2002年03月の記事


WOWOW
レンタルビデオを借りてきて、
返すのが面倒なので、
WOWOWに加入した。

一年払いを選択したので、
一ヶ月1800円、
ガソリン代や延滞金はいらないし、
録画しておけばいつでも見ることができる。

さあてどちらが得になるのか、
新作は当分見ないつもりである。

PS MIDIリンク集を追加しておいたので、お暇なときにごらんになって欲しい。
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Enya 2
MIDIリンク集の中ではエンヤのヒット数が一番多い。
エンヤは癒しのミュージックとも言われているが、
夜のしじまのHPで聴く音楽としては最適なのだろう。

エンヤ2をリンクしておいた。
エンヤがお好きなかたはリンク集のいちばん奥まで進んで欲しい。
検索したなかでは最も充実したサイトとなっている。
むろんMIDIはほとんど揃っている。

ちなみに私のコンテンツ、Galleryには
エンヤの「Evening Falls」が流れていることをご存知だろうか。
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日本列島改造論?
 日本の高度成長期に登場してきた政治家、田中角栄、歯に衣着せぬ発言とそのバイタリティ―あふれる行動力は、日本列島改造論の名のもと、日本の経済力を欧米にエコノミック・アニマルと震撼させるほどに誇示させるものとした。

 それは株価と地価の常識を超えた暴騰を招くこととなるが、とりわけ金融機関、不動産、建設業などは身の程をわきまえない過大投資に明け暮れることとなった。いわゆるバブル崩壊は1990年ごろより始まっていくのであるが、実際に身につまされてそのことを国民が感じていくのは、金融破綻が起こり始めた20世紀末からである。

 日本という国は、未だ田中角栄の呪縛から解き放たれていないといっても過言ではない。当の田中氏は、ロッキード疑惑で首相の座を追われ、バブル崩壊以前に故人となっているのだが、十数年を経ても不良債権が増える一方なのは、田中氏の唱えた繁栄という幻に引きずられてきたといってよいだろう。

 日本国の格付けは現在イタリアなみである。日本経済が繁栄を欲しいままにしていたころ、西欧での唯一の落ちこぼれがイタリアだった。イタリア人は怠け者で、勤勉でない象徴のように言われつづけていた。あと1ランク下げられれば、日本は東欧のハンガリーなみになってしまう。それほどに現在の日本は、世界の金融市場での評価が低いのだ。

 世界の金融市場で評価が低いということは、とりもなおさず企業の資金調達に支障が出てくる。経済がグルーバル化すればするほど、有利な資金調達ができない国の経済は、凋落を余儀なくされる。世界に名だたる日本の優良企業でさえも、現在は生き残りに必死である。そういうことで、優良ともよべない企業はいわんやである。

 かつて日本は、経済は一流、政治は二流といわれてきた。現在の日本は、経済は二流、政治は三流になりさがってしまった。

 国会中継で視聴率が上がるのは、スキャンダルがらみのことばかりである。与党改革を旗印に立ち上がって、途中で腰が砕けた自民党元幹事長加藤紘一氏の秘書脱税事件。外務省問題で離党した鈴木宗男氏、やめるとき一挙三両損などとうそぶいたが、次々と疑惑がもちあがってきて自身の進退問題となりつつある。田中真紀子氏と刺しちがえたつもりだろうが、そうは問屋がおろさなかった。

 その鈴木氏の証人喚問を行なった辻元清美氏が、「大嘘つき」と鈴木氏を罵った場面は、視聴者には痛快ではあったろうが、それにはまたしっぺ返しがついていた。当の辻元氏本人が、自分自身のことで大嘘をついてしまったのである。言い訳は子供みたいなもので、その表情には「誰か助けてください」と懇願しているようにも見えたものだ。どうにもしまらないことだらけだ。スポーツ新聞の一面に政治家が載るようになったらもうおしまいである。

 国会議員の年俸は約5000万円、一般庶民から見れば膨大な金額だろうが、事務所維持費や地元においている私設秘書など公費でまかなわれない部分を差し引くと、自分に残るものはさしたる金額にもならないはずである。さらに選挙のつど選挙資金というが必要となる。普通の政治家はまっとうにやっておれば、もうかるどころか日々の生活で精一杯だろう。だから、いろんなところからお金を工面しなくてはならなくなる。それが癒着だとかしがらみになってしまう。しかたなく、やりたくもない不正だってやってしまうのが人情だ。これは日本の政治の根本的な問題だ。例えば年俸を一億円にして議員を半分にしてしまうとか、首相を国民投票で選ぶとか、多くの改革が必要だろう。

 どうして田中真紀子が人気があるんだろう。不思議だと思う。あんなヒステリックなおばさんのどこがいいのだろうと。とりわけ中年女性に人気がある。彼女の言動を好むのは、日頃の鬱憤晴らしを、彼女が代行してくれているように錯覚しているのではないかと思えたりする。

 彼女が好き放題言えるのは、田中角栄の娘だからだともいえる。それは虎の威をかる狐の意味ではない。金銭的に何不自由ないからである。気の強さや歯に衣着せぬ発言は父親譲りだが、そのことは政治家として必要なことである。田中角栄は、私利私欲に走って膨大な富を築き上げた。その恩恵を十二分にこうむって現在の彼女がいる。清廉潔癖でいられるということは、政治の世界において本人の資質によるところが大きい。だが、金銭的に不自由がないということは、ダーティーなことに関わる可能性を最小限にとどめられるということでもある。金は魔物である。魔物の誘惑に負けて身の破滅を招いた人々がどれほどいることか。

 小泉首相の周りを見てみればよい。福田元総理の子息、安部晋太郎氏の子息など親の政治基盤と財産を引き継いだ二世議員がとりまいている。政治家など叩けば埃が出る人のほうが多いと思う。そう考えれば小泉純一郎氏はしたたかである。自らの周辺からはスキャンダルを未然に防ごうとした人事を行なっているとも言える。田中真紀子氏の常軌を逸した発言はよけいだったのだろうが。

 けなげにも見える辻元清美氏、捲土重来を願いたくもあるが、金の魔力に嘘を重ねたとあっては、潔くもとの市民運動にもどったほうが彼女のためになると私は思う。

 鈴木宗男氏及び加藤紘一氏も潔く自らを処すべきだ。彼らが永田町にとどまること自体が陳腐でもある。
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ロングドライブ
いにしえより伝わる恋路ヶ浜の悲恋の物語

ある高貴な男女が都を追われ
この地に移り住んだものの
やがて人々の知るところとなり
男と女は別離を余儀なくさせられた。

女がひとり住んだのが恋路ヶ浜
二人は報われぬ恋に身を焦がし
病床に伏しては死に至り
二人とも貝になってしまったという。


 ロングドライブの果てにはこのような郷愁。さんざめく潮騒が嘘のように静かに感じる空間。岩礁に白く砕ける荒々しい波濤はすぐ近くに見える。日出(ひい)の石門の上にある断崖には、島崎藤村の「名も知らぬ遠き島より流れよる椰子の実一つ・・・・・」の詩としても有名な「椰子の実」の記念碑が建っている。

 時折突風が吹く。砂浜が舞い、コンタクトの眼からは涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。岩陰でコンタクトを取り除くと、辺りがぼんやりとして霞の中にいるようになっている。それでも打ち寄せる波の彼方には神島が見える。遠きようで思いのほか近い。三島が名付けた架空の島、歌島、「潮騒」の舞台だ。

 白亜の灯台にあがり、そのロマンスの島を今度ははっきりと眺めてみる。だが、そんなものは波涛の向こうには何も感じられない。ロマンスは自分で創りだすものなのだ。後ろの海岸では、真っ白なかもめの大群が声を出して飛びかっていた。

 もういちど恋路ヶ浜に戻り、裸足になって砂の上を歩いてみる。たくさんの貝殻が落ちている。恋いこがれて死んだ二人は、この浜でいっしょに貝になれたのだろうかと思った。春の海はまだまだ冷たかった。

 遥かな遥かな南の島へひとりで行くときは船の旅がいい・・・・・
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お知らせ
ただいまより二泊三日の休養に出かけます。
潮騒の聞こえるところへ行ってきます。
日曜日の夜にはもどりますので、
何かお便りいただいておければ幸いです。
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Lathyrus odoratus
 スイートピー (マメ科)

 
 花色が豊富で芳香もあり、独特の花形に人気がある。栽培に多少手間がかかるため、従来は垣根にからませる程度だったが、最近では切花、花壇、鉢物用としても栽培されるようになってきた。花形、花色など園芸品種はかなり多い。

 原産地はイタリアのシチリア島。属名はギリシャの植物学の祖、テオフラストゥス(紀元前300年ごろ)が用いたエンドウの古代ギリシャ名による。また一説によれば、ギリシャ語のラー(はなはだしい)とトゥーロスからなり、この属のある種の植物が刺激剤と信じられたことによる。種小名は「香りのある」の意味。

 スイートピーの発展の歴史は、1650年、僧フランシス・クパニによってシチリア島で発見されたことにはじまる。その後、ヨーロッパ各地で交配改良が進み、1793年には白、紫、ピンクのほかに、黒や緋紅色の品種が現れた。また、絞り咲き、黄色花、青の縁取りなどの色変わりも作出された。

 1876年、スイートピーの父と称されるイギリスのH・エックフォードによって、色彩の改良に加えて花形の改良が行なわれた。従来、旗弁は翼弁より小さかったが、旗弁を大きくして、今日のスイートピーの基礎を作ったのである。1893年には、わい性のキューピッド系が作出されてヨーロッパに広まった。

 日本には、1862年に描かれた写生図が残っていて、そのころすでに栽培されていたとみられている。

 花言葉・・・・・・・よろこび
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MIDI リンクの追加
Aerosmith
KISS
U2
Sade
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山野草
 梅の花の香りが立ちそめるころから、春は思わせぶりに行きつ戻りつして、その歩みはまだるいばかりである。うららの春を待つ心には早春ばかりが長くて、陽春はあっという間に駆け抜けて初夏に移ってしまう。

 よく週末には、ゴルフがてらに山野を眺めるのだが、春の野山を歩いていて、ふと出会った花の群落ほど感動的なものはない。名も知らぬ花たちだが、小川のふちに、人影のない雑木林の近くに、咲いているまことに自然な色彩には胸を打たれるときがある。

 野鳥の声が聞こえてくる。うぐいすの声だけはわかる。この山野に、昔ながらの花たちに、いつまでも健やかでいて欲しいと思う。野生よ、飼いならされてはいけないと、願う心を禁じえない。しかし、また、山野に生きとし生けるものは、私が思うほど虚弱ではないと信じていたい。

 日々暖かくなる毎日だが、早春の花たちには驕りがない。ひっそりと咲く山野の花は、可憐で儚げに映る。しかし、これほどひたすらに前向きの自然の息吹を感じさせる草花は、ほかの季節よりも抜きんでて清々しい。



 春のやさしさを代表し、清らかなイメージをもつスミレは、古くから日本人に愛され、歌や句に詠まれてきた。『万葉集』でも山部赤人が「春の野にすみれ摘みにと来し我そ野をなつかしみ一夜(ひとよ)寝にける」と、去りがたかった野での仮寝の一夜を詠んでいる。

 スミレは一般にはスミレ属の総称で、日本には五十余種が生息する。花は紫色、白色、黄色がある。

 山路来て何やらゆかしすみれ草

   / 松尾芭蕉

 チューリップ好きと微笑む乙女見て君こそスミレ似合うと思う

  / 読み人知らず
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MIDI リンクの追加
リンク集の中でいちばんMIDIが好評なので、四点追加してみた。
ロック、ポップスがお好きなかたは、
ひまなとき見てもらえば幸いである。

ABBA
Bon Jovi
OASIS
Eric Clapton
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変換について
パソコンの弊害は、
ふだん使いもしない漢字変換をしてしまうことだろう。
ルビが打てないことも原因している。

言葉には自分らしさが必要である。
自分らしくない漢字は不要なのだと思う。

ホームページめぐりをしていると、
変換ミスはもちろんだが、
ときどき難しくて読めない漢字に出くわすときがある。
ときには、ひらがながいいのにな
と思うものまで漢字にしてしまっている。

正しい文字とか正しくない文字とか、
そういうことではなくて、
その文に似つかわしい文字を選ぶべきだと思う。

ちなみに僕はHPを作成しかけてから
国語辞典が片時も離せなくなった。
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為政者の名前
所詮世間はこんな程度

市長の名前?  知らない
県知事の名前? 知らない
前外務大臣?  田中真紀子
現外務大臣?  川口なんとか
総理大臣?   小泉純一郎
ほかには?   鈴木宗男!

鈴木宗男ってそんなに有名なの?

学校ではみんな知ってるよ。ムネオハウス作ったり、顔面パンチやキックをした衆議院議員やろ。めちゃ有名やで。それから吉本の坂田利夫いうのとそっくりやと、六年生のS君が言うてた。

なんでやねん?

僕はよう知らんけど、アホなんと顔がよう似とるらしい。その子がおとうちゃんに聞いた言うてた。

  / 小学三年生
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肩ごしの恋人
 賞と名のつくものをすぐに買って読むのは好きではないのだが、唯川 恵という作家のことを全然知らなかったので、敢えてそうしてみた。

 軽いタッチの作品だった。まるでコミックを読んでいるような感じの・・・・・。主人公の二人の女性は、幼児期からの親友だが、全くといっていいほど別な性格だ。萌はるり子に恋人をとられて結婚されても怒りもしない。萌はたまたまその披露宴で知りあった、るり子の不倫相手の男とラブホテルへ直行する。

 るり子は美貌を武器に男をとっかえひっかえ結婚するが、すぐに飽きてしまって離婚をする。結婚願望は人一倍なのだが、目的が達せられると、徐々に興ざめしていくようだ。

 萌は慎重で冷静な女だ。自分だけのものを失いたくない。自分の領域の深くにまで他人を入らせたくない。それが男と寝ることはあっても、その男に溺れまいとする要因だ。

 ラストシーン、萌が十五歳の少年の子供を宿して、少年には黙ったままで産もうとする姿は、私の琴線にいささかも触れはしない。そこには、作者の言葉があるだけであり、それをこともなげに読み終える自分がいるだけである。

 「夜が静かに更けてゆく。夜はいつだって、朝を連れてくる約束を果たす。だから、人は安心して眠りにつける。ふたりは再び歩き始めた」

 291ページ、作品としては最後の言葉だけで十分である。といって、つまらないとか楽しめなかったというわけではない。最初に言ったように、コミックを読むみたいにかる〜く楽しく読むことができた。とりわけ文ちゃんとリュウ、二人のホモセクシャルの登場は、なかなかに愉快だった。彼らとの歯切れのよい会話が、面白くもない男たちとのやりとりを補ってあまりある。だが、もう一度読む気にはなれない。

 
 ジャンルはちがうが、野坂昭如の「火垂るの墓」などと較べると、この直木賞なんて・・・・・・、と思わなくもない。賞は毎回必要ではないと思うのだが。
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涙雨
先ほどまで好天だったのに突如雨が降り出してきた。
今は亡くなった叔母のお骨拾いの時間だろう。
この雨を二人の娘と残された夫への涙雨と思いたい。

私はこの三年という間に、
肉親を二人亡くしている。
最初は弟で事故死だった。
病床にあった母はそれを知り、
生きる希望を失ってその四ヵ月後に果ててしまった。
いつまでも薄倖の人だった。

その翌年伯父が亡くなった。
将棋が大好きで、
県の将棋名人になったこともあり、
晩年は全七巻、3000ページになんなんとする
「将棋三国志」なる小説を自費出版した。
老人会のソフトボールに明け暮れる元気な人だったが、
急激な病には勝てなかった。

叔母は膠原病という難病と26年間戦いつづけていた。
死は彼女を病から解放し、
兄の待つ黄泉の国へと連れていってくれた。

世話をつづけていた次女のとめどない涙には心を打たれたが、
棺のなかでの叔母の表情は安らかだった。

そういえば、母も安らかな死顔だった。
長い闘病を余儀なくされてはいても、
お迎えが訪れたときにはほっとするのであろう。

雨がやんだ。
お骨は愛するものたちに拾われ、
四十九日が終わるまでは家族と共にいる。
自分だけに見える最後の現世の日々だ。

名残を惜しみながら、
黄泉の国へと旅立つ日まではあとしばらくだ。

叔母さん、どうか母によろしく。
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Crocus
 クロッカス (アヤメ科)

ダッチ・クロッカス[ビクトル・ユゴー]
 
 クロッカスといえば春の訪れを告げる花として、早春の花壇に咲く姿がまず連想されるが、さわやかな秋空の下、あるいは厳しい冬のさなかに咲く種も含まれる。約80種の存在が確認されており、サフランもその仲間である。主として地中海沿岸からトルコにかけて分布する。属名のクロクスは、ギリシャ語のクロコス(サフラン)あるいはクロケ(糸)に由来し、糸状の柱頭にちなんだものといわれる。

 クロッカスは地上に伸びる茎はなく、地下に短縮肥大した茎としての球茎がある。花は陽光を受けて温度が上昇すると開き、夕方あるいは曇って温度が下がると閉じる。耐寒性の強い植物で、花壇、鉢植え、水栽培に広く利用される。また、開花期が種によって異なり、秋から春にわたるが、大きく分けると秋咲き種と春咲き種になる。

 サフランは紀元前15世紀ごろ、すでにクレタ島で栽培されていたことが、同島の遺跡の壁画からうかがえる。柱頭部から香味料を得るために栽培されていたようである。また、旧約聖書のソロモンの雅歌にもサフランの名は見られる。

 サフランは、その柱頭部から取れる薬用成分が目的で栽培の歴史があるともいえる。通経、鎮痛、鎮静などの生薬として、また香味料や化粧品、食品の着色料などに用いられてきた。この柱頭部を採取するには、球茎を室内に並べておき、開花させる方法がとられている。土中に植えなくても咲く性質を巧みに利用しているわけである。この特徴は観賞用として、水栽培、あるいは水盤、浅鉢など適当な容器に水ゴケなどを敷き、その上に球茎を置いて育てるのにも生かされている。この場合は、花が終わったら地植えにして、球茎の肥大を図る。

花言葉 ・・・・・・・ののしってはならない。
黄色の花 ・・・・・・・私を信じなさい。
紫の花 ・・・・・・・私を愛したことをあなたは後悔しているでしょう。
空色の花 ・・・・・・・信じてはいるが、心配でならない
赤い花 ・・・・・・・愛されすぎて心配である。
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Viola x wittrockiana
  パンジー (スミレ科)


 柔らかい春の陽射しが当たるようになると、たとえ風は冷たくても、枯れ芝のなかのパンジーだけはきらきらと輝いて見える。あざやかな黄や白、澄んだライトブルー、ビロードを思わせる赤や紫。これらの花色で花壇を埋めつくし、春の訪れから終わりまで咲き続けるパンジーは、まさに春花壇の女王の名にふさわしい。

 パンジーは、三色スミレの名があるように、日本の山野で見られるスミレの仲間である。スミレ属は、世界中の温帯地方に400種以上も分布しており、さまざまな形態のものを含んでいる。日本には50種以上の自生種があり、スミレ王国の名が冠されることもあるが、園芸植物として改良され普及している種はない。

 ヨーロッパでは、バイオレット(ニオイスミレ)がギリシャ時代から栽培されているが、近世までは単なる野草としか見られていなかったようである。しかし、そのころでも、パンジーの基本種となったビオラ・トリコトルは、英名ではーツ・イーズ(心の平和)とよばれて親しまれていた。地面近くに咲く小さな花が、人々に心の安らぎを与えていたことがうかがわれる。パンジー pansy の名は、フランス語のパンセ(物思う)からきており、ひっそりと物思いにふけっているかのように見えるところからつけられた。

 パンジーの改良は、19世紀の初めにイギリスではじまった。ロンドンに住むT・トンプソンが、庭に生えていたビオラ・トリコトルに注目し、これに他の種を交配することによって、細長くて小さな花を、丸くて鮮やかな色彩をもった大きな花に作り変えていった。1830年代には、すでに数百種もの品種を生み出していたといわれ、トンプソンは「ハーツ・イーズの父」とよばれた。

 その後、改良は、オランダやフランスでも盛んに行なわれ、19世紀末にはフランスで黒いブロッチ(大きい斑)の入った品種が作り出された。

 20世紀に入ると、スイスやアメリカでも改良が進められ、なかでもスイスのログリーの発表した「スイス・ジャイアント」系の品種は、色別に十数種も固定したもので、パンジーを春花壇の主役に据えるのに大きく貢献した。その後も改良の手はゆるめられず、日本の種苗会社が発表したF1種(マジェスティック・ジャイアント)は、世界各国に輸出されている。
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Myosotis alpestris
ワスレナグサ (ムラサキ科)


 ワスレナグサという、何かしら悲痛な響きをもった名のこの花には、園芸植物の華やかさやあでやかさよりは、むしろ、静かな気品が漂っているように見える。それは、名前の由来となった悲しい物語が広く知られているからでもあるが、改良の手があまり加えられず野生の美しさを保ちつづけているからかもしれない。

 「騎士ドルフと美しい乙女ベルタがドナウ川のほとりを歩いていた。水辺に咲く小さな花をベルタが見つけて欲しがったので、ルドルフは手を伸ばしてその花を採ろうとしたが、足を滑らせて流されてしまった。急流に押し流されながらも彼は花を岸辺に投げ、『私を忘れないで』と叫んで水中に没してしまった」

 イギリスやドイツにおけるこの花言葉「私を忘れないで」「真実の愛」なども、この物語に由来する。ワスレナグサの名のもとになった植物は、ミオソティス・スコルピオイデスのほうで、現在よく栽培されるミオソティス・アルペストリスではない。

 9月から10月に鉢や箱まきし、寒さが厳しくなる前に花壇に定植する。物語にもあるように、川べりのような適当な湿地を好み、乾燥地では株張りが悪い。寒さにはきわめて強く、雪の下でも越冬できる。陽だまりでは早春3月ごろから開花を始める。ワスレナグサは、やはり澄んだ空色の花にこそ味わいがあるようで、春花壇に貴重な青い色を提供している。
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Bellis perennis
  デージー (キク科)


 春花壇の女王であるパンジーが、色とりどりの華やかさを特徴とするのに対して、デージーは花色の変化こそ乏しいが、強健さと乱れない草姿で、パンジーに次ぐナンバー2の地位を占めている。

 デージーの名は、「太陽の目」 Day's eye から派生したといわれ、太陽のもとで花を開き、曇りの日や夜には閉じる姿から名づけられている。和名のひなぎくもやさしくかわいい草姿をよく言い表しているし、長命菊、延命菊,時不知などの名は、花期の長さ、生命力の強さから生まれた名である。

 属名のべリスは、ギリシャ神話に登場する森の妖精ベリデスに由来する。ベリデスは美しく、若者たちの憧れの的。ところが、果樹園の神ベルタムナスがあまりにもしつこく追い求めるので、その煩わしさから逃れるために、小さな花にわが身を変えてしまった。その花がデージーだといわれている。

 デージーは、本来は宿根草だが、夏の暑さに弱いので一年草扱いにするのが普通である。種子は細かいのでピートバンなどに蒔く。冬までに株を十分に生育させるため、8月から9月初旬にかけて蒔く。発芽適温は20度前後なので、涼しい場所において発芽させる。

 デージーは、こぼれ種でも簡単に発芽し、庭で半野生化するほどだが、他家受粉植物なので親と同じ花は咲かず、代を重ねるにつれて原種の姿に戻っていく。品種本来の花を咲かせるには、毎年種子を購入して、種を蒔く必要がある。
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Narcissus
  水仙 (ヒガンバナ科)


 属名のナルキッススは、ギリシャ語で「麻痺させる」という意味の「ナルケ」に由来するとか、ギリシャ神話の美少年ナルキッソスの名にちなむとかいわれる。

 河神とニンフの子で美少年のナルキッソスが、ある日水を飲もうとして池の水面を見ると、そこに自分の姿が映っているのを見つけた。彼はそれをニンフのひとりだと思い、恋してしまった。恋いこがれて疲れ、ついには死んでしまったナルキッソスの跡に咲いた一輪の花に、森のニンフたちがナルキッソスの名をつけた、というのである。

 スイセンの花言葉は、この神話から「自己愛」「自己主義」とされ、そのうちラッパスイセンは「注目」「かなわぬ恋」とされる。またこの神話にちなみ、フランスのポール・バレリーは、その詩『ナルシス断章』にとらえられない自己を格調高くうたっている。

 ギリシャ神話には、スイセンにまつわる、もうひとつの物語がある。冥府の王ハーデースが、農耕と豊穣の神デーメーテールの娘ペルセポネーを妻にしようと地上から連れ去ったとき、彼女が驚いて落としたユリの花がスイセンになった、というのである。

 スイセンは最初に文学に現れた花のひとつである。ギリシャ最古の詩人ホメロスは、「燦然と輝いているスイセンは、不死の神々や死すべき人間にも、気高い光景である。その根より数多き花咲きいで、かぐわしい香りに大空や地上が微笑む」とうたった。

 また、ギリシャの悲劇詩人ソポクレースも「天上の露に育てられたスイセンは、昔より偉大な女神の冠する美しい房なる花を毎朝に花開く」と詠んでいる。

 古くから栽培され、鑑賞されたイギリスでは、シェークスピアや、多くの詩人を魅了した。自然を愛したワーズワースは「ひとり、わびしきさすらいに、黄金色なすスイセンを見ぬ・・・・・・・銀河の中に輝き、きらめいている星のように」と詠んでいる。ラッパスイセンの花は、復活祭の前のレント「四句節」の季節に咲くので、英名で「レント・リリー」ともよばれ、春を告げる花として親しまれている。

 マホメットは述べている。「二個のパンを持つ者は、一個をスイセンの花と換えよ、パンは体の糧だが、スイセンは心の糧である」と。

 室町時代以前に日本に渡来されたとされるニホンズイセンは、安土桃山時代には、松、杜若、蓮、菊、と並ぶ五立花のひとつとして生け花で重用された。また、江戸時代から俳句によく詠まれるなど、冬から春の花として親しまれている。

白色の花 ・・・・・・・神秘。好意をもつ。
黄色の花 ・・・・・・・私の愛情にこたえて、忘れないでください。
全体   ・・・・・・・尊敬する。自惚れる。自尊心がつよい。
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