2001年12月の記事


バージョンアップの弊害
ウイルス対策もかねて
Internet Explorer のバージョンを6にアップした。

するとGaiaxがフォント設定を受けつけてくれない。
バージョン6では「書体の左右を囲む点々」を付けないとプラウザが認識をしないのだが,
Gaiaxの方が勝手に点々なしに加工してしまい,
フォントの設定ができなくなってしまった。
ただのゴシック文字オンリーになってしまったのだ。

ここでその点々を表示することは現状不可能だ。
<Font face=Times New Roman>は
ただのゴシック字体になってしまって,
画面を見ていると嫌になってくる。
別のパソコンで見ると自分の思い通りのフォントになっているのだが・・・・・・・。
僕のPCから見ると,yuka さんのフォントもただのゴシックになってしまった。

そういえば,英文を書いていたとき、
いくらコンマを打っても表示されなかった。
画像をアップしたときも後で見ると上部の二つの点々は消えていた。

Gaiaxさん早くバージョン6対応にしてください。
今はウイルス対応のほうが大切だから我慢して待つことにしますが,
どうかよろしくお願いします。

たった今Gaiaxから返事が来た。
以下の通りである。
点々のことはダブルクォーテーションというらしい。
希望は叶わなかった。

僕のとる道はGaiaxのために
バージョン6を捨てるべきか捨てざるべきかということである。
あああ、無料だから文句は言えない。
フォントはMy HPのほうだけで我慢しとこう。


いつもご利用ありがとうございます。コミュニティースタッフでございます。

ご質問ありがとうございます。

ダブルクォーテーションは消える設定になっております。
ご了承くださいませ。
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ライブ
今夜はNHKBS2でライブ放送のオンパレードである。
エリック・クラプトンはじめ,
人気のアーティストが目白押しである。

放送は早朝まで及ぶので,
たくさん録画予約をしておいた。

ただジョン・レノンのスーパーライブだけはしなかった。
しなくてよかったと思っている。
ヨーコ・オノやかまやつひろしらのしゃべくりがいっぱいだったからである。

もちろんクラプトンは録画している。
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お通夜
娘の友だちの父親が亡くなった。
具合が悪くなってからわずか二ヶ月,
あまりに早い死だった。

寒くて辛い夜だった。
明日は我が身かという人がいたが,
そんなに若く死ぬわけにはいかない。

葬儀が混んでいるのだろう。
明日の出棺は正午である。
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仕事納め
午前中にて今年の仕事は終了した。
近年になく業績はよくなかった。

来年はどうなるだろうか?
時代の流れさえ読めていれば,
忍耐と潔さととっさの判断力さえあれば,
失敗することはないだろう。
僕にいちばんかけているのは忍耐力だ。

仕事始めは四日からである。
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記憶の余弊
記憶の余弊は,諦めが悪くなることだ。
過去の出来事を再体験するだけにとどまらず,
過去の事実から起こりえたかもしれないことまで思い描く。

彼女の傷ついた身体を元どおりにする術はない。
だから,私は私にできる唯一のことをする。
かたわらに膝をつき,
ケリー・トロイの断ち切られた人生を抱き寄せて,
彼女の名前を呼ぶのである。

   /ベン・ウェイド
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ピンク・フロイド
今日,ピンクフロイド35周年ベスト盤二枚組「エコーズ〜啓示」を買ってきた。

彼らは僕が学生のころ,
幻想的なプログレッシブロックで一世を風靡したロックグループだった。

僕が持っているレコードのお気にいり,
「The Dark Side of the Moon」は
もう擦り切れてしまってノイズだらけだ。
その中のA面の最後の曲,
「The great gig in the sky」は
何度も繰り返して聴いたので特別にノイズがひどい。
そうだ次のMAIN BGMの候補にしておこう。

これからしばらく車の中では幻想的なピンク・フロイドが鳴り響くことだろう。
子供はとても順応性が強く,僕が流す音楽をいつも自然に受けとめている。
それはたぶんいい傾向だと思っている。

ついでにピンク・フロイドのMIDI集を見つけたのでリンクしておいた。
お気が向かれたなら寄り道をして覗いてみて欲しい。
  
 「エコーズ〜啓示」 (東芝EMI)

 ・アーノルド・レーン
 ・シー・エミリー・プレイ
 ・天の支配
 ・太陽賛歌
 ・デブでよろよろの太陽
 ・吹けよ風、呼べよ嵐
 ・エコーズ(エディット)
 ・虚空のスキャット
 ・マネー
 ・アス・アンド・ゼム
 ・狂ったダイアモンド(パート1) (エディット)
 ・あなたがここにいてほしい
 ・狂ったダイアモンド(パート2) (エディット)
 ・シープ
 ・ザ・ハピエスト・デイズ・オブ・ライフ
 ・運命の鍵
 ・アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール(パート2)
 ・ヘイ・ユー
 ・コンフォタブリー・ナム
 ・ホエン・ザ・タイガーズ・ブローク・フリー(日本未発表)
 ・パラノイド・アイズ
 ・ザ・フレッチャー・メモリアル・ホール
 ・幻の翼
 ・時のない世界
 ・孤立
 ・キープ・トーキング
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ホタル
きのう、映画「ホタル」を見た。

垂れ目で細い眼、田中裕子が懐かしかった。
奈良岡朋子の演技はさすがだった。
健さんはいつまでも健さんだった。

一度も見たことがないはずなのに、
途中から過去の記憶に引き戻された気がした。
かつて見た光景?・・・・・、
目の前に現れる映像が僕の記憶のようなものに修正を加え、
かつてのことに追体験させていく。

僕はこの話をどこかで読んでいたのだろうか?
いや、そんなはずはない。
不可思議な感動は今も残っている。
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スポーツ考 野球とゴルフから
概して国民的な考えでは、
野球は大衆的、ゴルフはブルジョア趣味的であろうと推察される。

競技人口自体はずっとゴルフのほうが多いのに、
娯楽として見る観客の数は比較するまでもなく野球のほうがはるかに多い。

アマチュアの側から野球とゴルフを考えてみよう。

野球は一つのグラウンドがあり、一つのボールがありさえすれば、
二チームの十八人以上がプレイできる。
本格的にやるのなら、ユニフォームや何やかやでかなりのコストがかかるが、
一旦そろえてしまえばたいして費用はかからない。
草野球ならなおさらのこと、グラブとバット、ボールがありさえすれば楽しめる。

かたやゴルフというと道具を揃えるくらいはたいしたことはないが、
いちいちゴルフ場にエントリーが必要であり、
そのプレー代はコースと曜日によって異なるが、
ウィークデーで1〜3万円、土日だと1.5〜4.5万円ほどかかってしまう。
ゴルフは個人競技だとはいうけれど、
3〜4人で一組だから、一人でプレーすることもままならない。

ここまで話していると、どうもゴルフは野球に比べて分が悪い。
これじゃ子供たちや若い人たちへの門戸は閉ざされているといって過言ではない。

しかし、海外を見てみよう。
欧米やオセアニアでは、パブリックのコースがいくつもあり、
メンバースコース以外ではたいてい三千円前後でプレーできる。
欧米ではサマータイムがあり、
ウィークデーにビジネスマンが仕事を終えてから
日が暮れるまでプレーする姿は珍しくもない。
イギリスやカナダでは日が暮れるのは夏至のころなら午後十時過ぎなのだ。
また、少年少女たちには特別料金が設定されており、
映画を見るほどの料金でプレーさせてもらえる。

キャディーなんて贅沢なものはない。
自分でバッグを担いで歩いて、自然とともにプレーするのである。
スコアは自主申告だ。かといってインチキは許されない。
マナーもルールも自分自身が人から学び、理解し、会得して、
フェア-なスポーツマンとなるのである。
ひとたびフェア-でない烙印を押されたものは、
人格を疑われ、仲間ハズレになるだけである。

日本ではそんなゴルフをするのに、
1200円のゴルフ場利用税などという不条理な税金を一人一人から取っている。
加えてさらに消費税である。
こんな税金がある国は世界中に類を見ない。
地方自治体は無駄を省き、こんなふざけた税金を撤廃すべきである。

話がちょっとずれてきたようである。
むろん観客が見て熱狂するのは野球にはちがいない。
しかし、年齢を経てからも若いスポーツマンと技術で争い、
ともに楽しめるスポーツは、ゴルフ以外には少ないと思う。
そのことには男女の差ということもない。
初老のカップルが楽しんでいる姿も美しいではないか。

還暦を過ぎた男が、二十代の選手に勝てる可能性がある。
する側と見る側という関係ではなく、
体が動く限りいつまでも年齢性別に関係なく、楽しみ競えるものとして
ゴルフはすばらしいスポーツだと僕は思う。


次は野球とゴルフのプロについて。

野球は団体競技である。
アマチュアのとき素質に恵まれた選手が、
たくさんの契約金をもらい、各チームに入団する。
年俸は成績次第だが、解雇されぬうちは常に保証されている。
移動や宿泊、キャンプなど野球に関する費用のすべては球団持ちで、
たいていは高級ホテル、グリーン車などがあてがわれる。

プロゴルファーはなりたくてもなれない。
たとえ学生チャンピオンでもプロテストに合格しないとならないし、
賞金がもらえる試合に出るためには、
幾度となく行なわれる予選試合なる狭き門を通過しないとならない。
自由に全試合に出場できるシード選手(ツアープロ)は、
全国に二万人以上いるといわれるプロのなかからたった七十人ほどだけなのだ。

プロゴルファーは所属するチームを持たない。
契約金も年俸もない。
彼らは賞金稼ぎなのだから。
日曜日に試合を終え、月曜日は移動日、
火曜日がトーナメントのあるコースでの練習日、
水曜日はセレモニーみたいなプロアマ戦、
そして、大会初日と二日目の木金が、予選トーナメント、
三日目と最終日の土日が決勝トーナメントだ。

彼らのほとんどはすべてが自費だ。
飛行機代も滞在費用も挙句にゴルフのプレー代も支払うことになっている。
むろんキャディーさんへの謝礼もだ。
一つのトーナメントに出場すると、
それぞれの待遇によってはちがうが、
およそ二十万円が必要となる。
予選落ちすれば全部赤字、
なんとか予選を通って下位のほうで終了すれば、収支トントンといった具合だ。

プロゴルファーに決まった年俸もなければ、
FAなんぞという豪勢な制度もない。
その年の稼ぎが悪ければ次の年憂き目を見るだけのことで、
なんらリストラ対象のサラリーマンと大差ない。

僕は厳しい生活を何年も続けているプロを知っている。
彼だって、何度かシード選手にもなり、ツアー競技で優勝だってしたんだ。
その彼がこの年の瀬、所属コースから解雇された。
所属コースと言ったって、
少し手伝いをして、キャディーさんほどの給与をもらっていただけなのだ。
所属コースがないと練習もままならない。

日本での野球とゴルフ、
プロだけで見れば野球のほうがずっとずっとブルジョア的で、
ゴルフ界は一部の選手を除けば世知辛いほどにプチブルだ。

タイガー・ウッズ、マイケル・ジョーダン、アレックス・ロドリゲス・・・・・etc、
彼らはまちがいなくスーパースターにちがいない。まるで打ち出の小槌のような。

USAはあまりにあまりにビジネスに貪欲であり、
世界を席巻するが如くふるまっている。
MRブッシュの発言などは傍若無人とさえ思えるときがある。

なぜかしらアメリカンドリームスは地球を顧みない現象となってしまった、
と思うのは僕だけなのだろうか?
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倒産、リストラ、デフレ不況のこの世の中で
休むいとまもない内閣総理大臣よりも
はるかに稼ぐやつらがいる。

夢だとか理想だとかいろいろ言ってはみてもやはり金。
デフレ不況のこの世の中で、世間を顧みない高騰年俸。
近ごろ僕は野球選手が嫌いになった。

名古屋でお別れセレモニーをした人は、
契約金二億円、年俸二億円で大阪Hに釣られていった。
今年の年俸一億八千万円+スポンサー契約料−控除額=来年の納税は少なくとも一億円。
NHKではせいぜい二〜三千万円、納税の額にもなりはしない。

大阪KのNは六年契約四十一億円の提示にも難色を示している。
何でも言いたい放題だ。

FAのKは大阪Hから五年契約十二億円でハムから移って行った。
高々二割七分の選手が・・・・・・・。

別なFAのTは希望の条件で雇ってくれるはずのないメジャーリーグをダシにして、
結局四年契約十二億円の名古屋へ飛んで行った。
高々二割六分のキャッチャーだ。
何で古田より多いんだ。
そういやあ、前にもGをダシにしていたっけ。
世渡り上手のキャッチャーだね。

嫁さんの脱税告発で退任を余儀なくされた月見草は、
Sをやめたとき大阪Hの金に眼が眩んだ、
今考えてみると哀れなおっさんである。
強欲な嫁さんにもそそのかされたにちがいないが。
大阪で恥をかいてやめたのは、
もと府のセクハラ知事ともと南海ホークスの三冠王の二人になった。

太宰が「富士には月見草がよく似合う」と言ったが、
かの月見草には似合うものなどなくなった。
三年連続最下位と脱税者という汚名が残っただけである。

内閣総理大臣の年俸は実質五千万円、
日本球界の一軍の平均年俸の方が多いじゃないか。

ついにメジャーリーガーの平均年俸は二億円を超えたそうである。
高級邸宅、テニスコート、プール、高級車、自家用機、別荘、
秘書、召使、運転手、エトセトラエトセトラ。

僕は来年から野球を見ない。
デフレ不況に苦しむこの世の中を知っていながら、
それでもなおゼニゲバに走るやつらを見たくはない。
富める者とそうでないもの、貧富の差は広がるばかりだ。

彼らになんか夢はいらない。
金が人間を評価するなどと思っちゃいけない。
たった一介のスポーツ選手がうぬぼれるんじゃない。
金を湯水のように支払う球団もふざけるんじゃない。

ちょっと僕はひねくれた気分だが、
そんな気持ちが人々に高じてくると世情は不穏になってくる。
実際に日本は借金大国で、
日本の格付けは年々歳々下落しているのだ。
アルゼンチンを他山の石と思うなかれ。

テロは極悪非道だ。
しかし、飢え苦しむ人たちがこの地上のかなりの数を占める限り、
富める世界を見て絶望し、
その不条理に狂おしい激情を覚えたとしてもなんら不思議なことではない。


Merry X'mas to you !
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MIDIリンク集
お気にいりのアーティストのロックやポップスの
MIDIサイトを見つけてリンクしていたが、
どうも雲行きが怪しくなってきた。

それは私の側にではなくて、
MIDIファイルを公開しているページオーナー側にあるようだ。
想像するに著作権の問題のようである。

海外のものはほとんど問題ないようだが、
ジオシティーズで公開しているやつが、
槍玉にあがっているみたいだ。

今日、マライア・キャリーを聴こうとして、
リンク先をクリックしてみたら、
全然彼女とは関係ないサイトが現れてきた。

仕方がないので別のサイトを捜していたら、
いくつか見つかりはしたんだが、
肝心の曲に辿りついたと思ったとき、
ページは表示されなくなっていた。
きっと逃亡してしまったんだろう。

それでもどうにかひとつだけ海外版のベストなやつが見つかったので、
べつなURLでマライア・キャリーは残っている。

この調子ならいつ何時ということもあるので、
欲しい曲は取り込んでおくことにしよう。
どうも日本は杓子定規に動きがちな国だ。

というようなこともあって、
MIDIリンク集のアイテムはまた増えました。
あそこは結構ヒット数があるので、
興味のある方がいらっしゃると思っている。
下のほうまで覗いてみて、
お気に召すものがあれば取り込んでおくこともよろしいかと・・・・・・・。

ちなみに個人的な楽しみにおいては
著作権法は該当いたしません。
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愛のなかには、
細い注射針のように、
痛みなく人の心に侵入し、
ゆっくりと秘めやかに穴を穿つものがある。
ちくりと胸を刺すのではなく、
徐々に気配を濃密にしていくものがある。

   / ベン・ウェイド
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初雪
まだ蒲団の中にいるときだった。
早朝から電話が鳴った。
ゴルフ場からである。
積雪でクローズとの連絡である。

急いで神戸からやってくる同伴プレーヤーに連絡を入れたらまだ家にいて、
どうにか間に合って無駄足を踏ませずにすんだ。

それから窓をあけた。
全然雪は降っていなかった。
同じ市内なのにどうしてなんだろう。

別の近くのゴルフ場に電話を入れてみた。
やっぱり雪が降っていて、
水をまいて解かすのでスタートは正午頃になるということだった。

午後からは晴天となり、
苗のままおざなりにしていた花の植付けをした。
前二列にスィートアリッサム、
次の三列にヴィオラとポンポンデージー、
後方の花壇は紫花菜だ。
およそ三百、春の訪れの彩りには自信がある。

遅い植付けだったので、
霜よけのためにバーク堆肥を敷きつめておいた。

ゴルフは明日に順延となった。
おかげで地元高校が出場する高校駅伝を見ることができない。
一区を走るエースがけがで出場できなくなったので、
優勝は難しくなったとのことだが、
ここ十年間で五回栄冠を勝ちとっている。
心のたすきリレーを標榜する監督に勝算がないとはいえない。

明日こそ本当に初雪が降ってくれないだろうか?
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わが友人の競馬コラム
がんばれサラリーマン!!

 飛行機が高層ビルに突っ込んだり、小学校に暴漢が突っ込んだり。イヤな事件がたくさんありました、今年も。みなさんもあんまりたくさん、有馬におアシを突っ込まないように。しかし、不景気も相変わらずですな。いまにし亭1回目は、寒風に直面するサラリーマンを、年の瀬らしく干支(えと)を読み込んで応援しましょう。

   ◇  ◇

 ヘビーなローンも済まぬのに
 リストラ嵐吹き荒れて
 首でもつるかと思ったが
 イノシシ(命)あってのものだねと
 気をトリなおして
 奮いタツ
 ウサギこむのはよしにして
 ウシろは見ずに前を見て
 労働にまサル稼ぎはないものと
 働く姿はこまネズミ
 幸せの神はイヌかと
 いざヒツジん(出陣)
 そうだその意気、その闘志
 有馬で勝てばウマくいく



貧乏脱出「万八」作戦

 えー、本日の登場人物は熊でもなけりゃ虎でもない、万八という男でございます。なんで「万八」なのかは、最後までお読みになると分かるという仕掛けでございまして。

 万八 こんちわ。

 いまにし亭 おや、だれかと思ったら競馬好きの万八だね。何か、用か。

 万八 ここのか、とおか!

 いまにし亭 くだらないことを言ってないで、早く用件をお言い。

 万八 有馬記念の勝ち馬が分からねえ。

 いまにし亭 それが簡単に分かるようなら、わしもこんなに貧乏はしていない。あんまり外れるんで「ビンボーの 棒も次第に 長くなり 振り回される 年の暮れかな」だよ。

 万八 「貧乏」を「ビン棒」に見立てたね。

 いまにし亭 「貧乏は しても我が家に 風情あり 質の流れに 借金の山」

 万八 山河を読み込んだ、きれいな貧乏だ。

 いまにし亭 「貧乏の」

 万八 貧乏はもういいよ。だから貧乏から逃れるには何を買えばいいんだい?

 いまにし亭 おまえには4番がいいな。

 万八 どうして?

 いまにし亭 まんはっつあん買え。



 この面白おかしい競馬コラムは日々更新されています。My HPのほうにリンクしていますのでお気に召せば覗いてやってください。

 yoursong 拝
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15年前のセーター
1986年の九月の半ば,はじめてロンドンへ行ったときのことである。

最初にパリに行き,それからドーバー海峡をわたって,ロンドンに着いた。

パリでは爽やかな秋の気候だったが,
ロンドンに着くなり冷ややかな秋の訪れに出くわし,
身支度はその気候にそぐわないものだった。

朝夕はかなり冷え込み,はるかに日本の九月とはちがっていた。
すみきった青空を見ていると,
気温の低さは信じられないほどだったが,
考えてみればロンドンの緯度は樺太のそれとほとんど同じだった。

僕は王室御用達の老舗,ハロッズ百貨店へセーターを買いに行った。
どれもこれもサイズが大きくて,
イギリスのSサイズは日本のMサイズより大きかった。
気にいったデザインのものがあったので,
ちょっとばかりの大きさには辛抱して,
ついでに勧められたベレー帽をいっしょに買った。
セーターはウール100パーセントで、
きなりの素地にワイン色の斜め格子がはいっていた。
ベレー帽は薄茶色のなかなかにアーティストふうのものだった。

ロンドン塔やウォータールーブリッジ,ピカデリーサーカスなどで、
それを着て撮った写真がアルバムにある。
ご機嫌で今よりずっと若さにあふれている。


もうすぐ近所にユニクロが出店してくる。
そのことは去年の末頃から噂されていたのだが,
先行きを案じたなじみの洋品店が自主廃業をしてしまった。
商売上手な後輩だったのだが,
それだけにけがをせぬうちにとあっさりと手を引いてしまった。
小売業はデフレ不況をまともに受けている。

だから,今僕は気軽に洋品を買う店を失っている。
後輩はいつも値引きをしてくれたし,
フッションのセンスもよかったのだ。
ユニクロでは買いたくないし,
百貨店まで出て買う気にもならない。
むろんダイエーなんてとんでもないことだ。

アウターウェアーにだけは、
自分の好みにうるさくありたいといつも思っている。
近くで好みの店はないし,
買い物なんぞにわざわざ三宮まで出るのも面倒だ。

そこで探し物のなかから出てきたのが,
15年前にロンドンで買ったセーターだった。
あれ以来一度も着ていなかった。
あのころよりちょっとふとったせいか
体まわりにも肩幅にもちょうどいい。
ただ,袖の長さは相変わらずで,
七センチほど折りたたまないと手のひらはすっぽりと隠れてしまう。

よく似合っていると妻は言う。
そう言われればまんざらでもない。
外を歩くときベレー帽もかぶっていこうかとも思ってしまう。

ファッションにはサイクルがあると思う。
ミニスカートが流行ったり,流行らなくなったりするように。

もっともっとタンスの中の物を引っ張り出して,
掘り出し物がないか捜してみよう。
時代錯誤にだけは陥らないように心して・・・・・・・。
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ハッピバースデー
今日は末っ子の二男の九歳の誕生日である。

最後の幼少の誕生の日である。

物心つきはじめたころまでは七人で祝ってやっていたのが,
昨年からは妻との三人だけのお祝いの日となってしまった。

お決まりのバースデーソングを聞く子供の表情は,
うれしさいっぱいでくずれっぱなしである。
十本のろうそくを一息では消せなかった。
まだまだかわいいさかりである。

学校ではみんなで乾杯をしてもらったらしい。

プレゼントは楽しみに後で一人で見ると言っている。
もちろんなにがはいっているか予想ずみなのだろうが。

おばにあたる私の妹がプレゼントを毎年届けてくれる。
気にいった服がだったので早速明日から着ていくと言っている。
妹夫婦には子供がいないので嫁いだ先の両親までこの子をかわいがる。

思えば九年前,その翌年の一月二十五日が予定日だった。
三十七日の早産である。
生まれたときはまだ真っ白で,
まだまだ胎内で育つべき状態だった。
すぐに保育器に入れられて,
それからこの子はおよそ一ヶ月病院の中で育った。

未熟児におこりがちな心配した体の異常もなく,
それなりに育ってきてくれた。
その期間,幼少のこの子の周りを家族がいろいろなかたちで通り過ぎていった。
それをこの子はどのように感じてきたのだろうか?

来年の誕生日からは十代である。
いつしか幼少のころを顧みて,
彼自身の記憶をよみがえらせていくのだろう。

私自身の人生が上の二人の子供の時代とは
はるかに異なっていることを考えてしまう。
この子にだけどのような別な影響をもたらしているのか,
幸いであることを祈りたい。

来週はクリスマスである。
その翌週はお正月。
兄姉も帰ってきて久しぶりににぎやかな日々がやってくる。
元旦はお姉ちゃんの二十歳の誕生日なのだ。

週末からは冬休み,この子には楽しい楽しい毎日が続いている。
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慢性疲労症候群
疲れてしんどかったとき、
「慢性疲労症候群じゃないでしょうか?」と、
面白半分にドクターにこの病名を言ってみたら,
これは実際にある病気だった。

これはなかなかに原因不明の難病のようだ。
通常の生活が著しく損なわれる全身倦怠感,疲労感を主な症状として、
原因不明の現代病と呼ばれているということだ。

疲労感以外の症状としては,微熱,咽頭痛,頸部リンパ腫瘍,視野障害,
健忘,興奮,昏迷,思考力の低下、集中力の低下,うつ状態などがある。

また一ヶ月に数日以上は社会生活や労働ができず,
自宅にて休息が必要な程度から,
しばしば介助がいり,一日の半分くらいは就床している激しいものがある。

さらにこの病気は,多彩な症状を半年以上にわたり持続,
あるいは再発を繰り返すことが特徴で、
3〜5年にわたり悩まされている患者が多いようだ。
今のところこの疾患の原因は不明で,
残念ながら治療法も確立されていないとのこと。

ドクターは私をじろりとにらんでこう言った。
「あなたの疲労は遊びすぎか,怠け病じゃありませんか?」 
そばで看護婦が笑って言った。
「きのうのスコアはどうだったんですか?」

ふん,そんなこと知るか。
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馬鹿話
おい,しばらく見なかったなぁ。どうしてたんや。

いやぁ、二週間ほど入院してたんや。はしごから落ちて足の骨折ってな。

そりゃ,知らなかった。見舞いにも行かんと悪いことしたな。

いいや、担当の看護婦さんが若くてえらい別嬪やったから、
おまえなんかが来てくれたらオジャマムシやった。

へえぇ,そんで後の話はうまいことできたんか?

いや、これからや。つなぎをつけとる最中なんや。

ふうん(どうせどじ踏むくせに)うまいこと行くとええのにな。
ところでもうすぐ看護婦さんなくなるの知ってるか?

あほ,病院に看護婦がおらんようになるわけないやろ。

おまえ知らんのか。
最近は男の看護士がふえとるから、
これからは男も女も総称して看護師になるんや。
漢字は士やなくて師やからな。

ふうん,オマル師みたいなもんか?
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DNF
   DNF: 暗夜光路


 横尾忠則がグラフィックデザインから絵画へと制作の重点を移したのは1981年のこと。画家として積んできたキャリアは,グラフィックデザイナーとして過ごした歳月に匹敵するまでになった。

 現在東京品川の原美術館で開かれている個展は,その歩みの結果たどりついた地点の断面を見せている。

 題して「横尾忠則作 暗夜光路」展。新作,近作40点ほどのほか,滝を題材にした絵葉書5千枚など数々の作品が展示され,この画家がいかに発想の回路を開放し,自由な姿勢で制作に臨んできたかを物語る。1月14日までの開催である。東京近辺にいらっしゃるかたは是非見に行って欲しい。

 新作絵画は,兵庫県の故郷で見かけたY字路の風景に引かれたのを機に描き始めたシリーズ作品で,すべてに「DNF:暗夜光路」とタイトルがついている。「暗夜光路」は言うまでもなく志賀直哉の小説に想を得た題名だそうだ。DNFはその英訳から頭文字をとったものに思われる。

 私はこのY字路を知っている。5分ほど歩けばいつでもそこへ行ける。日本経済新聞の編集委員 宝石正彦は、その作品について次のように書いている。

 人は先の見えない人生行路上でしばしば神の啓示のように照らし出されたY字路に出合う。Y字路は前に進もうとする限り二者択一を迫る。そうしたY字路をいくつも手探りで通り抜けてきた二十年の歩みをタイトルに投影させた,と想像すればいいだろうか。いかにもこの画家らしく霊感が働くままに題材を選択しているのが面白いが,ほかの作品にもこだわりのない姿勢は貫通している。
 絵画であれ,グラフィックデザインであれ,進むべき方向を自らの意思で選ぶ限り、周囲を見回してうろうろするような態度とは無縁であり,亜流にはなりえない。Y字路の絵を見ながらそんなことも考えた。


 上記に掲載の画像は新聞の切抜きである。決してモノクロの作品ではない。私にはその彩りが想像できる。それはその場所を何度も見ているからでもあるが,世田谷の彼のアトリエに何度かおじゃましたり,故郷で出会ったりして、彼のひととなり,これまでの多くの作品を知っているからでもある。私の家から車で15分も走れば,横尾忠則美術館がある。そこにかの石川釣月を連れて行ったこともある。
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青春小説
「文学における『青春の終焉』が話題になっている。最近では文学賞を受賞した小説をみても,過ぎ去った青春を回顧したり,老人に青年の影をみたりする作品が目立つようだ。青春が輝いた時代が去り,年齢を問わず,いかに豊かな人生を過ごすかに人々の関心が向かっている」

上記の言葉を冒頭に現代文学を評している。
どうやら青年を描く文学が低調らしい。


かつては『青春小説,若者を魅了』とある。

夏目漱石「坊ちゃん」「三四郎」
森鴎外「青年」
川端康成「伊豆の踊り子」
堀辰雄「風立ちぬ」
太宰治「走れメロス」
野間宏「暗い絵」
三島由紀夫「金閣寺」
大江健三郎「セヴンティーン」
村上龍「限りなく透明に近いブルー」
宮本輝「蛍川」
村上春樹「ノルウェイの森」

ゲーテ「若きウェルテルの悩み」
スタンダール「赤と黒」
ドストエフスキー「罪と罰」
ランボー「地獄の季節」
トマス・マン「トニオ・クレーゲル」
ロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」
ヘルマン・ヘッセ「車輪の下」
リルケ「マルテの手記」
カフカ「変身」
マルタン・デュ・ガール「チボー家の人々」
カミュ「異邦人」

上記の作品の『永遠の若さ』や『理由なき反抗』が読者を魅了したのである,
と締めくくっている。

僕がまだ読んでいないものは,
野間宏「暗い絵」 大江健三郎「セヴンティーン」 宮本輝「蛍川」
ランボー「地獄の季節」 リルケ「マルテの手記」 ヘルマン・ヘッセ「車輪の下」だ。
もういまさら読むつもりもないが・・・・・・・。
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喪中はがき�U
相変わらず喪中はがきが毎日のように届く。

今日届いたのは,私が前社の役職に在任中に
直属の部下だった人の奥さんからのものだった。
十月に亡くなられたと記載されていた。

私が職を辞してよりおよそ六年半,
あのとき彼は定年間近だった。

三年前母が死んだときには御香料を頂戴していた。
体はもともと弱い人だったが,
のんびりと老後を楽しんでおられるものと思っていた。
年賀状のやりとりは欠かさず続いていたのだ。

私ははがきを受けとるなり電話をした。
電話の声ですぐに奥さんだということがわかった。
いつも控えめでやさしそうな方だった。

享年六十六歳,肝臓病による死だった。
二年程前から入退院を繰り返していたそうで,
入院先の病院で亡くなられていた。

病ではあまり苦しむこともなく,安らかに永眠されたという。

「いろいろとお世話になりましてねぇ,よく気を使っていただいて・・・・・,
あのころ主人はそう言って喜んでおりました。
今お電話があったことを仏前に報告してやります。きっと主人が喜びます」 
と奥さんのすすり泣く声が聞こえてくると,
私の目に涙があふれてきた。

私は彼の入院のことを知らなかった。
いや、彼の葬儀すら知らずにいたのだ。

私はもらい泣きしてしまって,
はっきりとお悔やみの言葉を告げることができずに電話をおいた。

在職中から病気がちな人だった。
ずいぶんと年下の私が彼になにをしてあげられたのだろう?
厳しいことばかり言って困らせていたのではなかったか?

幾度となく反芻する気持ちは尽きない。
お供えを持って御参りに行かなければ・・・・・・・。
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ビジネス
株取引がビジネスの一部となってしまった現在,
自分は相場師なのだろうか?
相場師なんていうと実に怪しげな人物に思われてならない。

ネットナンパ氏のほうがずっと気が楽でいいのだが・・・・・・・
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人生の堂々めぐり
忘却を抜け出して
忘却を恐れるようになり
ふたたび忘却へと戻っていく。

     / ポール・グレーヴズ
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クモの巣にかかって
嘘をついた人の耳元には
絶えず真実がささやきかける。

    / ポール・グレーヴズ
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ミスジャッジ
判断ミスというものは結構連鎖するものだ。
ミスをカバーしようとして、そのミスに連鎖が働く。

最近では「切れる」という言葉はよくない状況に使われがちだが、
切るということは断つということと意味を同じくしている。

ミスを犯すと耐えがたい気分に襲われがちだが、
切る、断つということによって当面のミスを忘却して、
期間をおいてから再チャレンジすることが肝要である。

今日はミスの連鎖に疲れ果てた日だった。
「あ〜あ」いやんなるほど疲れちゃった。
余波は明日も残りそうだな、ぐったり・・・・・。
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木枯らしの中で
凍えるような木枯らしの中でゴルフをしてきた。

黄金の谷もエメラルド色した池もちっともきれいじゃなかった。

今日のゴルフは厳冬というコンディションとの苦闘の連続だった。

早く終わって帰りたかった。

お金を払ってくたくたである。

こんなふうに思うようじゃ僕もちょっと年をとったもんだ。
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海鳴り 【藤沢周平作】
 江戸の時代、有夫の女と通じた男は引き回しのうえ獄門に懸けられ、女も死罪になる。

 妻子あるお店の主人新兵衛と不遇に生きる大店の妻女おこうとの許されぬ恋。それは現代風俗とも似かよった閉塞した状況を描いているのだが、そこで情欲や焦燥感や空虚なものが支配する世界を見てきた我々は、物語の終末において意外なものに出くわす。

 それは哀切とでもいうべき感情で、新兵衛とおこうがお互いに純粋な愛情を抱きあったときに生じたものである。

 二人は駆け落ちのようなかたちで江戸を逃れ、旅の途中に残してきたものを振り返る。逃れきれるのかどうか?

 おこうが新兵衛に謝っている。新兵衛はお互いさまだという。おこうが江戸のことは忘れてくださいねと祈るようにいう。

 四十半ばの男と三十半ばの女、二人は立ちどまって顔を見合った。ついで手をにぎり合った。新兵衛は野を見た。日の下にひろがる冬枯れた野は、かつて心に描き見た老年の光景に驚くほど似ていたが、胸をしめつけて来るさびしさはなかった。むしろ野は、あるがまま満ちたりて見えた。振り向いて新衛兵はそのことをおこうに言おうとした。 「完」
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喪中はがき
年々喪中はがきの数がふえているような気がする。
昨日も今日も受けとった。
明日も来るかも知れない。

僕も三年前それを出したのだった。

儀礼的な年賀状はふえてはいくが、
親しかった友人の賀状は減っていくような気がしてならない。

しかし、喪中はがきの当人になるにはまだまだ先のことだ。
事故などに遭遇しない限りにおいて・・・・・・・。
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青列車殺人事件
「あれは嫌な青列車よ。列車って無情なものね。人が殺されて死んでも、平気な顔をして走っていくんですもの。私馬鹿なこといってるけれど、ポアロさんは私のいう意味わかってくださるわね」

「よくわかりますとも、お嬢様。人生は列車みたいなものでございますよ。どんどん走って行きます。それでよろしいのでございます」

「なぜなの?」

「なぜかと申しますと、やがて旅の終わりになるからでございます。それについて諺があるではございませんか、お嬢様」

「旅が終わるところで恋人が出会う」といって、レノックス嬢は笑い声をあげた。「でも、私の場合にはそんなの、ほんとうでないわ」

「ほんとうでございますとも。あなたはお若い。ご自分で考えておいでになるよりずっとお若くていらっしゃる。お嬢様、列車を信用なさいませ。なぜなら、それを運転しておいでになるのは全能の神様でいらっしゃるからでございます」

汽笛の音がふたたび響いてきた。

「列車を信用なさいまし、そしてエルキュール・ポアロを信用なさいまし。ポアロは何でも知っております」 とポアロはくり返してつぶやいた。

        「了」
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アガサ・クリスティー
ミステリーの女王、彼女の作品を引っ張り出してきて読んでいる。
たいていが学生のころ読んだものばかりだが、
簡潔明瞭、謎解きの面白さはやはり群を抜いている。

文庫の紙が黄ばんでいて文字が少し読みづらいが、
一気に読破させる作風はさすがである。

彼女のミステリーはおどろおどろしくなくて、
怖がりの女性にも楽しめるものである。

以下はオススメ作品である。

アクロイド殺人事件、三幕の殺人、ABC殺人事件、スタイルズ荘の怪事件、
オリエント急行殺人事件、そして誰もいなくなったetc
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同窓会
真っ平御免だと突っぱねていた同窓会の世話役を引き受けている。

今日出席者全員に案内状を送付したところである。
予想を超えた三十名の参加である。

高校二年生のクラスの同窓会である。
どうして二年生のときなのか、
それは最初の十九歳のときがそうだったからである。

面倒なのは郵送を余儀なくさせられることである。
でも、返信はがきの「懐かしいわ〜・・・・・etc」
と思い出の女性の肉筆を見るとまんざらでもない。

来年の一月三日、何かいいことあるだろうか?
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ウィルス
インフルエンザやHIVウィルスには戦う術もないが、
コンピューターウィルスなんかへっちゃらだ。

面倒だが、痛くも痒くも何ともない。
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