2003年04月の記事


東京証券取引所時価総額ランキング
日本経済新聞より

1989年12月末 (単位 億円)  

1 NTT       229.320  
2 日本興業銀行  150.023 →みずほ 
3 住友銀行    105.499 →三井住友
4 富士銀行    99.884  →みずほ 
5 第一勧業銀行  92.410 →みずほ
6 三菱銀行    91.642
7 東京電力    81.276
8 三和銀行    80.925  →UFJ
9 トヨタ自動車  77.086
10 野村證券    67356

11 長期信用銀行  65.513 →倒産
13 東海銀行    51.079 →UFJ
14 三井銀行    50.376 →三井住友
18 太陽神戸銀行  40.821 →三井住友


2003年4月28日

1 NTTドコモ    120.933
2 トヨタ自動車   92.054
3 NTT       64.845
4 キャノン     41.231
5 日産自動車    38.606
6 武田薬品工業   38.238
7 ホンダ      35.955
8 東京電力     32.298
9 ソニー      25.172
10 セブンイレブン  22.794

11 東京三菱FG    22.704
31 三井住友FG    11.362
60 みずほFG     7.471
95 UFJーHD      4.981


 大手銀行が市場の信頼を回復し、自らの株価下落に歯止めをかけるための選択肢は極めて少ない。資本金不足の解消を目指す二兆円超の自力増資は株価回復につながらず、不良債権と保有株という二つの「負の遺産」の処理も道半ばにとどまっているからだ。

 金融庁の特別検査で、大手銀行は2003年3月期に1兆3000億円の貸倒引当金の積み増しを迫られた。だが、市場は一部大口融資先(ダイエー、熊谷組、藤和不動産など)の経営再建をなお不安視しており、引き当ては不十分とみる。融資の約七割を占める中小企業引当金も増やす必要がある。
 
 保有株の下落に伴う損失拡大も深刻極まりない。さらに大手銀行株の暴落は株式を持ち合う取引先の業績を悪化させ、その株価を押し下げて大手銀行の含み損も膨らませる。3月期に最終赤字約2兆円と予想していたみずほフィナンシャルグループは28日、減額処理で損失がさらに拡大すると修正発表した。

 「信頼回復は今期の実績で示すしかない」と各行の経営者は異口同音に言う。だが、追加リストラなどの効果が見えてくるのは早くて今秋、それまで市場が待てるかは疑問である。

 民間調査機関の試算では、日経平均株価が7000円を割ると一部生命保険会社が資本不足に陥り、資本を持ち合う大手銀行の財務を直撃、6500円を下回れば大手銀行の自己資本比率も規制値の8%を割る恐れがある。

 日銀の潤沢な資金供給もあって、大手銀行の資金繰りに問題は出ていないものの、資本不足が表面化すれば、金融システム不安が再燃しかねない。

 資本不足を避けるためには自力増資や融資圧縮が必要だが、こうした策は前期までにほぼ使い果たしており、公的資金の注入や大手銀行がすでに納めた税金の還付など「公的資金」による資本増強が現実味を帯びてくる。政府も連休明けから大手銀行の経営安定に向けた政策論議を本格化する構えだが、日増しに悪化している現状(金融不安に近いもの)を早急に払拭させねばならない。現況のまま来期決算を迎えれば、某大手銀の国有化は必至である。
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みずほ
 みずほフィナンシャルグループは28日、03年3月期の連結業績予想を修正し、最終(当期)赤字が前回予想(2月)より4300億円増の2兆3800億円になると発表した。株式相場の低迷で、傘下銀行の保有株式の減損処理が膨らんだ。空前の赤字規模だが、約1兆円の増資により、自己資本比率は9%台前半を維持する。(毎日新聞)


 みずほフィナンシャルグループ(旧日本興業銀行、第一勧業銀行、富士銀行)の株価が58700円になった。従来の1000円額面に換算すると、58円70銭。金融破綻時の山一證券や日本長期信用銀行の倒産前株価よりもはるかに安い。各々の銀行のバブル期の株価の平均値と比較して、1000分の13。地価や日経平均の下落より、比べ物にならないほどの暴落ぶりだ。似たものUFJ銀行も86円となり、上場来安値を更新している。

 金融庁の特別検査発表などが心理的な悪材料とされているようだ。すでに引当済みともみられるが、今年度以降も不良債権が経営を圧迫する状況は変わらないとして、最近の株安とあわせて先行き懸念は依然強まる状況になっている。メガバンクに対する内外での経営不信は根強く、大手企業においては銀行株保有のリスクを憂慮し、大半を処分する方向で検討に入っている。

 メガバンク エリートたちの 夢のあと
   金の亡者の なれの果てなり

 金融の 不安消えない わが国の
   いつまで続く 冬景色かな

 田中より 政治家たちが なせしこと
   日本再生 幾年月か
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Farewell to the baystars
 山ちゃん、それはあかんぜよ。
 今年最高のピッチングをしていた斉藤を代えるなんて!

 サードを代えるからエラーが出た。
 江藤のサードゴロでチェンジだったんだ。
 山ちゃん、あんたが落ち着かないから選手も落ち着けない。
 古木を育てたければ、最後まで守らせなきゃ。

 7回と3分の2回まで3安打と完璧なピッチング、
 たかがツーアウト、1、2塁で斉藤をなんで代えた?
 あとから出てきた3投手は10人のバッターにひとつのアウトも取れなかった。
 3対0が一瞬にして3対10になっちまった。

 斉藤隆の3対0の完封試合、ぶっつぶしたのは山ちゃんあんただ。
 結果論じゃなく、打たれてもいない投手を
 なんで力量が著しく劣る投手に代えなきゃならないのか。
 功を焦ったのか、策を弄して、実に稚拙だ。

 山ちゃん、あんたは人はいいけど、ボスの器じゃない。
 長嶋さんの下、オリンピックチームのヘッドコーチでいりゃあよかったんだ。
 山ちゃん、選手が代わるんじゃなくて、監督が代わるべきだ。

 権藤さん、もどってきたら?
 彼が残っていたならローズも谷繁も去らなかった。
 造反の張本人、森招聘の発端、石井琢朗の無様な衰えは見てられない。
 
 いずれにせよ、ぼくの2003年のプロ野球は、ジ・エンド。
 さよなら 横浜ベイスターズ、できるなら永遠に。
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AIDS
 NHKスペシャル「若者のエイズ急拡大」

息子と娘ががともに小学生のころ
いつものように三人で風呂に入っているとき
二人の体のちがいを比べながら
なぜ、どうしたら子供ができるのかを教えたこと

兄が中二、妹が小六のとき
エイズはどんな病気か
どうしたら感染するのか
録画しておいた日テレのエイズ特集のビデオを
いっしょにじっくりと真剣に見たこと

息子の大学進学が決まり
京都のワンルームへ引越しをしたとき
帰る間際「元気でやれよ」と言いながら
エイズの教本とコンドーム二ダースを渡したこと

そうだから、たぶん大丈夫だと思いながら
それでもアンラッキーにならないことを切に願う。
エイズは無知なる欲望とともに、本能とともに
自己制御しにくい状況の真っ只中で
増殖していくウィルスだから・・・・・
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川の流れ
雨あがりの朝

いつも歩きながらに見る光景

でも、ひさしく汽車を見ていない

鉄橋の向こうでは

この支流が本流に合流している

晴れてたらもっと緑が美しいんだが・・・
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やめたらいかんぜよ
 早期退職、40歳代が標的 東京商工リサーチが調査 

 リストラブームのこのご時世、多くの企業が早期退職を募集しており、それにまた多くの社員が応募している。窓際へ追いやられてやりきれないのか、先行きが不透明で、もらえるうちに割り増し退職金をもらおうとしているのか、ほとんどの企業で募集人員を上回る状況だという。

 給料が少々減ろうと、窓際へ追いやられようと、不況のときほどやめたらあかん。しゃにむにしがみついてでもやめたらあかん。退職金と雇用保険でもらえる額など、二年できれいさっぱりなくなってしまう。ハローワークへ行って、それまで以上のよい仕事があると思うなかれ。おそらく給料は半分以下、これまでのプライドはずたずたになり、カルチャーショックに陥ったりする。

 挙句、かみさんにも愛想をつかされ、夫婦間の愛とはいったいなんだったのかと、途方に暮れたりする。ときには職探しが難航し、ついには借財を抱える羽目になり、大阪城あたりのホームレスに身をやつす場合だってある。40歳代でのリストラ対象者には、もはや、ヘッドハンティングなどお呼びではない。自分を過信するなかれ。

 だから、40歳代以上、やめたらいかんぜよ! 定年までしがみついていよう。自分が培ってきたものを再評価させてみよう。不当解雇は労働基準法違反、失態さえなければ、真面目に働いてさえいれば、まともな企業では解雇できないはずなのだ。
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わからないこと
タカラジェンヌを追いかける女性たちの胸のうち。。
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お金
お金は棺桶まで持っていけないのに、
概してひとは年をとるほど吝嗇になっていく。
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ちょっと
 ちょっとじゃなくて、「ちょっちょ」というひと、いなくなって二年になるけど、元気しているんだろうか? 東京の下町のひと、全く気配が感じられなくなったこの一年。
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概して人生
人生を75年として三段階に分けてみる。

0〜25歳は、よく学びよく遊ぶ時代。
25〜50歳は、前の世代を支え、夢をもって勤勉に働く時代。
50〜75歳は、人生を理解し、人生を楽しみ、よき人生を全うする時代。
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文学
倦怠(けだい)なるひとにおいては、文学は毒薬ともなる。
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しなくてはならないこと
 しなくてはならないことがたくさんある。朝起きて、夜眠るまでいろいろなことに拘束される。自分が自由にできる時間は夜の数時間と日曜日だけだ。土曜日くらいは子供につきあってやらないといけない。

 だから、この場所に割く時間を気ままにしようと思う。拘束されて更新するのではなく、気が向いたときにだけ、何かを書こうと思ったときにだけ更新しようと思う。しなくてはならないことは多くないほうがよい。それでさえ昼間の疲れがたまっているときに、義務感のようなものでこの場を訪れる必要はないじゃないかって・・・・・。意地をとおせば窮屈だ。
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ダイエー考
 *ダイエー は18日、2003年2月期決算を発表した。本業の小売り部門の不振が響き、単体の経常利益は前期比2・9%増の145億2800万円にとどまり、昨年2月に策定した再建3カ年計画の目標である200億円を大幅に下回った。初年度から公約を守れず、再建計画の下方修正を余儀なくされた。ダイエー再生は正念場を迎えている。 (時事通信)

 *経済産業省の村田成二事務次官は21日の記者会見で、ダイエー が近く、産業再生法に基づき、経営3カ年計画を修正申請する予定であることについて「新しいチャレンジをしていく内容としてふさわしければ、変更された計画への応援を国はしっかりしていくべきだ」と述べ、引き続き、再建を支援していく考えを示した。 (時事通信)


 なぜ、国家はダイエーという企業に対してこれほどまでに手厚く援助をしていくのか、すでに倒産させられたマイカルやそごうなど、倒産した流通業の従業員や取引先が不公平だと憤りを感じているのではないかと思われてならない。バブル期の真っ只中、すでに売上高では1980年代に三越を抜き、小売業売り上げナンバー・ワンの地位を不動のものにしていた時代だった。ダイエーは流通業において、確固たる地位を築き、代表者たる中内功氏は業界だけではなく、経済連関係においてもかなりの発言力を持つほどになっていた。

 しかし、ダイエーの借入金の多さと、売り上げに対する経常利益の少なさは尋常ではないものだった。中内流売上高至上主義は、強烈なバイイングで、売り場に商品を満載させ、在庫をあふれさせた。それは顧客のニーズに決して合わせたものではなく、店の主役ではない、本社にいる商品部のお仕着せのようなものだった。彼らが頭で描いたもの、社長が推奨したものなどをどんどんどんどん本部発注という名で送り込んでいった。

 当時、イトーヨーカ堂は、売上高では後塵を拝していたものの、経常利益、粗利益率ではダイエーをはるかに凌駕し、記憶の及ぶところではダイエーの十倍ほどの利益を上げていた。借入金はなく、着実に健全経営を心がけていて、とりわけ衣料品のマネージメントにおいては群を抜いていた。総合スーパーでは、衣料品を制するものが純利益を稼ぐとまで言われていた。最も粗利益率が高いのが衣料品で、最も在庫を抱えて損失を出すのも衣料品だったからだ。衣料品は画一的な販売が通用しない分野だ。バイイング(仕入れ)の能力と適切な商品構成がきめ細かく要求される。

 ダイエーの衣料品は、ヨーカ堂だけでなく、当時のニチイ、ジャスコにも遅れをとっていたことは消費者の目に明白で、むろん販売する側の店の従業員もわかっていた。でも、ダイエー中枢は強権政治そのものだった。上意下達、意見をはさめば左遷がおちだった。だから、売れ残ったものを無理やり取引先に返品をした。売れ残りを返されて、どうにもならなくなった商品を抱えて倒産した取引先が数え切れないほどに存在する。ひどいことには、売り場に一度も出さずして、返品していた事例は山ほどある。

 いつかしら、有力な取引先は優先順位を考えていった。仕入れ価格にも売り筋商品においても、自前できれいさっぱり売り切ってくれる上得意先を決めていた。いい物を安く優先的にまわすのは、返品をしない先で、イトーヨーカ堂は取引先と厚い信頼関係を構築していった。しかして、ダイエーは取引先に信頼を失い、売れない自社ブランド製造に奔走していく。

 衣食住を問わず、ダイエーのバイヤーの幾人かは、メーカーから展示会などで袖の下を受け取るようになった。新商品を定番として採用するという条件の下に。ダイエーの社員は、概して労働時間のわりに待遇が悪かった。締めつけられていた。だから、自分たちだけうまくやろうと考えた。

 ダイエーに対する消費者の不満は山ほどある。先だって、ダイエーが退店した栃木県の石橋店に、イトーヨーカ堂系列のヨークベニマルが再出店した。三月の売り上げは、ダイエーの前年比より二十パーセントふえ、顧客はダイエーが去り、ヨークベニマルが来てくれたことを素直に喜んでいる。ダイエーとイトーヨーカ堂、両者はいったいどこがちがうのか。経済産業省は小売業、流通業というものを実際にわかりもせず、ただただダイエーの経営陣に国民の税金を預け、希望的観測で援助をしている。十数年駄目だった連中、負け戦がしみついてしまった連中に下駄を預けず、なぜ、イトーヨーカ堂という先生に教えを乞おうとさせないのだろう。なぜ、ヨーカ堂の傘下に入れてもらえるように頼み込まないのだろう。国税はいつもばらまきで、無駄づかいばっかりのようである。

 バブル期、福岡ドームやホテルなど、福岡三事業に6000億円の金がつぎ込まれている。中内氏の野望、もしくは道楽のようなものである。未だ次男の正氏がオーナーとして存在している。以前の報道によれば、ホークスの株式を父親から一株たったの一円、およそ五十万円で買ったようである。こんなことは氷山の一角、国家の財政が危機に瀕しているとき、実にふざけたことは津々浦々にまで存在している。
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横浜銀行
 横浜ベイスターズがセントラルリーグの借財を一身に背負っている。たいていが僅差で負けるからいいゲームをしているようだが、決まって終盤で引導を渡されるのは弱い証拠。このままの状態が続けば、100敗は堅く、ひょっとしてプロ野球負け越し新記録を樹立しそうなていたらくである。さすがのファンもあきれかけてきて、負けて当たりまえ、リードしていてもそのうち逆転される、たまたま勝てば偶然という心境になっている。僕のほうはといえば、新監督の山下大輔には気の毒だが、開き直って、全部負けてしまえ! と実際に願うほどである。港町、東の横浜、西の神戸、セとパ、ともにファンの球場離れはいかんともしがたい。

 1998〜2000年の監督、権藤博ののびのび野球を誰かが悪いほうへ錯覚をした。もっと戦略を練り、こまごまと作戦を尽くせば、常勝球団をとでも思ったのであろう。思えば、三顧の礼をもってして迎えた監督が、これまで悲願達成をかなえてくれただろうか? 三年前、策士、森が来てチームは滅茶苦茶になった。面倒で不向きな理論を遂行させようとするから、選手が萎縮をしはじめた。スポーツは天衣無縫、豪放磊落、プロスポーツならではの醍醐味を観客に見せることができなければ、なんの値打ちもない。1998年の奔放な戦いでの優勝は、アマチュアのものではない、プロスポーツとしての原点に立ったものだった。

 いったん壊れたものを元にもどすことは至難の業だ。タイガースの低迷が10年ほどに続いたことを考えれば、1998年まで38年間優勝ができなかったチームにおいては自明の理だった。佐々木とローズという投打の要が去った時点で、新たなヒーローが出現するまで優勝は無理だっただろう。でも、権藤ののびのび野球でなら、今ほどによわっちくはなっていなかったと僕は思う。彼の監督最後の年は、佐々木がメジャーへ去った翌年なのだが、打って打って打ちまくってAクラスを確保したのだった。そうして、森が迎えられてから、選手はプレイするのにとてもナーバスになってしまった。こせこせして、絶えず負けないかとビビッて、ちびって、勝利の女神から見放されている。セントラルリーグ、横浜銀行大盤振舞いの2003年である。

 昨年、マルハは球団株をTBSに売って正解だった。超弱小球団を手放して、120億円あまりのキャッシュを手にしたわけだから。

 ちなみに今月初めの経済ニュースでは、本物の横浜銀行は公的資金2200億円を2005年度までに全額返済するそうだ。金融不安を増長させているメガバンクとは、実に大きなちがいである。

 PS 関係ないけど、松浪健四郎、早く辞めろ! 見ているだけで不愉快だ。彼のような人物は、大阪の恥、日本の恥だ。ちょんまげ切り落として、どこかへ消えろ!
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停電の夜に
 臨時の措置、と通知には書いてあった。五日間だけ、午後八時から一時間の停電になるという。天候が落ちついてきたので、吹雪でやられた箇所の復旧作業をするらしい。停電といっても、この道筋だけのことで、静かな並木道になっていて、ちょっと歩けばレンガの店先が何軒か並び、市電の停留所もある。夫婦が暮らして三年になる。

 上記の書き出しではじまる日本語版表題作、第一篇「停電の夜に」は、ロンドン生まれのインド人女性、ジュンパ・ラヒリの魅力的な短篇である。昨年の六月、九篇からなる単行本として上梓されたものだ。第三篇目の「病気の通訳」は昨年度の『ベスト・アメリカン・ショート・ストーリーズ』に収められている。「停電の夜に」はミラ・ナイール監督が映画化する予定だという。

 三十路に入ったばかりの二人に倦怠期が訪れていた。心のなかには隙間風が吹いていて、修復できないようなすれちがいがあった。停電の夜、電気の消えた闇の中で、妻ショーバがある提案をする。お互いが出逢ってから打ち明けずにいたこと、黙っていたことを告白しあうのだ。二人にはなぜか新鮮なことだった。たった一時間の停電の時間、それが二人の関係を回復させるかにある。話の後で、遠ざかっていた肌の悦びを思い出し、夫婦という関係の機微をとりもどしたかにもある。五日目、停電が一日早く終了したことを知り、夫シュクマールは落胆を隠せない。でも、妻は電気をつけず、同じようにろうそくだけで食事をしようと言った。シュクマールはそれで夫婦の危機は去ったと思った。

 でも、隠し事は残っていた。ショーバの激白にやり返すシュクマール、ラストの二ページは、ありきたりの予想をたくみに裏切って、鮮烈な心象をもたらしていく。

 シュクマールは立ち上がり、二人の皿を重ねて流しへ持っていったが、水道をひねることもなく窓の外を見た。まだ暖かさの残る宵で、腕を組むブラッドフォード夫妻が歩いていた。この夫婦を見ていたら、うしろの部屋が急に暗くなった。振り向けば、ショーバが電気を消したのだった。彼女はテーブルにもどった。ひと呼吸おいてシュクマールも座った。二人で泣いた。知ってしまったことに泣けた。
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トロン・プロジェクト
 誰にでも使えるOS(基本ソフト)、トロンを開発し続ける男たち、彼らの飽くなき挑戦が、日本復活の鍵を握る。ここ数年、飛躍的な伸びを記録したi-MODE に代表される移動体通信、携帯ソフトはトロンによって開発されたものだ。1989年、日米貿易摩擦によるアメリカのごり押しによって、いったん挫折しかかったプロジェクトチームが、よみがえり、今さらに発展を遂げようとしている。
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白紙投票
 第十五回統一地方選挙、県会議員選挙では、やはりいつものように白紙投票をした。国会議員以下、県議会議員、市議会議員などに対して、やたら議員の数が多いのに異議申し立てのようなものである。アメリカなどの諸外国と比べて、およそ三〜五倍は存在する無駄なセンセイの数に最も税の無駄づかいを感じる次第である。二束のわらじで、プロレスや野球解説や漫才しながら、国のため地方のため誠心誠意、必死で働けるはずがないからだ。そんな人たちを面白おかしく選ぶ国民については、今、日本がおかれている状況に、故人や他国に一億総能天気と揶揄されてもしかたない。

 地方中小都市の場合、市長と県会議員の俸給は同じような額である。が、仕事の忙しさにかけては著しい差がある。ずいぶんと市長のほうが激務であり、拘束される時間が多い。それに反比例して、肩で風切る仕草は、もっぱら、概して県会議員のほうが上を行っている。汚職でもせぬ限り、たいてい批判の矢面に立つのは知事であり、市長のほうである。

 とりわけ市会議員については、極端な言い方をすれば月給泥棒まがいのものがいる。四年間、議会で一度も質疑応答もせず、ただ椅子に座っていただけの人物の名前を耳にすると、あながち月給泥棒という表現も名誉毀損には当たるまい。ま、それでも役職を利用して、公共事業を自らが関与する企業に取り込もうと奔走する連中よりはましかもしれないが。市議会などは、市長をとりかこんで、地区の代表として選ばれたボランティアと市の中心職員で運営すれば、事足りるのではないかと僕は思う。予算は使い切るものではなく、できるだけ節約して内部留保に努めること、常に地方税負担の軽減を図ろうとする意識がないといけない。いつの間にか、地方の事業は、一時しのぎのばらまき救済をもっとうとするようになってしまった。

 選挙公約に中小企業活性化を唱える候補者が多い。高齢化社会や医療制度改革など福祉充実を訴える候補者も多い。まず、中小企業についての公約についてだが、一般的な彼らの考えでは絶対に果たせない。メイド・イン・ジャパンの商品が年々減少し、メイド・イン・チャイナの商品がふえている状況下で、どうやって中小企業が生きのびることができるというのだろう。日本の国民生活が、月収三万円でまかなえるなら人口大国中国に対抗できるだろう。いつも彼らの中小企業対策は小手先ばかりで、そんなことをしている間に年々中小企業の数は減少している。日本が高度成長できたのは、メイド・イン・ジャパン製品が世界中で売れていたからで、日本国内ででもジャパン製品が減少している現状を鑑みれば、不況、物あまり、単価下落、デフレは自明の理というものだ。大手企業は国内の中小企業に見切りをつけ、コストの安い製品を作るため、中国を中心としたアジア諸国に生産拠点を続々と作ってきた。

 ソニーの停滞によって、先日電子機器メーカで時価総額国内ナンバーワンに躍り出たキャノンは、すでに17年前にあのヒット商品『オートボーイ』を台湾で生産していた。日本が地価高騰、株価暴騰で沸いていたころから着々と礎を築いていたわけだ。独自の開発力を持たない、中小企業が以前のように復活できるとしたなら、ガソリンなど輸入品が値上がりはするが、為替が一ドル200円を以上の円安になることか。欧米に比べて人口が多い日本は、やはり物を作って売ることが必須だからだ。でも、時代の流れは速いから在庫を抱えることは許されない。

 国の予算、歳入が歳出を四割下回る状況下で、国債を発行し続ける日本にアルゼンチン現象、通貨危機が起こらないという保証はない。外貨準備高が西ドイツを抜いて世界一になったのは、15年前のことだった。そのとき、日本はアメリカに次ぐ第二番目の格付けだった。光陰矢のごとし、ついに日本は先進七カ国の最下位の地位を揺るぎないものとし、資源なき国家として世界的な格付けは第二十六位、凋落の一途だ。去年一年間で、郵便貯金の七兆円ほどがアメリカドルへと逃避したと聞く。銀行預金もふえるはずはなく、経営不安が継続するメガバンクからは、法人、個人を問わず、続々と資金がアメリカドル、ユーロ、豪ドル、カナダドルへとシフトされている。資源国オーストラリアは、今年度より国債の発行の必要がなくなった。それはオーストラリアの財務が健全だからでもあるが、ジャパンマネーの流入が寄与しているという話もある。オーストラリアだと預金利息が五パーセントほどあり、つぶれそうな日本の銀行で貯金しているよりもずっと条件がいいからだ。

 あと十年ほどすれば、戦後の高度成長を支えてきた団塊の世代が年金受給者となる。が、このままでは、そのときすでに国家に支給能力はなく、紙くずを刷り続けてごまかすか、人口構成比が半数となった労働者(若者)に、賃金の半分ほどを納税させるかしか方法はない。平地が少なく、人口密度が高く、食料の自給自足ができなくなった現在、高齢化と少子化のバランスがほどよくとれる時代まで、年金受給者と労働者人口のバランスがほどよくとれる時代まで、日本人は我慢に我慢を重ね、高望みをせず、慎ましさをよきとする暮らしが、早晩必要になってくるだろう。

 こうして考えてみると、人の世は常に不平等で、貧富の差は広がるばかりだ。富めるものの富み方が極端すぎる。でも、人はそんなことに文句は言わず、近くにいる他人が自分より少しだけ優雅なことに我慢できない。誰も彼も小市民的で、目先のことばかりにとらわれている。僕は自分の生まれたときを振り返って、今よりもう少し、いやかなり質素にできるのではないかと思ったりする。物質的豊かさだけを求めまい、我々はもう少し謙虚になって、金、金、金と言わずにすむ生活を心がけよう。

 僕の白紙投票には、不要な税の無駄遣いをいい加減に止してほしいという願いがある。もちろん、ろくな政治家がいないということでもある。概して、政治家と役人とエリートぶった銀行マンは、世界的視野で判断されると、自分勝手で馬鹿である。
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しおさいの詩
三島由紀夫の『潮騒』の舞台、歌島。
それは作者がつけた架空の名前。
目の前に見える島は神島という。

このあまく切ない小説を読んだ時代、
東大出のエリート銀行マン、
小椋佳がこんな歌を歌っていた。

しおさいの詩

しおさいの浜の岩陰に立って
しおさいの砂に涙を捨てて
おもいきり呼んでみたい
果てしない海へ
消えた僕の若い力
呼んでみたい

青春の夢に憧れもせずに
青春の光を追いかけもせずに
流れて行った時よ
果てしない海へ
消えた僕の若い力
呼んでみたい

恋でもいい何でもいい
ほかのすべてを捨てられる
激しいものが欲しかった

しおさいの詩MIDI
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こころの繰言
 うまくいかないとき、思ったとおりにならないとき、ミスを犯したときなどに人は繰言を言う。人に愚痴を言いたくなる。聞いてもらいたくなる。それが積み重なってくると、誰かに八つ当たりをしたり、落ち込んでしまってうつ状態になったりする。

 ぼくは、たいてい年に二、三度どうしようもないミスをして、それはすべて自己責任のミスだから、自分自身に向かって何度も愚痴を言い続ける。でも、覆水盆に返らず、やってしまったことは絶対元には戻らない。好事魔多しというが、だいたい調子に乗っているときほど、ミスを犯す確率が高いものだ。

 で、この五日ばかり、ぼくは繰言を言っていた。他人に言うと迷惑になるので、内なる繰言だが、自分だけで自分をいじめていると、これがなかなかけっこうつらいものなってくる。といって、ここをしばらく休んでいたことには、あまり関係がない。長いつきあいのみなさんはご存知だと思うが、このサイトを開設以来、こんなにも長く休んだことはないからだ。似たような状況はこれまで何度もあったし、ここで戯れることで逆に気分を晴らしてもいた。ま、今回の休憩は、ぼくの繰言とは関係なく、ネットに対する長期休暇だったと思って欲しい。

 気分が落ち込んでいると、やはり好きなゴルフでもあまり楽しくないし、決していいプレイはできないものだ。きのうの日曜日は天気は最高、調子は最悪という、いつもの横浜ベイスターズもしくはケチックス・ブルーウィヴのゲームのようなものだった。握りで負けなかったことについては、いつもの執念というよりは、相手がよわっちすぎたからだろう。

 カントリークラブのクラブハウス内でのことである。プレイを終え、湯の中で疲れをとり、いつものように握りの上がりで会食を楽しんでいた。そのとき、二つ向こうのテーブルでは、R夫妻が友人たち四人で談笑をしているのに気がついた。R夫妻は、夫人のほうが腕前が良くて、一昨年あたりは、Bクラスだが、月例杯で三度優勝をしていた。とても仲のいい夫婦で、ご主人はいつも笑いながら「かかあ天下」を自認している。その日もいつもと変わらず、夫妻がいるテーブルはとても和やかだった。

 お互い息子が少年野球をやっていた関係で、ぼくと夫人は声をかけあえる知人でもある。女性とは思えないほどのさっぱりとした性格で、少々男勝りの感はあるが、気立てのいい人だった。年齢はぼくより五つほど上で、そのことがよけい遠慮なく物を言いあえる近親感をもたらしてくれていたのかもしれない。長男が、NTT杯で「ちびっ子甲子園」へ出場したずっとずっと昔の記憶・・・・・。

 来場客のほとんどが帰り、ひっそりとしはじめた夕暮れに、車のトランクにキャディーバッグを詰め込んでいるとき、夫人から声をかけられた。

 「お宅の事務所に高額療養費の用紙あるかしら? あったらいただきたいんだけど」

 「ありますけど、どなたかお悪いんですか?」

 「わたしよ」

 「えっ? なんで?」 何のことかよくわからなかった。

 「あしたから入院するの」 夫人は何事もないことかのように、いとも簡単にそういった。冗談でしょうと言いそうになったものの、冗談を言っているふうでは全くなかった。

 「今日でゴルフは仕納めかもしれないわ、たぶん」

 「・・・・・」

 「大腸ガンが再発したんよ。あさってまた手術なの」

 そういえば、去年の秋くらいからゴルフのスコアが悪くなっていた。たぶん、あのころから体調が悪くなっていたんだろうと、そのとき思った。彼女が最初の手術をしたのは、息子が卒業して以来出会わなくなっていた数年間。その後、ぼくが再会するにいたる、夫婦揃ってカントリークラブのメンバーになったのは、心身のリハビリのため、ご主人の愛情と夫人の生きようとする力だった。

 ご主人が車がやってきたとき、ぼくはさよならを言ってアクセルを踏んだ。途方もない闘病生活に入る前日、ゴルフを楽しもうとする気丈さ、こともなげに『ガンが再発した』といえる気丈さ、わずかに『今日が最後のゴルフかも』と憂いを漂わせたけれど、やっぱり彼女は人並みならない気丈さで、他人のぼくに手を振った。

 ぼくはガンを宣告されて、にこやかにゴルフができるだろうか? 入院の前日、やせ我慢でもゴルフができるだろうか? それも治癒したと思っていたはずの二度目の宣告で―。

 それから自分の繰言がいやになった。家族共々健康で、夜逃げ寸前の状態でもないくせして、何を些細なミスで愚痴る必要があるのだろう。浮かぬ顔をしていれば、しんどそうにしていれば、かみさんだって感づくだろう。そして、何かを気に病み、気を遣わずにはいられまい。ぼくに彼女の気丈さはない。ガンになればへこたれるだろう。でも、ガンじゃない。ひどい借金があるわけでもない。今、何を落ち込む必要があるというんだろう。

 天高く、さわやかな秋風が吹くころ、クラブハウスで、R夫妻の和やかな光景がきっと見られる、とぼくは願う。今度も彼女は負けたりなんかしない、とぼくは思う。
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