名前で見かけるカラフルな花色の鉢植えはクレマチスで、その殆どは古からのテッセンではなく他の品種だ。それほどテッセンは、日本人に昔から親しまれていたともいえる。(「クレマチス」は、テッセンを含め、様々な品種にたいする総称名として用いる)現在のクレマチスの多くは、日本の自生種「カザグルマ」が、ヨーロッパに渡り外国の他種との交配により品種改良され、日本に戻って来た。近年では、国内でも育苗業者や愛好家により新しい品種が次々と作出され、色彩や花形がとても豊富となり、四季咲き性のものも多く、春から晩秋まで楽しむことができる。

 クレマチスの花色には、紫・青・白・赤系等の単色の物から、他の色の筋が混ざるものなどがある。花形は多くの品種は一重で、時折八重のものや、開花時期や成育状況などにより八重が混ざる半八重のものが見うけられる。花弁(実際には、がく片)の形状は、先が丸いものや刺のように突き出したもの、花弁の周囲が波うったようになるものもある。このように、クレマチスは品種改良によって種類がとても豊富なので、其々の特徴の違いを楽しむことができる。クレマチスを鑑賞する上での仕立てかたには、フェンスや垣根に這わせる方法(手間があまりかからない)や、日本古来からのあんどん仕立て(朝顔で用いる鉢仕立ての方法で、あまり場所をとらない)、最近ではバーコラやコンテナ、ロックガーデン仕立てで、周囲とのマッチングを楽しむ向きも増えてきた。クレマチスは、開花鉢を購入して楽しむのが通常だが、挿し木で意外と簡単に殖やすことができる。苗木から立派な成木に育て、たくさんの花を鮮やかに咲かせるのも楽しみといえる。

 クレマチスは乾燥と高温に弱く、寒さには強い。真夏の管理は、鉢植えは半日陰、地植えされているものについては、午後の強光が当たらないように注意してやる。また、病虫害に侵されやすい。特に立ち枯れ病という病気で、薬剤散布を定期的に行い予防に努める。アブラムシやカイガラムシなどがよくつくので適切な薬剤散布を心がける。また、冬季には多すぎる枝を整理し、バラなどと同じように剪定をかならず行う。

 花言葉 高潔
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サルビア (シソ科)
Salvia



 サルビアは下記の歌ほどには叙情を感じさせる花でない。ぼくには、子供達が花壇をとりかこんで、雄しべをとりあい、ほんわかと甘いその先端の蜜をなめる光景がよく浮かぶ。サルビアの花の歌は1960年代にできたのではないかと思う。あのころ、フォークギター片手に弾き語ったり、校庭のポプラの木を囲んで、少しの男子生徒と多くの女子生徒が合唱する姿を目にした気がする。おそらく作者の目にもサルビア自体が叙情的だったのではなく、君という存在の中に偶然サルビアが介在してこの歌を作らしめたのだろう。あの時代の夏、まだまだ家庭園芸は貧弱で、思いうかぶ花はひまわりか朝顔かマツバボタンだった。ひょっとしてサルビアの花がハイカラだったのかもしれない。また、ペチュニアやサフィニアでは歌の文句に使いにくい。

 さて、今年はうちの花壇にもサルビアが咲いている。アコスティック・ギター片手に、昔の杵柄で弾き語りをやってみようか。コードは簡単である。日没サスペンディッドにならないうちに。ギャラリーはもちろん、蜜目当ての息子だけである。「ダサい歌やなあ」というのは目に見えている。が、なまじっか郷愁にひたられるかみさんよりはずっといいのである。

 C   B    Am 
いつもいつもおもってた
F     G
サルビアの花を
C     B  Am F  G   C
あなたの部屋の中に投げ入れたくて

  E7    Am
 そして 君のベットに
    F    Dm   E7
 サルビアの紅い花をしきつめて
  Am
 僕は君を
   F     Dm    G
 死ぬまで 抱きしめていようと

なのに なのに どうして
他の人のところに
僕の愛の方がすてきなのに

 泣きながら 君のあとを追いかけて
 花ふぶき舞う道を
 教会の鐘の音は
 なんてうそっはちなのさ

とびらが開いて出てきた君は
偽りの花嫁
ほほをこわばらせ 僕をチラッと見た

 泣きながら 君のあとを追いかけて
 花ふぶき舞う道を ころげながら
 ころげながら 走りつづけたのさ


 サルビアの花 歌:早川義夫/詞:相沢靖子/曲:早川義夫


 サルビアの仲間は、世界の熱帯から温帯に約750種が分布する。シソに近い仲間で、茎葉に独特の芳香をもつものが多く、香辛料あるいは薬用に使われたりする。この花の雄しべは、上側の2本は退化してなくなり、下方の2本だけが大きく発達して目立つようになっている。

 最もよく栽培されるサルビアは、花壇植えの代表種のスプレデンシスで、単にサルビアといえばこの種をさす。スプレデンシスは光り輝くという意味。ブラジル原産の宿根草だが、通常は春蒔き一年草として扱われる。1822年にヨーロッパへわたり、日本へは明治半ばごろに入ってきた。

 色彩はほとんどが赤を原色とし、ついで紫色、ごくわずかに白がある。発芽生育には、高温が必要なため、温床がない場合は、五月以降の播種とする。また、園芸店で三月半ばごろから苗が売られているが、気温が低いと生育が思わしくないから、桜の開花が終わってたころ以降が安全である。盛夏に株が弱り、花つきが悪くなるときがあるが、そんなときは株を半分くらいに切りこんで、追肥をしてやると、秋には再び側枝を伸ばして、よりきれいな花をつける。

 花言葉 赤色 燃ゆる思い。憧れる。
     紫色 知恵。知識。
     白色 精力絶倫。勢力をもっている。
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ジニア (キク科)
Zinnia



 ジニアとはいわゆる「百日草」のことで、約17種がメキシコに野生している。日本では極めてよく知られている草花で、初夏から中秋までの花壇を彩る。が、マリーゴールドほどには長く美しく咲かない。多湿によるウドンコ病の発生が、栽培しやすいこの花の唯一のネックとなっている。

 18世紀に、やはりヨーロッパ(イギリス)へ移入されて、ジニアの改良が加えられた。高性大輪ダリア咲き、高性大輪カクタス咲き、高性中輪咲き、小輪ポンポン咲き、わい性種などが代表的なものである。写真のジニアは、1973年日本産第1号として発表された、カクタス咲き混合種の「サマードレス」である。

 栽培方法は簡単なので、播種からの栽培をお勧めする。種子は病虫害に強いF1種(一代交配)を選び、花壇用ならわい性種、切花用なら高性の大輪咲きを選択する。生育適温は摂氏15〜20度、四月ごろより苗床に種をまき、本葉が出てきたころ移植、蕾が見えてきたころに定植をする。開花は日長によって左右される。例えば10時間以下の短日下では早くなり、逆に14時間以上の長日下では遅れる。ジニアは短日下植物で、短日下で多花性になり、花は小さく八重率も低下し、草丈も低くなる。

 花壇では予め苦土石灰と有機質肥料を施し、十分に耕しておく。肥沃な土壌では草勢が強く、著しく生育が早い。定植後1ヶ月で土肌はジニアに覆い尽くされる。わい性種はプランターなどベランダ園芸にも適している。

 長期の開花には花がら摘みが大切である。害虫はめったにないが、幼苗のころアブラムシがついたり、開花後に蛾の幼虫が茎を食害して枯らすことがある。オルトランやスミチオンなどで駆除をする。また梅雨期の終わり、灰色カビ病やウドンコ病が発生することがある。前もって、ダイセンまたはベンレート水和剤で予防する。

 和名 百日草
 花言葉 亡き友を偲ぶ
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