2003年03月の記事


Mrs.Robinson
 映画「卒業」の挿入歌、ミセス・ロビンソンの検索より。

 ポール・サイモンが「映画「卒業」のために書いた作品で、サイモン&ガーファンクルのコンサートでは必ず第一曲目に歌われている。歯切れがよく力強いギターのイントロと、ベース、控えめなパーカッションでの伴奏は、サウンド的にはまだS&Gのアコースティックな面が残っている。

 詩の内容は、実際に映画を見ると、よく理解できる。全4コーラスのうち3コーラスの頭で歌われるおなじみのフレーズでは、
 
 And here's to youMrs.Robinson
 (ほら、ロビンソン夫人)
 Jesus loves more than you will know
 (神はあなたが思っている以上に、あなたに愛を捧げてくださっています)
 (Wo wo wo)
 God bless you please Mrs.Robinson
 (神のご加護がありますように、ロビンソン夫人)
 Heavens holds a place for those who pray
 (祈る者には、天国に居所をご用意下さるのですよ)
 (Hey hey hey hey hey hey)
 
 ロビンソン夫人の生き方に対して、僭越的に忠告する第三者の立場で歌っている。この部分に挟まって、僭越な忠告は、直接的な表現ではなく、次のような抽象的表現で行われている。
 
 We'd like to help you learn
 (あなたご自身が学ぶお手伝いをさせてください)
 To help yourself
 (ご自分を救うということを)
 Look around you. All you see
 (周囲を見渡してご覧なさい、みんな)
 Are Sympathetic eys
 (同情の眼差しで見ているではないですか)
 
 みんなも同情の目で見ている位どうしようもない状態なんだから、自分で自分を救うようにしなさいという提言。自分が知っている以上に他人は、自分を見ている、ということか。(実際はその逆かもしれないけれども)
 
  Hide it in a hiding place
 (そんなものは見えない場所に隠して置きなさい)
 Where no one ever goes
 (誰もいかないような場所に)
 Put it in your pantry with your cupcakes
 (食器室にカップケーキと一緒に置いておけばいい)
 
 it(それ)とは、ロビンソン夫人とベンジャミンの関係を表すのだが、ロビンソン夫人だけでなく、人間誰もが持つ神への懺悔に値する事すべてかもしれない。それにしても、カップケーキと一緒に(さりげなく)隠せという忠告もユーモラスで面白い。こういう部分を読むとポールの詩が成熟していることを感じさせる。
 
 詩の内容に合わせて、歌のメロディも若干変わるのも楽しい。上のカップケーキの部分は、まるで耳うちしてひそひそ話をしているかにも聞こえる。
 
 Lough about it
 (笑いなさい)
 Shout about it
 (叫びなさい)
 の箇所も、まさに「笑い飛ばしなさい」っていう雰囲気があって、とっても痛快でおかしい。
 
 最後の部分では、唐突に「ジョー・デイマージオ(伝説のメジャー・リーガー)は
どこへ行った」と歌われる。これは、書籍「ポール・サイモン」(音楽之友社刊)によると、「アメリカの失われた純粋さと現代の英雄を求める気持ちを歌って、雰囲気を盛り上げる」とある。
 
 なぜ、ロビンソン夫人の歌で、最後に英雄が登場するのか。暗にポールは、夫であるロビンソン氏を叱咤しているのかもしれない。夫として父親としてもっとしっかりとしろ!と。
 
 「ミセス・ロビンソン」で、サイモン&ガーファンクルは1968年のグラミー賞を二つ、「卒業」のサウンドトラックで映画作曲賞をも受賞した。
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パンの夢
 毎週水曜日、ティータイムのころになると、アンパンマン移動販売車がやってくる。事務所の前に車を停めて、アンパンマンのテーマソングを高らかに鳴らす。新鮮焼きたて、とってもおいしい『パントリーのパンカーのお出ましですよ!』の合図である。すぐ近くにある、ヤクルト販売の託児所の子供たちが昼寝の真っ最中だというのに―。

 で、「やかましい!」とぼくが文句を言うと誰しもが思いきや、毎週こうやって来ているのだから、文句を言っているはずがない。むろん、アンパンマンのテーマソングなんて好きなわけがない。やかましいだけなんだが、微笑み浮かべて『こんにちは、パントリーです!』とこられると、『やあ、まいど!』とまでは言わないが、すでに受け入れる準備ができている。なかなかの美形なのだ。

 「今日は新製品の蒸しパンいかがですか? よもぎとさくらのセットです」

 「うん、じゃそれもらっとこう」

 他愛もないのはやっぱりおのこ、アホってこと。何が新鮮焼きたてだ。よく見ると、保存料、着色料込みの大阪発の仕入れ商品だった。

 アンパンマンの歌が走っていく。『アン、アン、アンパンマンみんなのために・・・・・、そうだ、忘れないでみんなのために、愛と勇気だけが必要さ♪』 

 なんべん聞いても覚わらないが、今日だけはこんなふうに聞こえてきた。敵はブッシュかフセインか、魑魅魍魎たる我利我利亡者か。平和を望む人々の、願い叶えるヒーローがいたならと。

 「なにが君の しあわせ なにをして よろこぶ わからないまま おわる そんなのは いやだ! 時は はやく すぎる 光る星は 消える だから 君は いくんだ ほほえんで そうだ うれしいんだ 生きる よろこび たとえ どんな敵が あいてでも ああ アンパンマン やさしい 君は いけ! みんなの夢 まもるため」
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ウォール街発
 対イラク攻撃がはじまって、暴落していたニューヨークダウが一割以上上昇した。市場は今回の攻撃を短期戦とし、軍事産業などの特需により経済は好転すると見ている。

 予想通り、世界各地で反戦デモが勃発した。ニューヨークでは推定20万人の人々が参加し、イラク情勢が緊迫化して以来、最大規模の抗議行動となった。

 22日現在、米軍幹部が「現時点では、イラクの大量破壊兵器は発見されていない」と発表した。米国防総省は「バクダッド周辺に必ずある」としているが、存在を立証できない場合、戦争に反対してきたフランスはじめ諸外国から批判が高まるのは必至になる。

 世界の経済がアメリカ中心に動いている現状では、もし、対イラク攻撃が失敗になったとしたなら、世界同時テロに匹敵するほどの世界経済大恐慌が発生するかもしれない。今回のアメリカの賭けのようなものは、単に戦争と平和という問題だけではなく、世界経済の真っ只中に存在するわれわれの日々の暮らしにまで影響を及ぼしてくるかもしれない。

 すべては神のみぞ知るといった心境だが、肌の色と信じる神のちがいについては、どの神が真実を語ってくれるのであろうか? 今はブッシュが独裁者、暗殺者でないことを祈るばかりである。
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ライカでグッドバイ
 ベトコンはアメリカに爆弾を落とさなかったし、アメリカ大陸で誰一人殺さなかった。だのに、アメリカは1961年から1975年という長期にわたって侵略を繰り広げ、およそ200万人とも推定されるベトナム人民を犠牲にした。あれは間違いなく侵略戦争だった。この戦争には、アメリカからの経済援助とひきかえに、各国の国策のもと、韓国、タイ、オーストラリア、ニュージーランド及びフィリピンから兵士が送り込まれたことも事実だった。

 ベトナム戦争とは、南ベトナムの民族解放運動に対するアメリカ(ならびに大韓民国をはじめとする参戦国)とサイゴン政府の戦争である。社会主義国である北ベトナム(当時のベトナム民主共和国)に対するアメリカの戦争、およびそれらの戦争に対する抵抗戦争という、さまざまな側面をもっていた。アメリカ側は、この戦争を「共産主義者の侵略から南ベトナムを防衛する」戦争とみなした。一方、南ベトナムの民族解放運動と北ベトナム側は、この戦争を「南部を開放し、北部の社会主義を守り、祖国再統一を促進する」戦争として、独立・主権・統一・領土保全の実現を主張していた。

 そうして、アメリカ側の「特殊戦争」戦略および「局地戦争」「エスカレーション」戦略と、ベトナム側の「人民戦争」「長期抗戦」戦略が真正面からぶつかりあい、第二次世界大戦以後の最大の戦争となった。また、この戦争をめぐって、いわゆる「参戦国」の戦争参加、「自由主義」陣営のアメリカ側への動員、あるいは一方における社会主義陣営・国際共産主義運動・世界民主運動の「ベトナム人民支援」など世界の諸勢力も二つの側に分かれて対決した。このなかで、日本も後方支援という形で、アメリカの戦争に深く結びつけられるにいたった。

 この戦争にアメリカは、ケネディ、ジョンソン、ニクソンと3代の大統領が関与し、1,500億ドルの巨費を投じ、ピーク時には年間54万人の軍人を派遣し、国の威信をかけて挑んでいた。が、あまりの長期戦に兵士の士気は衰え、1971年6月に国防総省の「ベトナム秘密文書」が、ニューヨークタイムズ、ワシントンポストによって暴露されるにいたって、アメリカのベトナム撤退が徐々に予測されてくる。それは戦争の是非を問う、アメリカ国内の混乱のゆえだったかもしれない。アメリカ軍兵士も6万人が戦死した。

 ベトナム戦争の実態は、南ベトナムを支援したアメリカと北ベトナムを支援したソ連、中国との政治戦略的な戦争といえなくもない。東西冷戦時代の象徴、それがベトナムの地で争われたのだった。東西冷戦終結以前にベトナムの南北統一はなされている。また、歴史はアメリカの敗北を物語っているが、その後アメリカはクリントン政権の1992年にベトナムへの経済制裁を解除し、1995年に通商協定を締結している。だが、大量に空中散布された枯葉剤の後遺症はいまだに残っていて、ベトナム人はもちろんのこと、アメリカ人兵士の生き残りにも深い傷跡を残している。肺がん、脳腫瘍、白血病などで絶命している人が多く、また精神的後遺症に苦しむ人たちの状況も特有である。

 1970年に大阪で世界万国博覧会があった。今日のNHKの朝ドラ「まんてん」で太陽の塔が映っていた。あれを見て思い出した。ぼくは「万博」に行かなかった。学校からのバス旅行に参加拒否をした。ベトナム戦争反対!そんな反抗があったのかもしれない。ただひねていただけかもしれない。が、学校は何も言わなかった。たぶん、おちこぼれの生徒の一人や二人どっちでもよかったのだろう。

 ベトナム戦争当時、報道の自由だけは確保されていた。世界中から多くの、フリーの、命知らずの報道員、カメラマンが「世界に事実を知らしめる、自分をアピールする」するため、ベトナムを目指した。そして、その真実のために命を落とした人々がいた。

 「ライカでグッドバイ」、カメラマン沢田教一が撃たれたのは、1970年10月28日、カンボジアのプノンペンだった。戦火の農村の川の中を逃げまどう母子の姿をとらえ、ピュリーツア賞に輝いたのは1966年のことだった。タイトルは「安全への逃避」、平和の願いをこめ、民衆のおかれている悲劇をまざまざと映し出しているものだった。

 沢田氏の夫人サタさんは、24年後の1990年に、その写真で母に抱かれた当時二歳の女性と、南ベトナムのフォクソン村で巡りあうことができた。カンボジアの戦場に散った夫の死から19年後の感動的な出会いだ。毎日新聞記者が生死のわからなかったこの女性を探し当て、サタさんの願いは実現した。

 サタさんは、26歳になったホエさんにこう語っている。「夫の魂が宿っているようなあなたを、遠い海の向こうでずっと自分の娘のように思ってきました。夫の短い生涯で、世界に訴えかけたものが『平和』だとすれば、『安全への逃避』のホエさんの姿は、そのシンボルのようなもの。娘に会えてうれしい」



『安全への逃避』 いちばん小さい子がホエさん

 先の湾岸戦争でアメリカ連合軍は、作戦中の報道関係者を完全にシャット・アウトした。これは、ベトナム戦争での教訓といわれている。さて、今回のイラク戦争の実際はどうであるのか、ぼくはいつもマスメディアの声を疑心暗鬼で聞いてしまう。心することは、決して扇動されることなく、付和雷同にならないように、いろいろなことを十二分に咀嚼し思考し、自分自身の意志によって発言したいと思うのである。戦争と平和ということについて―。
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戦火の真実
 大国の軍事独裁国への攻撃が始まった。あれは実際は戦争ではなく、強国アメリカによる戦争テレビゲームのようなものだ。だが、軍人だけでなく、実際に民衆の血が流れることに変わりはない。

 いまさら日本国内で、反戦のチラシ配りをしてもはじまらないが、若者や子供たちだけには、ほんとうの戦争の悲惨さ、むごたらしさというものを教えておかなくては、と切に思う。めったに見ないテレビのニュースにかじりつき、おもしろおかしくハリウッドの映画を見るようだけはさせてはならない。
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エロ攻撃
 「ブッシュVSフセイン」の名を借りたエロ攻撃がわがネットに勃発した。仇敵二人はenter サインだった。OEに掲示板にとよくもまあこれだけ、エロサイトのURLを書き込んでくれたもんだ。小四の息子のhotmail にまで書き込んであった。許されざる行為といえる。日本はこんなときにだけ自由な国なんだ。

 国会中継、民主党の岡田はアホだ。なんべん「答弁を求めます!」と言えば気がすむんだろう。テレビ中継うけを狙ったパフォーマンス丸見え、エロサイト enter の騙しと似ていなくもない。論戦で小泉に負けてやがる。完敗、民主党はよわっちすぎる。
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アメリカの野望 or 聖戦
 時代錯誤のようにアメリカ国内では、政権批判の自粛を強要する動きがある。それは人気カントリー音楽グループ、ディクシー・チックスのメンバーが、ロンドン公演中、イラク攻撃の急先鋒ブッシュ大統領批判を行ったことに端を発している。彼女たちは、国際社会から孤立しつつある自国を心配し「大統領を恥ずかしく思う」と発言したのだった。

 その報を受け、一部のラジオ局はCDの不買や廃棄を呼び掛け、グループの活動を排除する騒ぎになった。そのためリーダーのメインズさんは、14日「大統領への敬意を欠いていた」と謝罪せざるをえなくなった。またそのせいでもなかろうが、1950年代に映画関係者が芸能界を追放された「赤狩り」の再来を懸念する声も出始め、「非国民」と非難されるのを恐れた芸能人は政治的発言を控えかけている。

 1960年代のベトナム戦争時、ボブ・ディランやジョーン・バエズらが立ち上がり、反戦歌を歌っていたとき、ジョージ・ブッシュも彼らと同じ年代だった。病めるアメリカを象徴した、泥沼のベトナム戦争、あのジャングルで生き延びた兵士たちの多くが、後々にまで心身に深い後遺症を抱え続けている。

 12年前の湾岸戦争、あれはアメリカ好況の前兆だったと、とらえるむきがなくもない。その後10年間ほどのアメリカ経済のバブル並みの好況を考えれば。同時テロ以降、目に見えない敵と戦うことをアメリカは恐れてきた。だから、アルカイダが占拠するアフガンに攻め入った。そして、次はサダム・フセインのイラク。だが、うがった見方をすれば、戦争特需による景気�X字回復という構図が見えなくもない。

 無為な戦いと信じて,戦争反対を勇気を持って唱えられる、それが自由の国アメリカ、民主主義の国アメリカ、だからやっぱり戦争反対に立ち上がる若者はいる。あのころのボブ・ディランのように、ジョンレノンのように。


 ブルース・スプリングスティーン、セットのオープニングを変更して反戦を訴える(BARKS)

 Bruce Springsteenは今年のツアーでオープニングの選曲を少し変えているようだ。昨年のライヴでは1回を除いてすべてが「The Rising」で始まっていたが、2月28日(金)のジョージア州ダルースの公演は「No Surrender」でスタートした。続く3月2日(日)、テキサス州オースティンのオープニングはEdwin Starr「War」のカヴァーだった。この選曲には注目すべき別の理由があり、テキサスの州都でGeorge Bush大統領がかつて住んでいたオースティンで取り上げた「War」は、「What is it good for? / Absolutely nothing!(何の得があるんだ?/まったく何もない!)」と訴える反戦ソングだ。

 28日のショウではこの曲の後に「Born In The U.S.A.」のイントロが流れSpringsteenは次のように語った。「イラクに関しては平和的な解決を望んでいる……軍隊を無事に帰還させてほしい……。この曲は'83年にベトナム戦争について書いた曲だ。もう2度と書きたくないんだ」

 Springsteenはまた『The Rising』の「Empty Sky」をプレイした後に「平和への祈りとしてこの曲を捧げたい」とも語っている。Springsteen The E Street Bandは3月4日、フロリダ州ジャクソンヴィルでコンサートを行なう。

 Bruce Simon NY (C)LAUNCH.com


 ビースティー・ボーイズ、反戦ソングをネット公開(VIBE)

 4月19日に東京ベイNKホールでチベタン・フリーダム・コンサートを開催するビースティー・ボーイズだが、現在、オフィシャル・サイトBeastieBoys.com(http://www.beastieboys.com/)で新曲「In A World Gone Mad」を公開中だ。「狂った世界の中で、正しい考えを持つのは難しい」という歌詞で始まるこの曲の中で彼らは、アメリカが主導する対イラク戦争を痛烈に批判している。アダム・ホロヴィッツは「この曲は反米主義やサダム・フセイン主義を主張するものではなく、不正な戦争への異議を表明するものなんだ」というメッセージを寄せている。

 [VIBE 2003年3月13日]


 R.E.M.のマイケル・スタイプが反戦を表明(BARKS)

 R.E.M.のMichael Stipeが対イラク戦について自らの考えを明らかにした。NYで行なわれたU2のBonoを称えるイベント、Bono MusiCares Person Of The Yearの中でStipeは、アメリカが実際に戦争を視野に入れていることは信じ難いと述べ、George W. Bushの職務はジョークだと付け加えた。

 「アメリカってのは一体何なんだ? 何をしようっていうんだろう? こんなことになるなんて信じられない。誇りに思うのは……僕は平和の行進が行なわれている間、NYに向かう飛行機の中にいた。だから、行進に参加したすべての友人と隣人たちに胸を張ってもらいたい。自分はそれができなかったから。アメリカが戦争をするなんてあっちゃいけない。それに、僕らは民主主義なのに大統領が非民主的なやり方で決まったのが今も信じられない。彼の父親が設置した最高裁でだよ……そりゃあ、たやすいはずだろう?」

 Stipeは現在、R.E.M.の『Greatest Hits』に収録する新曲を制作中。バンドは今年の夏、ツアーを行なう予定。

 Darren Davis NY (C)LAUNCH.com


 ディクシー・チックス、ブッシュ大統領を批判したコメントについて釈明(BARKS)

 海外で最新アルバム『Home』をプロモーション中のDixie Chicksが、先日ブッシュ大統領に否定的なコメントをし、議論を呼んでいる。

 3月10日(月)にグループがロンドンでライブを行なった際、Natalie Mainesは観客に向かってこう話した。「みんな、わかってると思うけど、私達はテキサス出身のアメリカ大統領を恥ずかしく思ってるわ」

 この声明は米国内であらゆる反応を引き起こし、3人は公式サイトで自分達の立場についてさらなる説明をしなければならなかった。「何週間も海外にいて、アメリカ政府の姿勢について報道されたニュースを読んだり、追ったりしているわ」とグループは言う。「ここでは、驚くほど反米感情が広まりつつある。我が国の軍隊を支援していたら、イラクとの戦争が始まり、罪のない人々の命が奪われる……これほど恐ろしいことはないわ」

 Mainesはこうも言う。「大統領は国内にある多数の意見を無視し、世界の国々から孤立していると思う。私のコメントは、そんな不満から発したもの。自分の意見を口にするのは、アメリカ人であることの特権のひとつよ」

 Dixie Chicksは、3月19日にドイツのミューニックで公演を行なう。

 Margy Holland Nashville (C)LAUNCH.com


 ユッスー・ンドゥール、対イラク攻撃に反対し全米ツアー中止

 [ダカール 8日 ロイター] セネガルの生んだ世界的ミュージシャン、ユッスー・ンドゥールが、米国の対イラク政策に抗議して、全米ツアーを中止した。
 ンドゥールは8日、ロイター通信に対し、「対イラク戦争の意味がわからない。今、戦争が起これば、真っ先に犠牲になるのは女性や子どもたちだからだ」と話した。
 「世界の多くの人々と同様、わたしはこの戦争に反対だ。従ってツアーをキャンセルした」という。
 ネナ・チェリーとのデュエットで「セブン・セカンズ」を大ヒットさせたンドゥールは、3月26日から5月15日まで全米各地で計38公演を予定していた。
 「紛争中の国に滞在するのはいい気分ではないし、そのような国でツアーをするなんて不可能だ」という。(ロイター)
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連絡船
 私たちはすべて見えぬ赤い糸で結ばれ、それは遠く伸びてきっとある女に結びつけられている。この赤い糸はその子を嫁にもらうことを宿命づけていという話を国語の教師から聞いた青森中学校生徒太宰治は、弟と港の桟橋に出て、見えぬ自分たちの女の子について話しあった。そのとき、海峡を渡ってくる連絡船が、大きい宿屋みたいにたくさんの灯りをともして、ゆらゆらと水平線から浮かんできた。
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衝撃のアルバム「A BALLADS」
 ヤフーおまえもか!と思った。抱き合う二人の女性、ピンク色した肌にうっとりとした表情、互いの肩と頬にやさしく手の平を乗せて・・・・・。実に色っぽい。

 「あっ、おとうさんエロ見てる!」

 思いもかけない後ろから、子供に指摘されたその一瞬、みっともない場面を目撃されたかのような戸惑いを覚えた。ときどき、こっそりとアダルトサイトへ出入りしていたことがあったから、あわててそこを閉じようとした。でも、そうじゃなかった。浜崎あゆみのニューアルバムのプレゼンテーションだったのだ。

 しばし間をおいてから、もう一つクリックして、メディアプレイヤーで「Voyage」を息子といっしょに歌った。『なあんだ』と言いながらもほっと胸をなでおろしていたことを、もちろん息子は知らなかった。

http://music.yahoo.co.jp/event/avexnetwork/hamasaki_ayumi/
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リバイバル映画
 1970年代はリバイバル映画の最盛期だった。今でこそ、ビデオやDVDというホームムービーがあり、過去作品のほとんどを家庭で見ることができるが、あの時代の若者はリバイバルでしか往年の名作を見ることができなかった。

 現在のように新作が次々と現れ、たちまちに消えていくのを見ていると、一部の秀作を除いて、劇場映画というものは、消耗品文化の中心のようでもある。超人気作でも上映期間が半年続くことはまずなく、およそ封切り一年後までには、レンタル可能となり、劇場へ足を運ぶ必要がなくなってしまう。そのことについては、とても便利で、安価で、よい仕組みなのだと思っている。

 「風と共に去りぬ」を見たときのことを忘れない。大阪梅田のOS劇場で、食い入るように三時間半を見続けたこと。インターミッションが入る映画を見たことも初めてだった。あれはおよそ一年間のロングランではなかったろうか。新作ロードショーの「ポセイドン・アドベンチャー」や「卒業」、「ある愛の詩」などが超ロングランを続けている間、「ベンハー」、「ウエストサイド物語」、「エデンの東」などの過去の名作もまたロングランを続けていた。

 また、あのころは名画座なるものがあり、通常より安価で、三本立てで、モノクロのなつかしい映画も上映していた。貧乏学生のたまり場でもあったわけだ。そこでぼくたちは映画音楽なるものに夢中になり、またクラシック映画に触れていった。「鉄道員」、「理由なき反抗」、「第三の男」、「ローマの休日」、「シェルブールの雨傘」、「カサブランカ」など・・・・・、またヒッチコックやチャップリンの数々の映画を経験したのも名画座だった。

 先日、震災で倒壊した旧朝日会館跡の『シネ・リーブル神戸』で「ウエストサイド物語」を見る機会があった。そのミュージカル映画の記憶は、いささかも褪せることなく残っており、その挿入歌のほとんどをともに歌うことができた。あのころ、ぼくたちは現在のクラシック映画を、リバイバル上映という形で知り、一回の料金で一日中何度も見続け、忘れらないものにしていった。それはテレビ画面からえられる映像とは、きっと異なっていたはずなんだと、ぼくは思う。
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Memories
 人は誰でも絵を描いたことがあるように、たとえ人目に触れずとも一度は詩を書いたことがあると思う。とりわけ多感な青春時代、ふと手にした詩集をめくりながら、その魅力に惹きつけられ、一つの韻律の中に、自らの感性で自分の宇宙を表現してみたくなる・・・・・。それはとてもひとりよがりなものだったのだけれど。そんなはるかな記憶は、叙情につつまれた大正から昭和にかけての若き詩人たちの名詩に負うところが多かった。

 黄ばんでしまった数冊の文庫本、それは朔太郎と中也の詩集だった。「Memories」には、そんなぼくの名残のようなものを写している。ボードレールはこう語っている。「詩の目的は真理やモラルを歌うのではない。詩はただ詩のための表現である」
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Like a rolling stone
 日本国株式会社の価値が20年前と同じになった。今日、日経平均株価が8.000円を割り込み、1989年のピーク時の38.915円と比べると、5分の1になった。ピーク時以後10年余り、当時の余力で国民の経済情勢は揺るぐことは少なかったが、どうやらここ3年余りのデフレ不況で緊迫の様相を呈してきた。20年前は、携帯電話もパソコンもテレビゲームもなかった時代。

 表題の「転がる石のように」は、アメリカのフォーク・ロックの元祖ボブ・ディランの詩のタイトルである。ディランは1960年代より、ベトナム戦争をやめない自国政府に対して痛烈な批判を歌い、爾来、無謀な権力に対峙してきた。もっぱらディランの詩は晦渋で、なかなか理解することが難しいものだった。が、ひとたびディランの声を理解すると、若者たちはディランに集(つど)った。「ハリケーン」(あがないの歌)は8分33秒にわたっている。ルービン・ハリケーン・カーター裁判は,22年に及び、連邦裁判所の判決により1985年に釈放され、人種差別ゆえの冤罪に幕が閉じられた。

 小泉が首相になって、実際によくなったところは皆無に等しい。だのに、これまでの首相のように詰め腹を切らされないのは、ちょいとばかりタレント的人気があるのと、また、国民が今さら誰がやろうと同じことだと諦めているからだろう。ほかに適任者がいないから、そんな理由でわが国の首相は務まっている。彼が目立って活躍するのはヤスクニくらいで、後はアメリカブッシュのご機嫌取りをして担ぎあげるくらいだ。

 小泉は独特のパフォーマンスで支持層を獲得してきた。そうして、自らの経済音痴、政策音痴などどこ吹く風の鉄面皮で、相変わらず人任せにしている。わが国に彼しか適任者がいないのなら、そのうちわが国の大部分は、外資の傘下におかれてしまうかもしれない。唯一の取柄だった経済大国の成れの果てだ。ま、そのほうが国民の幸福につながるのなら、それはそれでかまわないことなのだけれど。

 東西冷戦が終結し、世界の平和のようなものが続いたのは束の間だった。ソ連崩壊、ベルリンの壁崩壊などで東西の緊張が解かれていくうちに、アメリカは地球のボスのようなものになった。自由の女神像はアメリカの力を象徴し、軍事的なことはもちろん、経済的にもアメリカの君臨・繁栄なしには、世界各国は繁栄しないという虚構を作りあげたかにある。アメリカは、ある意味傍若無人で、世界というものを取り仕切ろうとしている。

 アメリカ側からの発想だが、さしづめ任侠渡世にたとえると、清水の次郎長はアメリカブッシュで、盃を交わした仲間は大英帝国のブレアー首相、スペインのアスナール首相か。わが国首相は一の子分の大政より落ちて小政程度だろう。もちろん、イラクのフセイン大統領は、天敵甲州の黒駒の勝蔵だ。が、アメリカブッシュが、いくら面倒見がよく、弱きを助け強きを挫くスター国を標榜しようと、やくざなことにちがいはない。

 ディランのヒット曲に「The Times They Are A-Changin' (時代は変わる)」がある。繁栄という頂上に向かって、坂道を登るのはたやすくなく、その逆に登りの途中で坂道から下るのは、転がる石のようにすさまじい速度になる。時代はあっという間に変わっていく。政府が、小泉がなにをしようと、なにをしようとしなくても、時代は変わる。転がる石のように、時代は変わっていく。

 人は自らの力で道しるべを見つけるしかない。誰に頼ることなく、自分自身の意志と力で。それは腕力ではなく、命の源―生きる歓びたるパワー、人の心、優しさ、思いやり、自然への畏怖、未来への憧憬・・・・・。
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あなたのとりこ
 小四の息子が友達とハミングしている。どこかで聞いたことがある。それもかなり以前のこと。なにかしら郷愁を誘われるような気がする。まるで去年、『亜麻色の髪の乙女』を聞いたときみたいに。

 「その歌、なんていう歌?」

 「知らない。誰かが歌いはじめて、クラスではやってる」 とわが子。

 「それCMソングや。サントリーの、う〜ん、なんやったかな。お酒のコマーシャルだよ」 と友達のD君。

 それからTUTAYAクラブへ行ったときのこと。CDのエンドコーナーで何気なく目にしたもの。そう、それはシルビー・バルタンだった。それから、もちろん、そのベストアルバムをレンタルして、息子と「あなたのとりこ」をハミングしたことは言うまでもない。

 「おとうさん、この歌、フランス語なん?」
 
 「ウイ!」

 ☆サントリー『樹氷』CMソング(2002)

 ※ Irresistiblement / Sylvie Vartan (1968)
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人気番組
 明石家さんまが司会する番組が、総じて好きでない。みんなと同じように笑えないし、長く見ているといらいらしてくる。だから、彼が出るテレビ番組は見ないことにしている。あんなやつのどこが面白いのか、ちっともわからないし、わかろうとも思わない。

 ぼくは生まれながらにして関西人だから、上方のお笑いをわかっているつもりだが、さんまタイプのお笑い、ジョークだけは好きになれない。そんなだから、若くないだとか、ひねているのだとか言われるなら、それはそれでしかたないことなのだけれど。

 「アンパンマン」はかんべんして欲しいけど、「名探偵コナン」や「ハリー・ポッター」「ロード・オブ・ザ・リング」なんかは好きなんだけどなあ。
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春の訪れ
 ペチュニアの種を蒔こうと、タキイとサカタのカタログを見ている。ここ数年大輪の色鮮やかな品種が人気だったが、今年は中、小輪のドレッシーなものを推奨している。それらは、大輪種よりもずっと多く分岐をし、多花性で、どうやらサフィニアを意識しているかのようだ。ほんとうに爽やかで美しい。

 一袋300円ほどで、およそ100ほどの苗が作れる。サフィニアの苗、一つ分のコストで。ぼくはミックスが嫌いだから、気に入りの色を選ぼうとする。そうこうして、各色、各品種の種を蒔くと、またパンジーやビオラのときのように数百の苗ができてしまう。

 ペチュニアはナス科の植物で、案外作りやすい草花だ。連作さえしなければ、土質もあまり選ばない。摂氏5度以上の気温で、日当たりがよければ、季節に関係なくいつでも咲く。いわゆる四季咲き。バランスがとれた肥料が好みだ。苦手なのが雨、長期栽培を望むなら、雨が当たらない場所がいい。

 三月になって雨の日が多くなった。寒さは相変わらずだけれど、太陽の光線は日増しに強くなってきた。スノードロップの花が終わり、ラッパ水仙が咲いてきた。木蓮の蕾が膨らみ、梅の花が散りはじめた。花壇ではパンジーとビオラが咲き乱れ、春の彼岸ごろには早や満開を迎えそうだ。

 冬野菜に董の立つ気配があり、収穫はやはり彼岸までだ。大根の白い花、キャベツやブロッコリー、白菜の黄色い菜の花、ミツバチや紋白蝶が飛びはじめ、そのころぼくは、ゴルファーでもなく、ギャンブラーでもなく、ナンパ氏でもなく、一介のガーデニングマンになっている。夏野菜、夏の草花の準備のために―。
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携帯メール
 今年になって携帯メールを使い始めた。

 それまでEメールに比べて、思うように使えなかったからでもある。画面が小さいので、言葉がうまく続かなかった。ボタンを一本の指で何べんも押さなくてはならないので、ひどく面倒だった。行きすぎて、また行きすぎて苛々した。貼り付けができないので、いちいちボタンを押さなくてはならなかった。そんな他愛ない理由で・・・・・。

 そんなわけでぼくの携帯の機能は、長く持ち腐れになっていた。それが突如、脚光をあび、重宝されてきたのは、ずぼらにねっころがって、布団の中から発信できることに気がついたから。眠りの前の徒然にごく短いメッセージ、気の利いた言葉がわいて出てくれば、右手の親指がピコピコ動く。なんのことはない。馴れてきたのだ。

 このごろ、たまにだけど、同時発信のようなときがある。アドレスを入力しているひとはごくわずかなのだけれど、同じ時間に同じ気持ちで『おやすみ』を言えることには、何かしら安らいだ気持ちになれる。

 だからといって、パソコンから長い文章を送らないで欲しい。ドコモは500文字(全角250文字)しか受け付けないし、携帯からパソコンへの返事は同じようにはできないのだ。必死のバッチで作業していると、目が醒めてきて、快眠がとれなくなってしまう。お心当たりのかた、どうかよろしく。
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生きる言葉
 風や雲のように、太陽や月のように、人は時の流れと関係なく生きていけない。世の中は心が痛むことが多く、日本人の多くが行き詰った閉塞感の中にいるような気がする。とりわけ高度成長期やバブル期を経験してきた人は、あのころの価値観から脱しきれていないのではないか。人生のパラダイムはとっくに崩れてしまっているというのに、まだまだ幻想の渦中にある。

 今考えると、あのころ多くの人が借金を当たり前だと思っていた。家のローン、自動車のローン、結婚式披露宴のローンなどなど。本当は日本人は金持ちじゃなかったし、そのつけが今頃になって露見してきた。父親が「お前たちを食わせてやっているんだ!」と居丈高に言う純日本的だった家庭がけっこう多かった。そんな環境下で、幻の時代を経た子供たちが大人になって、とてもひ弱で傲慢になってしまった。


 「時代の”風”を読むと、人生の答えが見えてくる」と誰かが言った。
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何もしない一日
 日々、仕事にも遊びにもぎっしりと日程が詰まっている。だから、今日みたいになんにもせず、ぼんやり一日を過ごすこともたまにはいいんじゃないかと思ってみたりする。休養がとれた気はしないが、たぶん健康のために、真っ白な一日だってときには必要なんだろう。
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 夢は、夢を見る当人よりも先に老け込んでしまう。――年を追うごとに、これが人生の冷厳な事実であることをピートは身をもって悟っていた。それでいながら、最後に残った夢だけは、驚くほどのしぶとさを発揮し、おりおりに脳みその奥の底から低く哀切な声で叫びかけてくる。

 ドリームキャッチャー  / スティーブン・キング
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