ほんとにドジなやつ
 昔のガールフレンドのA(ただの高校時代の同級生)と空間を隔てた交流がある。現在は千葉県に住んでいる。未だ年賀状をやりとりする数少ないうちのひとりだ。

 ところが、昨年年賀状がこなかった。そんなことは、これまで喪中のとき以外にはなかったことだった。でも、それに先に気づいたのは彼女のほう。ちょうど去年の今頃、メールで「わたしの年賀状届いてる?」と尋ねてきた。どうやら女友達数人から、「年賀状が届いてないのはどうしてか?」 と彼女を案ずる連絡が寄せられていたらしい。人は恒例なことが突如途切れると、不安になる習性がある。特に女性は。

 メールを受け取ってから「うん? きてなかったっけ?」と首を傾げながら、お年玉のチェックが終わった賀状を取り出して調べてみた。やっぱりきてなかった。あいつはいつもイラストや漫画を添えていたから、届いていないことを気づいていて当然だったのに・・・、その理由は年始の二十年ぶりの同窓会のせいだった。とてもなつかしく、久しぶりに顔を合わせていたため、心はじっくりと賀状を見ることになかった。

 届いていない旨、返信をした。「はやりのアルバイト配達員のポイ捨てじゃないか」とつけ添えて。どうもよけいなことを言ってしまったようである。彼女は最寄の郵便局に問い合わせ、挙句優柔不断な返答しかできない局の職員を糾弾してしまった。が、投函したのに、それなら配達しているの論争は水掛け論となり、まあすんでしまったことは仕方ないで一件落着となった。彼女はやさしくて、気立てのいい女性だったから。

 あれは去年のいつごろだっただろう?半年前か、もっと最近か、彼女から年賀状の束が見つかったというメールがきた。要するに出し忘れたまま、ある場所に置いたままになっていたのだ。それがたまたま偶然に見つかった。やっぱりばかなやつだと、僕は思った。実に面白かった。『けど、まさか郵便局に謝りに行かないだろうな?』と、実直なタイプだけにそれだけが心配だった。

 「どうしよう。今からだそうか?どうしたらいいと思う」

 「今時分に年賀状もないだろ。来年、二年分いっしょに出しゃあ、みんな去年出し忘れていたことわかってくれるだろう。二年分まとめてっていう趣向、一言書き添えれば、けっこう面白いと思うよ」

 それから年が明けた。秋の終わりに彼女は、大学の同窓会でアキレス腱を切って、松葉杖の世話になっていたから、僕は例の年賀状のことを忘却していた。彼女からの二枚の、二年分の年賀状は七日に届いた。また出すのを忘れていたのか、遅配されたのかは尋ねなかった。僕はこの年賀状にまつわるいろんなやりとりを思い出して、ほくそえんだ。

 おとといの夜、メールが届いた。「二枚の年賀状結構評判よかったよ。いいアイデアくれてありがとう。ところで、いつもの文字が見当たらなかったんだけど、奥さんのおばあちゃんがなくなったから喪中だったのかな?」

 急いで返信。件名は『あっ!』 以下  「しまった!そいつはしくじった。去年のお返しになってる。去年の年賀状見て書いてたから出し忘れじゃなくて、もひとつ悪い書き忘れだ。来年は必ず忘れず出すからごめん」

 年賀状は九枚余っていて、そのうち二枚が四等の当たりだった。もう一日メールが早くきていたなら、本当のお年玉つき年賀状を出せていて、出し忘れがちょうどいいジョークになっていたというのに。息子が小学校から帰ってきて、喜んで郵便局へ走っていったのは、午後四時のことだった。四等の切手シート八枚と同時に、消印のない葉書は全部八十円切手になっていた。

 上記のメールの文面に、さらに自分のドジを悔いたことは言うまでもない。