お百度参り
 映画「大河の一滴」の雪の金沢でのワンシーンである。三國連太郎演じる、主人公雪子の父親、小椋伸一郎が余命数ヶ月の末期癌に侵されていた。お百度参りをしていたのは、倍賞美津子演じるその妻、麻梨江。99.9パーセント死を間近に覚悟しながら、ほんのかすかな希望にすがりつくようなもの・・・・・祈り。当人が運命(死)を受け入れようとしているのに、その運命を拒絶させる愛。

 映画自体はたいした作品ではない。また、作品の論評をしようとしているわけでもない。そのワンシーンから、冷たい冬の中のお百度参りという記憶が、遠い彼方から戻ってきたのだ。今は亡き母が、凍えるような毎晩毎晩に出かけていたこと、それはお百度参りだったのではないかと、幼少のころの記憶がささやきかける。

 母は殴られても、傷ついても、ひどく裏切られても、あのころは父を愛していたのではないか。そう思えてならなくなってきた。早朝から夜まで一日中働き、深夜には父の事業の成功のために祈りを捧げていた。いや、二人の成功でもあったのだろう。

 あの祈りは何だったのだろうか? 母の晩年にとって、決して報われたものだとは思えない。若気の至りであんなことができるだろうか? すでに僕の年齢はあのときの母のそれを超えていて、僕は祈りのためにお百度を踏むだろうかと考えた。妻のため、子供のために―。僕は親族の中でもきわめて現実主義者的な隅っこにうっちゃられていて、偶像崇拝をしないというよりは罰当たりな存在としての位置にいる。

 そう思えば、母はよく僕の不信心さを嘆いていた。家の神棚に手は合わさないし、交通安全祈願には行かないし、と悔やんでいたものだった。極めつけは、至極渋々成田さんの豆まきに年男として壇上に上らされたとき、ええい面倒だと、ダンボールを逆さに、一挙に真下にばらまいて、群集からひどくやじられたことだった。ふん、知るかいと裃をひるがえして、壇上から一人去っていると、近所の野球少年からピースの合図。「おっちゃんかっこいい」の子供たちの声。むろんうちの長男がいたことは言うまでもない。で、それから母は僕をいかなる祭りの席へも呼ぶことがなくなった。

 突如、あの映画を見て、母の祈りがわかってきたような気がする。貧しく生まれ、父と兄を戦争でなくし、母と弟だけで細々と育ってきた、生きることへの祈り。四人の子供を育てなくてはならないという、切羽詰った祈り。生涯を賭けた人へのすがるような切なる祈り。母には祈りだらけの人生だった。そうして、お金の使い道すら知らずに逝ってしまった。

 かあちゃん、あれはお百度だったんだろう? やってよかったと思ってるかい? おかげで親父はまだまだ元気だよ。