とのとどの
 ゆっくりと年賀状を見ていた。たいていが印刷ばかりのもので、やっぱり昔のように味わいあるものは少ない。今はメールがあるから友人たちのものでさえ味気なく思う。

 表書きに一枚だけ殿(どの)と書いたものがあった。差出人は金融界のガリバー、証券業界最大手 天下の野村證券某支店の支店長である。その支店長はどの顧客にも上司にしてさえ、名前の下に殿を添えていたと推測される。

 彼はとんでもない勘違いをしていることをわかっていない。おそらく支店長に昇進するまで、殿と添えることが一等敬意を表しているか、もしくはかっこいいと考えていたことだろう。その勘違いを指摘できなかった野村の上司も上司だといわなくてはならない。

 高貴な人もしくは殿様に対しての殿(との)であるなら至極当然だが、普通の人間の顧客に対して添える言葉として殿(どの)は適切でない。広辞苑によると、「様」より敬意が軽いと記してある。「様」と「殿」の意味の違いは知る人ぞ知るである。

 天下の野村の支店長がこんな違いを知っていないということは、ボキャ貧は僕の世代以上にまで及んでいるということだ。カタカナの金融用語ばかり使っているせいだろうか。今度挨拶に来たとき、鎌をかけてやろうと思っている。もし支店長が僕だけに「殿」を使っていたなら、日興證券の営業マンが買ってきてくれたホワイト・ホットのパターで頭を殴ってやるつもりでもある。