2001年07月の記事


さよなら
「もしもし」

「わたしよ、きのう留守電に入れてたんだけどね、それじゃ さよなら」

「えっ?」

僕が言葉を発する前に携帯は切れていた。
僕の携帯に留守電機能はつけていない。
だが、知らない人の着信履歴が残っていた。
さよならは歯切れのいい声だった。
爽やかな意を決したようなふうだった。

別れを言うような相手なら番号登録がしてあって、
かけまちがうはずはないと思うのだが・・・・・。

着信履歴にコールをしてみようかと思った。
「どなたにおかけだったんですか?」
でも、やめた。

知らない人にさよならっていわれるのもまたいいもんだ。
あれはきっと三十代半ばの女性だろう。
あと三回着信が入ってくると、
彼女の番号は消えてしまう。

今のうちに僕のほうからも言っとこう。

さよなら 知らないあなた
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落選者
二院クラブの青島が落選したことはうれしいことの一つだ。
彼はなにもせず、いつも無責任を売り物にしてきた。
面白半分を好意的に見てくれる時代は終わった。
面白半分ではもうどうにもならなくなっているのだ。
人畜無害の人物もとどのつまりは有害なのだ。
汗も流さず、口先ばかりの人間に政治はまかせられない。

大橋巨泉も落ちて欲しかったが・・・・・。
名簿の一位では仕方ないか。

人を選ばせない比例区なんてやめてしまえ!
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選挙の日
先週の木曜日、ソニーが今期末決算において300億円の赤字転落予想を発表し、
金曜日、NECが大幅減益、富士通が2200億円の赤字転落予想を発表した。
今週の火曜日には松下電器産業の大幅減益発表が予想され、
続々とハイテク企業の業績下方修正が行なわれる見通しだ。
日本の代表的企業の21世紀の幕開けは非常に厳しいものとなっている。

富士通では従業員を数千人規模で削減するほか、
工場売却や生産設備の廃棄などを今年9月までに実施するという。

日本の高度成長はハイテク企業を中心とした輸出によるところが大きかった。
今やそれらは急速に中国にとってかわられ、
日本のシェア後退が目立ってきた。

人件費を含めた生産コストが日本の20パーセントほどなのだから、
それはしかたのないことなのかもしれない。
日本は絶え間なく、他国に真似ができない世界的ブランドを構築していくほかはない。

地方公務員は年金支給が65歳になるのに合わせて、65歳定年延長を決定している。

若者の働く場が失われつつある。
失業者の増大は国家の浮沈に関わることだ。

企業は生き残るためにリストラを断行しているというのに、
サラリーマンは日々リストラに脅えているというのに、
行政は相変わらず親方日の丸で、一向に自努力で改革をしようとはしない。
税金を払うことは、彼らのふところを温めているように見えてあほらしい。

このままでは国の税収は減っていき、逆に歳出は減らそうとする気配すらない。
日本は一時のイタリア病と言われるほどに借金大国なってしまった。
国債という紙を際限なく刷って、国民に借金を続けている。

1990年代に消費者金融が数多く上場し、
毎年最高益を更新しているのは皮肉な限りだ。

構造改革を絶対にやらなければ、日本が駄目になることは目に見えている。
前ばかり向いて進んでいた時代は20世紀末に終焉を告げ、
新たな国家の歩みをはじめる時代にはいってきている。
改革が改悪でなく、それにともなう痛みが官民一体となることを祈っている。

改革の旋風よ吹いてくれ!
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日本マクドナルド
子供たちの評価は大正解だった。

1998年、セガサターンは駄目だよ
1999年、ヒットショップは全然駄目

いずれの企業もその翌年惨憺たる凋落に陥った。

セガエンタープライゼスは親会社CSKの屋台骨を揺るがすような赤字転落。
当時社長だった、故大川功氏の私財提供で再建を図ることになった。

光通信は2000年2月、50円額面の株式としては史上最高の24万1千円をつけた。
いわゆるネットバブルというやつである。
現在は赤字に転落し株価は高値から1000分の6,1500円ほどに低迷している。
最低単位の100株2400万円が、今はたったの15万円だということだ。
携帯電話事業を中国に進出させて、
膨大な利益を生む企業になるのだと流布していたのはどこの誰だったのだろうか?
信用取引の追証で全財産を失った人がいる。
自殺者が数十人はでているということである。

 
おい、おまえらマックの食事券いるか?
マックなんてい〜らない。
じゃあ、やめとこう。

7月26日、日本マクドナルド社が上場した。
公募4300円に、4700円の初値がつき
27日には5000円まで上昇した。

ああ、今年はなんてついていないんだろう。
ずいぶんの数をとろうと思えばとれたものを・・・・・。
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映画 (ビデオ)
連続して借りると半額になるビデオレンタル、
調子に乗って連続しすぎた。
TUTAYA CLUBの罠にはまってしまっていた。

なかなかいい映画にはお目にかかれない。
頭がボケたのかいちど見たやつを知らずに借りることが何度かあって、
最近はレンタルするときに疑心暗鬼になっている。

いい映画は忘却はしない。
解説を読みながらのレンタルは外れが多すぎる。
僕が見逃しているいい映画はもう残っていないのだろうか。
誰かいい映画があったら教えてください。

それまで当分ビデオは借りない。
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ICHIRO
僕は野茂や佐々木ほどに彼が好きじゃない。

ここ数年の彼には驕りを感じてしかたがなかった。
アナウンサーの質問には愚問が多かったのは事実だが、
ヒーローインタビューに答える彼の姿勢にはよく失望させられた。
彼は腹の底でこんなふうに言っていたように思った。
「馬鹿なことばかり聞くなよ。あたりまえのことばかり聞くなよ。いい加減にしろよ」
白々しい彼の受け答えが球場にこだましていた。

シアトルでは日本人記者にはそっけないことで評判だ。
彼は自分の努力でメジャーリーガーとなったのだろうが、
日本のファン、日本のメディアがどれだけ彼を声援してきたことだろう。

僕はメジャーリーグのバットマンレースには興味はない。

野茂英雄の凛々しい勇姿、
長谷川茂利の爽快な投球、
佐々木主浩がベイスターズ時代から発する大魔人のオーラ、
彼らは渡米したときみな孤高の男だった。
新庄の明るさは、彼よりファンを魅了している。

野茂英雄のメジャーリーグ挑戦の理由については語るまい。
それを語るまでもなくICHIROは野茂には及ばない。

ICHIROよ、実力におごるなかれ。
今のきみはあの伊良部となんら遜色はないのだ。
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衆道 (しゅうどう)
映画「御法度」で
ビートたけしふんする土方歳三の言葉が最後まで聞きとれなかった。
意味が男色だということはわかっていた。

邦画はボリュームを上げないと聞きとれない場面がよくある。
大きな声で話すときは聞こえすぎるが、
ぼそぼそとものを言うときは聞こえにくい。
まるで深夜の番組とコマーシャルの相関関係のようなのだ。

たぶん発声練習ができていない役者が多いのだ。
にわか役者では舞台には決して立てない。
バラエティータレントは掃いて捨てるほどいても、
芸を演じられる役者は少ない。
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盛田幸妃
1988年横浜大洋ホエールズに函館有斗高校からドラフト一位で入団。
大魔人佐々木主浩のセットアッパーとして活躍する。
当時ドラゴンズの主砲、落合博満が最も苦手にしたピッチャーだった。
1992年には14勝をあげ、セントラルリーグの最優秀防御率のタイトルを獲得する。

1996年、シーズン終了後、近鉄バッファローズへ移籍。
翌1997年シーズン途中で脳腫瘍に倒れる。
手術後、右半身の麻痺が残った。
現役への復活は絶望視されていた。
だが、昨年奇跡のカムバックをし、
今年は首位近鉄の中継ぎとして活躍、
見事オールスターゲーム出場を果たす。

オールスター二日目、今日は懐かしの横浜スタジアムで登板をした。
彼は五年前、二男を小児癌で亡くしている。
まだ右足には痺れが続いている。

愛児の死に悲痛の叫びを続けた日々、
死を望みつづけた日々、
絶望に苛まれた日々、
苦痛のリハビリを続けた日々、
今夜、そんな彼に多くのファンが立ち上がって声援を送った。

僕にはいつもつまらないオールスターゲームだったが、
今夜は素晴らしいオールスターゲームだった。
彼を選んだファンの、日本人の心はまだまだ捨てたものじゃない。

けれど、彼はお情けで選ばれたんじゃない。
それが最も彼にとって大切なことなんだ。

どうやら僕は、歳をとって涙もろくなっているようだ。
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ドラマ 白線流し
 この月曜日、十年ぶりに高校時代の親友に会ったとき、十時間ほどの話しの半分は高校時代のことだった。友人は早稲田に入学し、そのまま東京にいついてしまった。だから、何度も何度も思い出したことを語りあった。

 僕は大学を卒業してから地元に帰っていたので、情報の発信源はいつも僕だった。その僕と十年も会わなかったのだから、積もる話は山ほどあった。

 火曜日の夜帰ってきて、楽しかった時間を思い出していると、まだまだ話し足りなかったことに気がついた。懐かしいことがいっぱい残っていた。

 昨年の二月に gaiax でページを開いてしばらくしたとき、ある人から888のキリバンの報告があった。僕はその人のページを訪ねた。そこで僕は「白線流し」という聞きなれない言葉に目がいった。よく読んでいると、「白線流し」というドラマについて、その人の情熱やら思い入れを感じてしまった。

 僕はそれがどんなものだろうと、ヤフーで検索をしてみた。僕が検索したのはドラマのほうではなく、岐阜県の本家の白線流しだった。僕はそれを読んで感じたことを、その人に伝えた。僕が感じたことは、青春というものは時代がちがいこそすれ、なんら僕たちのころと変わりはしないことだった。喜びも苦しみも悩みもわからないことも・・・・・。

 ある人とはリンク先であるChiakiyさんである。それから僕は白線同盟というものに加えていただいた。たぶん石川君もそうなのだろう。最近は連絡がないのが寂しい限りだが、彼女も忙しいのだろうと思っている。

 僕は休日の今日、「白線流し」のビデオを三巻見た。おそよ七時間あまり、初めはなかなかなじめなかったのだが、下の子供が「これお姉ちゃんがよく見ていた」と言った途端、徐々に面白くなっていた。自分の高校時代にオーバーラップするものが次々と見えてきたのである。

 東京の親友は寺の息子、ガールフレンドは天理教の娘、初恋の人は演劇部の才女、恋敵は東大に入学した現官僚、俳優になりたかった男は野球部で、初演は日活ポルノ映画、カバンにナイフを入れ、他校とけんかばかりしていた男は現脳神経外科医、プールのない水泳部で毎年インターハイに行っていた姉御のお龍さんと、仲間はいっぱいいた。

 いろいろな思い出がある。迷探偵が終わったので、しばらく休憩と思っていたのだが、どうやらドラマ「白線流し」に刺激を受けたようである。明日か明後日から時代錯誤の「白線流し」を書いてみたいと思っている。

 ドラマになるのか、脚本になるのか、それとも裏話になるのか、取っ掛かりだけで決まるだろう。アイデアは「白線流し」だが、タイトルはまだ考えていない。乞うご期待である。



 園子から渉への手紙
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The Open
全英オープンゴルフがもうすぐ始まる。
寝ないで見るか、ビデオに撮るか迷っている。
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体のサイクル
人間の体の日々のサイクルには蓄積ができない。

食べること、とりわけ眠ることが暇なときに蓄えておけたなら、
どれだけ生きていきやすいことだろう。

今日は東京での睡眠不足がたたって、
疲れが抜けきらない。
声がかすれて出ないのだ。

いや疲労だけは蓄積してくれるようである。
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再会
友人が新たに移ったマンションを訪れた。
およそ10年ぶりの再会だった。
家族みんなの歓迎を受けた。

昔から仲がよかっただけに
午後五時から午前三時まで話は尽きなかった。

以前と違っていたのは
友人の二人の子供たちが大きくなり
僕たちの話の席を離れようとしなかったことである。

僕たちの昔話に耳を傾けながら
目を輝かせて父親の青春時代に興味を抱いていた。

凛々しい青年になっていた。
いい親子だった。
いい家族だった。

帰りのタクシーの中で
高校時代というものが
僕にとってどれほど大切なものであったのかを
しみじみと感じてしまった。

東京に来てよかったと思った。

僕が友人宅での宿泊を辞して、
ホテルに帰ったのは午前四時である。

僕の旅にはいつもホテルは無用だ。
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明日から
東京に行ってきます。
十年ぶりに友人と会うのです。

そいつは無論男です。
NHKの朝の連続テレビ小説に出たこともあるし、
プロ野球のドラフト会議の司会をしたこともあります。

今はスポーツ新聞の競馬担当記者兼デスク。
いろいろと裏話を聞くのが楽しみです。

明日と明後日は更新は致しません。
迷探偵、来週には終わりますのでどうかよろしく。
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見たくないもの
たくさんたくさん机の上に積んである、
證券会社の取引報告書。

それからエクセル、
当分開きたくない。
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ひまわり
故夏目雅子の大好きだった花と映画。

わずか二週間の結婚生活、
第二次世界大戦のイタリア。
夫は戦争が終わっても帰ってこない。

夫を探してロシアの地まで足を運んだ妻、
その妻が見つけたものは、
美しいロシア人の妻と子供たちに囲まれ、
平和に暮らす夫の姿だった。

そこには見わたす限り咲き乱れるひまわりの花。
そのロシアの大地に、悲痛な愛と別離のドラマが繰り広げられる。

アントニオは逃げるようにイタリアへ帰ったジョヴァンナを追って、
ミラノを訪ねていくが、
すでに二人の心は離れていて、
アントニオは寂しくロシアに帰っていく。

切なくなると、この映画音楽を
いつもピアノで弾いていたという。
ロシアに咲くひまわりを想いうかべながら、
悲痛な愛と別離を想いうかべながら・・・・・。

夏目雅子が十七歳のとき、
母と見た忘れえぬ映画「ひまわり」

奇しくも今年の我が家の花壇は
ロシアひまわりで埋めつくされている。

あのロシアの大地には、はるか及ばないが、
あとひと月で花開く百本を超えるひまわりは
ヘンリー・マンシーニの切ない音楽を奏でてくれるだろう。
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色と欲
いくら紳士面していても
この二つにはかなわない。
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大魔人
全米のオールスターゲームのラストイニングを
三人でぴしゃりと締めくくった。
佐々木主浩の晴れ姿だ。

38年ぶりに優勝した
三年前の勇姿が思い浮かぶようだった。

佐々木とローズがいりゃあ、
少なくとも今年のベイは優勝争いをしているはずだ。

たった一人ずつの攻守の要、
リーダーがいるといないではこうも違うものなのか。

もう横浜スタジアムで
大魔人のピッチングを見ることはかなわない。
今はもう世界の頂点にいるのだから・・・・・。
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ニュー・シンドローム
眼がかすむ。
眼がパソコンの文字を拒否する。

書物は読める。
テレビも見られる。

パソコンの文字にだけ拒否反応をおこしている。
これはきっと新種の眼精疲労症候群だ。
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昼寝
昼寝をすると眠れないのはどういうわけだ。

ほんとうはしんどくて眠ってしまっていた。
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健忘症
名前を間違えていた。
柏木健吉が渡部健吉。
由香があずさ。

生かすのは渡部健吉と由香。
どうも疲れぎみか混乱している。

7月7日の40周年記念式典の出席を忘却していた。
壇上に上がるべき者のなかで、
唯一欠席だったそうな。

アピカホールまで歩いて3分のところに住んでいるというのに・・・・・。

今夜も休みます。
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やけついた
屋根が揺らいで見える、
ほんとうに暑い日だ。
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スキ
スキは好きでない人には見せないし、
好きな人には見せてしまう。

つまりそんなもの・・・・・。
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今日は暑かった
体から熱が抜けきらないようだ。
首筋が焼けて痛いし、
さすがに今日の暑さには参ってしまった。
今夜は寝苦しそうである。

だが、もっと熱くなっていることがある。
ルールを知らないやつに、
もしかして知っていてインチキしているやつに、
正しいルールを教えてやって、
マナーが悪いと言い返されてしまった。
僕はそのとき切れてしまった。
「じゃかましい!」

カントリークラブの札つきのインチキ野郎に
この僕がマナーを教えられるとは・・・・・。
マスター室ではHプロが笑っていた。
みんなが集まった風呂場では大笑いの酒の肴だった。
「やっぱり! あいついつもよくやるなあ。いやあ、今日はご苦労さん」

競技委員長に後でご苦労さんとご馳走してもらったが、
Y君とラウンドするんだったら
もう絶対カントリークラブには行かない。
僕は腹がたって熱くなっている。
最近は調子がよかっただけに、
今日は優勝のチャンスだったのだ。

何で今日、僕があいつの面倒を見なくてはならなかったんだ。
飛び入りだったせいもあるんだが、
悔やめるのは、あいつの顔を見たときキャンセルして、
家に帰るか隣のコースへでも行けばよかった。

カントリークラブでは
Y君が札つきのインチキ野郎だということは周知の事実だ。
キャディーさんや従業員たちにも有名なのだ。
Y君はいろいろな先輩たちから注意を受けても、
いつもそのとき限りである。

腹をたてるとプレーが楽しくなくなるので
みんなたいてい知らんぷりしているが、
放っておくもの考えものだ。
彼には仲間がひとりしかおらず、
競技では誰かが被害をこうむるのである。

心臓が強いのか、
まるっきりの阿呆なのかわからないが、
信じられないような人間である。

世の中にはときどき阿呆なインチキ野郎がいるものだが
Y君はその中のチンピラである。
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我が家では
我が家ではたいていが旧暦のままである。
端午の節句は六月五日、
七夕は八月七日というように。

過去の習慣に意固地になっているわけではない。
ただ、そうすごしてきたからそうしているだけだ。
何の不便もないし、昔を偲べていいと思っている。

けれど、僕はふるくさいしきたりや因習は大嫌いだ。
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数少ない読者の皆さん
今回の話は予定をずいぶんとオーバーして、
なかなか終了を見ることが出来ません。
初めのころ何を書いたのかしどろもどろでして、
きっと辻褄が合わないところが出てきていると案じています。

その点は後で何とか修正しますので、
後一週間ほどご辛抱ください。
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夏みかん
みかんは冬に食べるものだったが、
夏に冷蔵庫で冷やして食べるみかんほどおいしいものはない。
難点は値段が高いということである。
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水かけ論
言い分を言うと水かけ論になる。
言い分を聞くとこれもまた水かけ論になる。
だから、何も言わぬことである。
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訣別
いつかネットとは訣別をしなくてはと思っている。
ネットの世界は僕にとって想像の世界だったが、
想像の世界もまた現実の世界と同じように住みにくさがある。

知に働けばかどがたつ。
情にさおさせば流される。
意地を通せば窮屈だ。

こんな漱石の「草枕」の一節は現実だけのものと思っていた。

見えない世界もまた現実にはない面倒なことがある。
僕がワードと対峙できるようになったとき、
訣別の日はくるだろう・・・・・、
と思いながらこれを記す今宵。
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蝉しぐれ
 「文四郎さんの御子が私の子で、私の子供が文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか」
 いきなり、お福さまがそう言った。だが、顔はおだやかに微笑して、あり得たかも知れないその光景を夢みているように見えた。助左衛門も微笑した。そして、はっきりと言った。
 「それができなかったことを、それがし、生涯の悔いとしております」
 「ほんとうに?」
 「・・・・・・・」
 「うれしい。でも、きっとこういうふうに終わるのですね。この世に悔いを持たぬ人などいないでしょうから。はかない世の中・・・・・・・」
 お福さまの白い顔に放心の表情が現れた。見守っている助左衛門に、やがてお福さまは目をもどした。その目にわずかに生気が動いた。
 「江戸に行くまえの夜に、私が文四郎さんのお家をたずねたのをおぼえておられますか」
 「よくおぼえています」
 「私は江戸に行くのがいやで、あのときはおかあさまに、私を文四郎さんのお嫁にしてくださいと頼みに行ったのです」
 「・・・・・・・」
 「でも、とてもそんなことは言い出せませんでした。暗い道を、泣きながら家にもどったのを忘れることが出来ません」

 
 昨夜、読み終えた青年剣士、牧文四郎の青春の物語の終章の一部である。種別は時代小説であるが、心は現代に息づいている。唯一僕が少年時代にタイムトリップしたのは、秘剣村雨を会得した文四郎が刺客と対決する場面であった。僕はちゃんばら映画が大好きだったのである。
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ラブ・オブ・ザ・ゲーム
先ほどまでケビン・コスナー主演の野球映画を子供と見ていた。
野球を覚えるのには
まず野球の楽しさを知ることが大切だ。
半分ラブロマンスだったけれど、
ロマンスのよさもまた知っていても悪くはない。

ついでにヒロインのケリー・ブレストンはとてもきれいだった。
惚れっぽいところだけは似なくていいぞ。
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右手と左手
この時期になると右手と左手の色がちがってくる。
もちろん手の甲のほうだけれど、
両手を差し出すと明らかにちがって見える。
左手は小さくて色白く
手のひらの小指と薬指のつけ根のところに
ちょっとしたたこができている。
さてどうしてなのでしょう?
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親の責任
地区別対抗のソフトボール大会が7月15日から開催される。
四年生以上の大会なのだが、
人数が足りないと三年生の息子も参加させられることになった。

涼しくなった夕方、
まずキャッチボールから教えていた。
はじめはボールの投げ方、
次にグラブのさしだしかた、
そしてゆっくりとボールの投げっこをしていた。
なかなかうまくできてきた。
ちょっと力を入れて投げたとき、
ボールはグラブにかすりもせず、
右目直撃となった。

大声で泣き始めた。
目が痛いという。
僕たちは大慌てをした。
氷水で目を冷やし、
見えるか、見えるかと尋ねていた。

しばらくして大丈夫のようだった。
目はちゃんと見えるし、
痛くはなくなったといってくれた。
でも、可哀想に目のまわりは大きく赤く腫れ
パンダのようになってしまった。

長男は幼少のころから野球の相手をしてやったので、
小学生になったときには上級生たちと対等にやれた。
あのころは近所に子供たちがたくさんいて、
練習の機会も多くあった。

子供の目が腫れたのは僕の責任である。
小さいときからスポーツを教えてやらなかった僕の責任である。
たった一日で上手にしようとした僕の責任である。
あのころは若かったなどと言い訳はできない。
腰痛をもっているからと言い訳はできない。

いまは病院へ走らずにすんだだけでも幸いであると思っている。
来年からは参加できるように、
上手にできるようにしてやらなくてはならない。

子供は一生懸命だった。
だからすべては親の責任である。
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猛暑
体温より気温のほうが高く
そのときに吹く風ほど不快なものはない。

目の前には陽炎がたちこめ、
めくるめく太陽に眩暈さえ覚える。

僕の顔は一日にして色黒になってしまった。
そりゃあそうだ。
一日中、日焼けどめもつけず歩きつづけていたんだから。

調子はよかった。
残念ながら一打及ばずの準優勝だったけれどね。

この暑さで78ストロークは上出来だ。
オフシーズンのないマイゴルフライフ。
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蝉しぐれ
藤沢周平の時代小説である。

蝉しぐれとはいい言葉である。

牧文四郎はいい青年である。
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