東洋の美女
 最近流行に疎くなった。というより、あまり関心がなくなった。もともと流行歌なるジャンルは好きじゃなかったし、おしゃれは最先端よりもハイセンスなトラッドなもののほうが好きだった。

 三宮の街を歩いていると、相変わらずすれちがう女性に目移りがするし、時として振り返って後姿を見つめてしまうときだってある。でも、なんか違う。たしかに若い女性は洗練されていて、とても素敵なのだけれど、少々誰も彼もが似たような感じがする。

 トアロードにつながるセンター街を西へ歩いていると、CDショップがあり、店頭を飾るポスターの群れを見て気がついた。僕が誰も彼もと感じていたものは、彼女たちのコピー群だった。マス・メディアに感化され、自ずと真似をしたがるこの国民の習性が、個々の個性を奪ってしまっていた。いまさら並べあげることもないだろう。

 黒髪の美しい女性を見かけることが少なくなった。髪の黒さがいちばん美しい年齢のとき、彼女たちはこぞって、遅れをとるのを怖れるがごとく、髪の色やファッションスタイルを好みの人気タレントみたいに変えてしまった。

 青春の盛りを過ぎ、それから年々肌が衰えるのと同様に髪の色も褪せてくる。それは女性も男性も同じことだ。最近、僕も髪の毛が細くなってきたようで、こびんに白いものが見えてきた。かみさんは僕よりずっと白髪が多くて、よく娘に抜いてもらっていたのだが、もうそんなことではおっつかない。ちょっと流行の色とはいいがたいが、二ヶ月に一度はおしゃれ染めの世話になっている。

 それぞれの個性について、とやかく言うつもりはさらさらない。けれど、花盛りの女性たちが、みんな右を向いてしまったら左側には何にもない。かなり前、金髪に染めた女の子を見て、とてもきれいだと思ったものだった。でも、今はそんなことは思わない。黒髪の美人と切に、切に出会いたいと思うのである。